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池澤夏樹作詞 「祝福」について

今回高校の合唱祭で、池澤夏樹作詞で木下牧子作曲の「祝福」を歌うことになったのですが、「光あれ」や「魚のうろこは予言を包み」など詩の意味が正直よくわかりません。 「池澤夏樹詩集成」を読んでみたのですがさっぱりで‥ 先生はキリスト教の意味だと教えてくれたのですが、曲のイメージを掴むためにも、この詩についてもっと深く知りたいです。 魚のうろこがなんなのか、とか予言はなんのか、などなどを詳しく教えていただけないでしょうか? お願いします

みんなの回答

  • ri_rong
  • ベストアンサー率56% (30/53)
回答No.2

 「この詩についてもっと深く知りたいです」という部分についてのみ、お答えします(女性ではありませんが一応、隠れ池澤ファンです)。けれど詩ですから、ご自身がお感じになられるままが一番だと思います。  魚とか海とか、潮とか、とても象徴的な言葉で綴られる詩人ですよね。わかりやすい言葉でいうなら、一番は潮(しお)だと思うんですが、彼が塩(しお)と書くときと潮(しお)と書くときには、両者に明確な違いがあります。  後者の場合は潮流、つまり海を血の流れに見立てて、地球をひとつの身体と喩えられます。ところが前者、この場合は「塩化ナトリウム」すなわち、生命に不可欠なあの成分を指す言葉だと思います。ずいぶん冷めた表現だと思われるかもしれませんが、それは彼が物理を専攻されていたせいもあると思います。  さて、「祝福」は詩集『塩の道』ではちょっと特異なポジションに位置付けられています。表現としては船出、出航、そういったイメージの延長でしょう。  長い旅の始まりの歌なんです。靄のかかった港で、それでも希望を感じつつ、航路に何が待っているか、どこへ行くのか、そうやって胸を膨らませる情景をまず思い浮かべられたら良いと思います。  つぎに魚ですが、これもまた彼の馴染みのモチーフです。イメージしていただくなら、寮美千子さん(ご存知でしょうか)の『星の魚』という詩を読まれたら如何でしょうか。  ・http://ryomichico.net/bbs/voice0003.html#voice20050101005759  ――夜になれば偽物の星が地上を埋めるけれど 空は遠くて本物の星にはもう手が届かない ここでの一生は ぼくたちが星の魚だったころ 笑い転げた一瞬と 同じ長さでしかない でも会えた きみに  「ぼくたちが星の魚だったころ」そのうろこの輝きは、まさに一瞬であり、その儚いなかにも出会えたきみを忘れない――というような、記憶のかけらのようなものではないかと思います。こんなふうに感じますが、どうでしょうか。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.1

ニコ動で聞いてきました。 宗教音楽調のものってオカルト映画によく使われるように、怖いんですよね。 「出るぞ 出るぞ 出るぞ 出るぞ」というあの伏せんっぽい歌声。 あーー 怖かった~。 さて、詩を呼んで思ったこと。エロい。。。。 詩を書いた人は、ギリシャの移住していますね。 私もギリシャに行ったことありますが、神々の国って感じです。 ギリシャ神話ってありますでしょ? 沢山の神様が登場するあれです。 従い、一つ目はキリスト教が盛んになる前の、古代の神々の世界をイメージして作ったのだと思えます。 予言と預言って違うんですね。 「将来こうなる」と予測するのが予言。 予測が当たると「予言が当たった」となる。 かたや、神から授かった言葉は「預言」 「こうしなさい」って神から人間に与えられた法みたいなのが預言とされる。 預言者とされる人がいまして、その人は神から言葉をもらい、民が過ちを犯さないように導いたとされます。 例えば十戒は、予言ではなく預言とされます。 魚は、、、2000年ほど前、地球の地軸は魚座の方向を向いたんですね。 古代の天文学は発達していて、太陽の通り道に12の星座を当てはめた。 地球が実際は動いているからそうなるのですが、その頃は地球は動いているとはわからず、太陽が12の星座をめぐっていると思われた。 で、2000年ほど前から今の時代が魚の時代となり、イエスという架空の人物が人間の中から生まれ、12使徒とともに旅をしたという神話が誕生した。 弟子の一人として勧誘する際、漁師に「これから人間を網でとらえよう」と言ったとされる。 ちなみに12使徒は12星座のことですね。 元始キリスト教は十字架ではなく魚をシンボルマークにしていた と言う話がある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9 ichthys、ギリシャ語で魚を意味し、このマークはイエス崇拝のシンボルマークだとされた。 実は違うんです。 このマークは<子宮>を表している。 ヨナ物語で、ヨナは大魚に飲み込まれ3日後に復活したとありますが、大魚とは比喩で、子宮のことですね。 生命は海から誕生した。 例えばビーナスとか海から生まれたことになっているし、モーセも水から生まれたことになっているし、桃太郎も水から生まれたことになっている。 進化論でもそうなっています。 MA。ヘブライ語でMは液体、Aは誕生。 二回言うとMAMAとなり、インド・ヨーロッパ語群では母親のことを指す。 実際、人間は羊水に中にいて養われ、魚みたいな状態から、破水してこの世に出てくる。 というわけで、やはり誕生が水と関係していると思われていたと推測される。 <光あれ>は太陽よ 再び昇れ ってな期待の言葉だとして(太陽の恵み)、魚の鱗は、、、、推測でしかないが、ユダヤ人は預言で鱗の無い魚を食べてはいけないと神に言われたとなっているので、鱗のある魚は清いとされたと思うんですね。 他にはキラキラ光るので、鱗を光と関連づけたのではないかと。 しかし <魚のうろこは予言を包み>がどういう意味かわかりません。 ヘブライ語をギリシャ語に訳した際に、誤訳多発事件が起こり、新約聖書が意味不明になったように、もしかしたら何かの言葉を作者は誤訳して意味もわからず気分で採用したのかもしれないです。 ギリシャの巫女は、トランス状態になり、踊り狂い「きーーーーーーーー お告げです」と神託を下したそうなんです。 実際は誰もその意味がわからない。 メチャクチャに気分で出す言葉だから、意味を持った音になっていなかったそうです。 それを側の侍従が「きっとこういうことだろう」と現実に照らし合わせて想像して、「巫女様に神様から将来こうなるとお告げがありました。」と民に言っていたそうなんです。 予言ですよね。 漢字の起源は宗教で、亀の甲羅を焼いてひび割れ具合で、占いをしていたそうで、ギリシャ方面だと魚の鱗を使って巫女様は占いしていたのかもと作者が想像していたのかも。 >先生はキリスト教の意味だと教えてくれたのですが いえ 神々となっているので、多神教の概念を持っていますので、キリスト教じゃないです。 ギリシャ方面でヒエロスガモスって風習があったらしいです、古代に。 聖なる婚礼って意味です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%A2%E3%82%B9 それもあって、えらくエロイ歌だなぁ・・・って思ったんです。 壷とは子宮のことで、潮が潮ふくってのは、、、相当エロに表現です。 赤面しそうな詩を歌うんですよね。 うわーーーー。 神は選んだ男に子供をたくさん与え、子孫繁栄を約束するとき、神の祝福があったとされるんです。 エッチして産めよ増やせってのが神の祝福。 ユダヤ教は子供がいない人は、神から祝福されていないとされ、呪われていると信じられていた。 ちなみに、キリスト教の聖職者は生涯童貞で過ごさなければならないという掟がある。 神から呪われていなければ聖職者になれないというわけで、キリスト教の聖職者には神の祝福が降りない。 それもあって、この歌はキリスト教関連の歌ではないと言い切れます。 要するにエッチの歌。 ああ 赤面 (*ノДノ) 高校生に歌わせるなんて・・・ ちなみにニコ動では中学生が歌ってました。 知らないと歌えてしまうという・・・ orz。

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