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意識の謎 : 人間各個体はそれぞれ独立しているのに何故同じ世界を見るのか
. *** 言語の相違と認識の同一性 *** 私たち生き物が外界を認識をする時、外界から視覚器官に到達した光量や光強度などを生体電位に変換した後には、神経線維を走る 信号強度やシナプス間での神経ホルモンの濃度や受容感度には個体差があるので、そのような過程を経て外界イメージが形成される なら、それは独立した各個体によって成されるので、認識される外界像や外界印象はそれぞれ違ったものになるように思えます。 さらに、人間が認識する対象のそれに適当な意味を付けて言語化する時、日本語や外国語あるいは日本各地の方言のような相違があ りますが、これは独立している人間各個人の思考機能の差異や多様性によって生じたと考えられます。 それならば外界認識において、他者は私の見る世界と同じものを見ている、という素朴な了解は何を根拠にしているのでしょうか。 あるいは何故、各個人間の外界像には多様性が無くて言語には多様性があるのでしょうか。
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noname#15238
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- kaitaradou
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回答No.1
お礼
回答を寄せて頂きありがとうございます。 現在の生物が持つ機能は長い歴史によって洗練され、それによって適応していると考えられます。 さらに生物の個体内部は機械のような定常性を持たず常に変化しており、それによって行動の予測不能性も生じるために、 その個体の自律的変化は生物らしさを感じさせます。 人間の認識・思考での決定論的プロセスにもこの一見ランダムとも 思える自由性が含まれているので、その個体内部の情報処理だけで個体相互の認識の合意が出来るのだろうかと疑問に 思っています。 この種の類似性という物質的な決定論的作用だけで共有・共通感覚をどこまで説明できるでしょうか。 ということで今回それを成立させるものが、個体を超えた非局在的な作用もあるのではないかという提案をしてみた訳です。