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正義は何者と戦うのか
「誉」(ほまれ) 「真」(まこと) 「善」(よし) これを知性の三要素とします。 ほまれの対立語は「罪」 まことの対立語は「嘘」 よしの対立語が質問でして仮に「悪」とされています。 ところが知性の構成要素に還元して、その対立語(対立概念)は全て悪であり三悪の筈です。 そうすると善の対立した悪の正体がわからなくなりました。 三悪に分解して善はどのような悪と対立しているのでしょうか。 この三分解の由来は光の構成要素に由来していまして、 善の性質は「赤」です。 誉の性質は「青」です。 真の性質は「黄」です。 あくまでも光を目の当たりにして起草した思考でして非言語により由来しています。 ちなみに私は変な特技が満載でして、光なり色彩だけでなく、嗅覚に頼らないで匂いを思い出し、その匂いを紡いで思考したりも出来ます。ソレもまた非言語思考です。匂いで思考するのは要するに犬と同じです。 チンプンカンプンかもしれませんが、毎度お騒がせのオコリザルです。 よろしくお願いします。
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>心の中に死の準備はありえても決定的な死そのものはありません。 その通り。ここで象徴した「殺」にも死そのものは準備されていません。 言葉が無いのではありませんか。 あえて言うなら殺意の様な心象でしょうか。いわゆる善から誉、真をある意味で分離しますから、善が鋭くなっていて、「悪」では収まらなくなっているんですよね。いらつきから行動を起こそうする心象なのですが、確かに「殺」では鋭すぎますか。すると「破」かな。
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- shikaruni
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喜は黄? 怒は赤? 哀は青? 楽は緑? 善の赤に通ずるのは、怒? 怒は悪?
お礼
ご回答ありがとうございます。 怒ならばbananasandさんの破にも通じますね。 でも、ここで問題になるのは怒りは衝動であり感情でないため心の中に納まらないで理解の対象にならないことです。 怒は心の中にとどまらないんですよ。 だから捕まえることが出来なくていろんな説が出てくるんです。
補足
怒りを衝動に分類してコントロールする感覚です。 理解しようとしている限り怒りません。 理解を放棄すると心をはなれて衝動となり怒ります。 今回は理解の試みなので怒にはなりません。 ちなみに常に理解しようとする姿勢を見せるとオコリザルでなくオコラレザルになってしまいます。 いじめられっこのことですから、そうはならない様に威嚇や恫喝でバランスよく怒る必要もあります。
- bananasand
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>その影たる黒の三色分解 なるほど、黒の向こう側にも色が見えますか。 善、誉、真は常に対生成。いわば双極子。 見る方向でたやすく入れ替わる。 >善の性質は「赤」です。 善の影も赤。破壊の赤。邪の銅。毒の銅。焼き尽くす赤。流血の赤。 >誉の性質は「青」です。 誉れの影も銀。刀の銀。鋭く突き刺さる銀。 >真の性質は「黄」です。 真の影も金。まがい物の金。影の銅と銀から成る金。 とすると、善 が相対する象徴は 殺 ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。「殺」には幾つか思い当たる成り行きもあります。検証します。
補足
検証したのですが「奪」かも知れません。生命を脅かすほどでも取り返しがつかないほどでもないんです。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
善 仁 徳 正 美 義 真 誠 忠 聖 崇 ・・・ 言葉、文字には形があり象があり色があり魂が宿る。 匂い立つほどの美しさも鮮烈な神々しさも 自分の口で吸うしかない。その影に何を見てもそれが真。 正義が戦うのはその影。 >善の性質は「赤」です。 炎の赤。銅。伽羅。 >誉の性質は「青」です。 紫というか銀。白檀。 >真の性質は「黄」です。 これは金。麝香。 影は全部黒。
お礼
ご回答ありがとうございます。ご回答のセンスは抜群なんですが、その影たる黒の三色分解をして、そのような思考が成果を挙げています。赤だけが言葉に直すことが不明なんです。
補足
A9の続きです。 今回の考察は信仰の類から離れた思考による検証であり、生命存在に内包したこととして検証しています。 その場合は心の中に死の準備はありえても決定的な死そのものはありません。したがって「殺」はなしません。よって当てはめることが出来ません。そこで試しに「奪」に置き換えてみましたが、奪われた状況とは心象に照らすと自己の不在です。ならばソレは3悪全てにいえる特徴です。 よって善の戦う正義が未だ不明ですが、取っ掛かりが出来たので徐々に出も輪郭を明らかにすることが出来るでしょう。 そのような自信はつきました。
- shift-2007
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独善でどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。感覚的には一面で真実足りえる印象です。言葉としてぴったりと当てはまってはいないかも知れませんが、良い回答をありがとうございました。
補足
トピックスとして非言語思考の解説です。 基本的に人は自分自身の存在にまで疑いが及ぶことはありませんから私にとっては普通のことだと思っていましたが哲学に触れて必ずしも誰もが出来ることではないと判りました。 こんな感じです。 入用があって探し物を思いついたとしましょう。 鉛筆何処かな?疑問の言語でなく、視覚とは別に鉛筆の映像があたまによぎります。それに基づいて鉛筆立てとその置き場所、机の引き出し、筆箱、仕事用かばん、などの選択肢が浮かび自らの部屋の中で今何処にいるのかの空間認識から妥当な選択を非言語ですると、選択肢がたとえば机の引き出しに集約されます。そして引き出しに鉛筆を片付けた記憶があるかどうかの連続した映像でその選択肢を検証します。そして探しに行く行動が実際に引き出しを開けて確認するまでの間、映像による検証が効率の良い片付け方にまで連続して展開します。そして鉛筆を見つけて、さらに効率の良い片付け方の実践にまで必要があれば行動が及びます。その間完全な非言語思考であったり言語による思考でまったく別のことお考えていたりします。両方とも連続した別々の思考です。言語による思考が映像による思考に随伴して一致している場合もあります。 この視覚とは別の映像でいわゆる霊視の類も出来ますが、霊視とは言い方を変えれば白昼夢です。夢ですから解釈次第の側面があります。内容は自らの心象世界であったり、誰か他者の心象を自らに投影することでうかがい知る場合だったりします。その心象世界はこの世でなくあの世たる異世界です。したがってこのような異世界は言い方によっては白昼夢ですが、他者、又は神のいる世界とつながりのある、伝心による対話を自覚でき、現実的な現象としての確認も出来ています。
- magga
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僕の知っている範囲の見解を書いてみますね。 <<「誉」「真」「善」これを知性の三要素とします。ほまれの対立語は「罪」まことの対立語は「嘘」よしの対立語が質問でして仮に「悪」とされています。ところが知性の構成要素に還元して、その対立語(対立概念)は全て悪であり三悪の筈です。そうすると善の対立した悪の正体がわからなくなりました。三悪に分解して善はどのような悪と対立しているのでしょうか。>> 思うところを書いてみます。 対立語が「罪」なら「誉」は僕の見解の中の「功徳」に当たる言葉でかな。 「真」は「真理」「事実」「正知」「智慧」で反対語は「捏造」「事実でない」「誤知」「無知」などともいえましょうか。 「善」の反対語は「不善」ともいえましょう。 私の知るは「不善」のなかにはいる「罪」である「十悪」は「殺すこと・与えられていないものを取ること・欲に対して邪なことをすること・嘘をつくこと・無駄話・粗暴な言葉・悪口・妄想から生まれる際限の無い異常な欲・妄想から生まれる際限の無い異常な怒り・邪見(誤った見解)」。 不善の根は「貪り・瞋恚・無痴」からなる感情。 不善根から離れることが善根で、不善から離れることが善。 六根に対象が触れ認識が生まれる。 その際に無知によって捏造し、事実でないもの・誤知を受け取り、「こうあるべき」という自我意識によって現実との軋轢に不善根である感情(撥ね付け・引き込み・混乱・・・貪瞋痴)を働かせ、増幅し不善でもある十悪を行なわせる。 悪・不善の根本の原因は認識より「データの捏造」する働きに他ならないと思ってます。 仏教では「パパンチャ」とも言われていると思います。 これを破る方法として「八正道」があります。 <<正義は何者と戦うのか>> 自己に打ち勝つ。パパンチャを破ることにチャレンジすることこそ正しい義といえましょう。 何か参考になれば幸いです。 生きとし生けるものが幸せでありますようにノシ
お礼
ご回答有難う御座います。教養が豊かなようで参考にさせていただきます。光の三色分解から極力単純化して悪を浮き彫りにしようとする質問です。
- maimaisus
- ベストアンサー率8% (6/75)
正義は正義でありそれ自体は何者とも戦わないと思いますよ。 >「誉」(ほまれ) 「真」(まこと) 「善」(よし) これを知性の三要素とします。 とありますが、善と呼ばれるモノの要素の一つとして「誉」や「真」があると考える方が理にかなっていると思われます。 なので、善の反対は悪であり何をもって悪であるか考える必要はなくなるのではないでしょうか。 しかし、善も誉も真も、必ずしも正義である訳ではなく、それ自体は物事を判断する為の基準であったり、考え方の一つであり、それだけでは物質化しない性質の力の流れの形とも言えると思います。
お礼
ご回答有難う御座います。私の場合は思考基準は愛です。善人には悪魔呼ばわりされかねないほど凶暴なコメントお出しています。日常でも少なからずそうでして難儀した上での質問です。
- kigurumi
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>借金取りは命まではとりません。 いえ、取ります。 謝金苦で自殺する人は、自分に保険をかけていて、自分が死ぬことで、保険が降りて借金が返せるとなる。 でも、死んでしまったら、返さなくていいじゃないか? いえ、家族名義でも借りて借金を返そうとするので、家族も借金を背負った形となっている。 従って一人死ねば保険金が下りて、家族名義の借金も返せるため、保険金目的で自殺する人もいるんです。 保険会社は借金返済目的で保険加入するのを防ぐため、一定期間は死んでも保険が降りないようにしている理由の一つはそれ。 借金取りは 臓器提供して(闇で売買)返せとか、死んで返せとか(保険をかけて自殺すれば返せる)とかありとあらゆる返済方法を負債者に教え、自己破産させないようにします。 自己破産されたら、取立てできなくなるので、自己破産しようと逃れられないと追い詰めるらしいです。 >それでも死活問題と受け止めるならば、嘘を承知のその殺意は何者かとの問題にもなります。 えっと、主語は<不況>で、『不況は死活問題と仮にするなら、嘘を承知のその殺意は、何者か』ですか。 うーん それでも日本語の意味のある文章にならない。 いまいち 何を言わんとしているのかわかりません。 >誉の影は罪 >真の影は嘘 >善の影は?(何らかの謎) と変えても、善も過ぎれば悪 になりうることを考えれば、善も悪でもあるわけです。 で、アリストテレスは中庸を説いたんですね。 中庸こそ人が幸福であるための手段 みたいな? だから正義の敵は正義って答えたわけです。
お礼
ご回答有難う御座います。借金は法に保護された取引ならば命より大切にする必要はないし、ならば自殺するまでも無いのですが、現実は世知辛いですからねー。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
善の反対は悪でいいですね。 (善・悪は二分法ですから二通りにしか分類できないのですね。) 罪は悪の結果ですから悪自体ではないですね。 嘘は善にも悪にもなりますので悪とも言いがたいところがありますね。例えば、方便は真ではないが悪でもないですね。 という前提で、 >>善はどのような悪と対立しているのでしょうか。 善・悪という場合は善心(善業・善命を含む)と悪心(悪業・善命を含む)のことですね。 実行しようがしまいが仏神の心に反した思い、行い(業)、生き方(命)を総称して悪というのですね。ちなみに仏神の心に沿っていれば善ということですね。 例えば、普通の職業の人とやくざ家業では、やくざ家業は悪ですね。これが悪業ですね。やくざ家業自体が悪なんですね。やくざにもいい人もいるでしょうがなりわい自体が悪なので悪人になってしまうのですね。 たとえなりわいが立派でも心がよろしくない人も悪人の内ですね。 もっと悪いのは人の困ること人が不幸になることを前向きに推し進めることですね。これを積極的悪といい、極悪人とか悪魔といいますね。 その反対が善ですね。積極的に善を推し進めることを正義といいますね。 赤色は善よりもっと強い正義という意味でしょうね。
お礼
ご回答有難う御座います。人の生きる様としてのご見解ですね。広義の悪の見解はわかりましたが悪が罪に変化してもまだ三悪の一部であるならば狭議の悪もあるのではないかと考えました。私自身ももう少し考えを整理してみます。
- shikaruni
- ベストアンサー率20% (19/95)
真←善←誉 嘘(偽)←悪←罪 と、分けて考えると、それぞれ性質が違うようです。 知性の三要素を包括して、三悪⇔三善? 片方のみ包括して三悪で、片方のみ個別の善としなくてもいいのに… 両方包括するか、部分同士で、悪対善では? と思いました。
お礼
ご回答有難う御座います。善性は何らかの真実があるとしても生命本質の部分的な要素と考えます。実際に善良一辺倒の生き仏さんには愛もまた悪です。 そのような弊害に私自身が難儀をしていましてその結果考えあぐねた質問です。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
正義自身?
お礼
ご回答ありがとうございます。正解かどうかはわかりませんが直感的でいい回答ですね。非言語に由来しているので回答もそのようになるでしょう。
補足
1つ判りました。 kigurumiさま、ありがとうございます。 戦い(争い)を正当化するのは悪智慧であり、ソレは悪の正義です。 今回はその悪を見失ったゆえの質問なのですが、光に由来した非言語思考ですので、 誉の影は罪 真の影は嘘 善の影は?(何らかの謎) と修正します。 何か心に響く直感はご座いませんでしょうか。 トピックスとして争いの悪を補足します。 世の中金、金、ですが、借金取りは命まではとりません。 たとえば、この不況で商売がうまく行かなくなっても、いちいち大げさに死活問題と解釈するまでもありません。 金銭的破綻がイコールで死であれば(そんなわけないでしょう)その、うそんこの死をもたらす商売敵を殺す理由になります。この不況では殺したくなるのは総理大臣です。 命がけだから争います。 殺し合いを持ちかけるのです。 その前提は「借金取りは命までとらない」で、嘘とわかり崩壊します。 冷静であればご了解いただける事柄です。 それでも死活問題と受け止めるならば、嘘を承知のその殺意は何者かとの問題にもなります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ソレならば「破」のまえに「狂」になりませんか ?
補足
後先と言うよりは「破」と「狂」を並べてみましたが「狂」(凶?)が阻むゆえ「破」もまたなしえない感じです。「やぶる」なら、ソレをなすなら悪意の勝利の可能性ということにもなります。ありえません。 蛇足ですが善と悪の戦い「葛藤」は有名で私にもまた伝心していますが、涅槃なりイデア界なり、要するに言葉の泉にある「善」について、人知はこうも無理解であり、要するに「善」は、戦う相手を見定めたことがない。ならば善はそのいい人属性により、実は戦ったことがないのではないかとも考えます。