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第二次世界大戦後のころ、壁掛け時計はなかったのですか?
黒澤監督の「生きる」で、 役所勤めの主人公が、 仕事中に自分の懐中時計を見るシーンがあったのですが 当時、役所に、今は普通にあるような壁時計はなかったのでしょうか。
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戦時中は電灯一個で電気料金が固定されていました。 その為、電灯にコンセントが付いていたのです。 これに受信機(ラジオ)を付けました。(電気代無料^^) 炭屋が炭と薪を販売します。 都内では風呂付き家屋は殆どありませんでした。 これは地方の方が普及率が高いです。 ぼんぼん時計 電灯 ラジオ(大正14年で120円) これが主要品だったのではないでしょうか? 腕時計は大正2年、精工社が製造を開始。(10~20円) 懐中時計200台/日に対し、腕時計15台/日であったようです。 懐中時計も尚工舎(現在のシチズン)が12円で製造を開始します。 海外製は30円以上したそうです。 懐中時計などは贅沢品であったので、父のお下がりなど、 時代考証は間違ってはいないと思います。 ただし、 活動なされる職務の方には 腕時計も少なからず流通していたと思います。 >壁時計はなかったのでしょうか。 ぼんぼん時計があったと思います。 懐中時計は時代を思わせる「演出」の可能性もある。 こう見ておいた方が良いと思います。 ボンボン時計は斜めになると良く止まります。 爆撃で良く止まると言いますがどうなんでしょうね?^^;
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- k16399638
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生きる、は、昭和27年の話です。 壁掛けはもちろんあります。 あさ、守衛がゼンマイを巻きます。夕暮れ時にも巻きます。夜中にも守衛が決まった時間に巻きます(銀行では当時、守衛ではなく行員が交代で宿直していたので宿直が巻きます。守衛のような外部の人間は入れていません)。この間に、給仕が(学生服の雑用アルバイト)時報で修正します。 国鉄、私鉄も、駅の時計も決まった時間にゼンマイを巻きます。基本的には時報が元です。振り子時計もややおなじです。爆撃でとまった、地震でとまった、は、振り子がはずれるからです(もしくは時計が傾いて、振り子が胴体のなかで寄ってしまって止まる)。私は昭和12年の時計を使っていたのですが、釘が突然折れてしまい、床に落ちて粉々に。その瞬間まで、普通に動いていました。時計屋で年に1回みてもらって、気分によってはボンボン時計にしたりしました。 懐中時計は、精工舎、愛知時計、東洋時計、シチズン時計、リズム時計、外国製でロンジン(芥川賞、直木賞、東大帝国大学首席、陸海軍士官学校首席の「銀時計」がこれ。戦争中だけ精工)、ウォルサム、などいろいろあります。これらは受け継いで使うのがあたりまえで、一種の財産でした。机に懐中時計を置く、ウォッチ・スタンドの存在が、あたりまえでした。 腕時計も高級品でしたが、米軍の安い品もはいっていたので、買えないことはないけど、今よりは高級品(パソコンと携帯を足したようなかんじ)だったでしょう。ただ、成人の都市生活者は基本的に懐中か腕時計はもっていたと思います。 主人公が時計を見るシーンは、彼の時計を、彼の時間を見ることに意味があるからです。
- cobamax
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<当時、役所の現在のような壁掛け時計は無かったのでしょうか> 柱時計と壁掛け時計は違います 1) 柱時計(ボンボン時計)は全体の重量が重いため壁の柱の部分 に設置しゼンマイを動力として振り子で動き時間ごとに鳴るように なっていました、いまではあまり見かけなくなりました 日本には明治20年ごろ入ってきましたので、会社 役場 家庭で は戦後 昭和40年ごろまでは活躍しました 2)壁掛け時計は現在学校 役所 駅等とどこでも見られる壁にぴった りと設置され動力はほとんどが電池です、電池式の薄型の壁掛け時 計が出てきたのは日本では昭和40年ごろです 結論として、現在のような壁掛け時計はこの映画の時代はありません
- buchi-dog
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私は機械式掛け時計・置時計しかない時代に社会人であったわけではないので実際の所は分かりませんが、駅の時計ならともかく、役所に備え付けてある掛け時計(振り子時計だったでしょう)はうかつに信用できなかったのではと思います。 その映画で、主人公が生真面目な性格の役人という設定であれば、職場の時計ではなく自分の懐中時計を見るのは「神経の行き届いた演出」だと思います。 1950年代でも、高級な懐中時計や腕時計は日差10秒以内と現代のロレックスと大差ない精度だったのですが、「並品」や「婦人用」となりますと日差が分単位で当たり前で、毎日ラジオやテレビの時報で時間あわせが必要だったようです。 ちなみに「高級な懐中時計や腕時計」となりますと、現在の貨幣価値で40万円~50万円くらいしたと思われます。おいそれと買える代物ではありません。 役所の時計の場合、小使いさん(用務員)や給仕(今のOLに相当)がゼンマイを巻いたり時間を合わせたりしたのでしょうが、そもそもの時計の性能、整備状況、時間あわせの頻度などは千差万別です。担当者がズボラであれば、とんでもない時刻を示していたり、あるいは止まっていたかもしれません。ゼンマイの残量切れ、あるいは故障したが修理費が出ないとかで。 当時、ラジオやテレビの時報、それできっちり合わせてある「自分の高級懐中時計、腕時計」以外で信用できるのは「駅の時計」くらいだったのではないでしょうか。鉄道関係の時計は、毎日の始業時に一斉に時間を合わせ、かつ精度の高いものを使っていたようです。
- oska
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>当時、役所に、今は普通にあるような壁時計はなかったのでしょうか。 ありましたよ。 機械式のゼンマイ時計です。 現在のような時計ではなく、柱時計ですね。 裕福な役場では、ミンスター製の置き時計(高さ2メートリ・幅35センチ程)があったようです。 今でも、社内に時計があっても、腕時計とか携帯の時計を見ますよね。 同じ事です。
- caesar-x2
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今あるものは全部、電池式ですが、 昭和戦後初期だと、ないわけではありませんが 余り見ないでしょう。 電池も現在の規格とは違って、大きなものでした。 壁掛け時計としては、ネジ式と、振り子時計です。 壁掛けの定番は、振り子時計です。 振り子が右左にゆれて動くアレです。 振り子時計は一日一回ぐらい調節すれば ほぼ完璧に機能しました。 しかしロビーとか人の集まる場所に主に置かれます。 あと昔の職場では時報が常につかわれていて、 就業時間や休憩時間などは鐘とかブザーとかで 知らせるのが一般的だったでしょう。 時計が安くなるのは、高度経済成長後で、 大量消費大量生産の時代になってからです。 昭和の前半ではやっぱり時計はある程度高価で だからこそ昔は、家の新築とか結婚とかにも贈答に時計なんてのが 送られていたわけです。 いまじゃ100円ショップに壁掛け時計はありますから 時代の流れですね。
- ultraCS
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当時は、現在のように買ってきて掛ければ何年も動く電気時計はありませんでした。 そのころの時計は毎日ゼンマイを巻いたり、錘の紐を巻いたりしなければなりませんから、誰か係を作って、毎日する必要があります。ですから、ロビーなどの時計は給仕(ほとんど死語だけど)がやりますが、それぞれの執務室だと誰かを係にしてやらせなければなりません。また、時計自体も精密機械でかなり高価なものでした。ですから、各執務室には無い場合も多かったのです。 そういえば、教室にもありませんでしたよ。なので、中学生になると最初にお祝いで買ってもらうのは腕時計か万年筆が定番でした。