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欲は行動の原動力になるでしょうか?
私には、行動する意欲が湧かなかったり、嫌なことばかりを考えて行動が出来なかったりする悩みがあります。そんな私は、自分の欲望に目を向けたり、もっと欲を出したりすることで行動できるようになるでしょうか。心が疲れてしまって動けないのがつらいです。一時的にせよ行動できるようになればと思うのですが、そんな時には欲は有効でしょうか。
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- NEKOGABURI
- ベストアンサー率7% (7/98)
健康第一です。 健康ならば自然と欲も湧いてきます。 自然と行動できます。 嫌なことばかり考えるのも、まだ心に余裕がある証拠です。 あれもこれもと迷っていると、体も心も不健康になってしまいます。 (余裕のあるうちに)嫌なことは捨てて下さい。 捨てて健康になって下さい。
- bananasand
- ベストアンサー率21% (117/533)
効果は期待出来ないように思いますよ。 なぜかというと、心が疲れて動けないということと、欲がないというのは、同じ事だと思うからです。 何かやりたいことがあればやればいいし、やりたくないことは やめたほうがいい。いたってシンプル。 ありもしない欲を無理に直接なんとかしようなんてよけいに疲れますよ。 のんびりと秘湯にでも浸かるとか、とにかく自然の近くで休む事だと思います。
嫌な事を考える、心が疲れてる、という事は、原因は頭を脳を使いすぎてます。脳が思考してる時は、脳が人の心と自然の情緒との交流を遮断するので、心が疲れストレスになります。脳が休むと、人と自然の情緒が交流するので、心が癒され疲れが取れます。だからまず脳を休ませる事です。脳を休ませる要領は、日本の伝統文化を体験すると分かります。和風文化は、脳を休めて自然の情緒、心の癒しを追求しています。例えば、茶道は、意識が頭から離れて手先に集中するので、脳が休み、心が癒されます。だから機械や道具の使用を止めて、手作業や肉体労働もいいです。また民謡や演歌で、母音を伸ばす時に、脳が休み癒されます。日舞など、動作がスローで、間が多い舞踊は、脳が休み、心が癒されます。脳が休み、心が情緒で満たされると、いよいよ心にやる気が出てきます。
欲というのは心の余裕が変化したものだと思います。心に余裕がないのに欲を出そうとしてもそれは自分のものではないと思います。かえって負担になってしまうのではないでしょうか。欲が自然とわいてくるのを待つ方が良いのではないかと思います。
質問者さんには「食欲」も「性欲」も無いのでしょうか? だとしたら、生きて行くのも難しくなります。
お礼
回答ありがとうございます。そうした欲はあるにはあると思うのですが、どうも実感が薄く、楽しめていないような気がします。もう少し考えてみます。
- SilverBell
- ベストアンサー率30% (81/266)
完全な無欲なら、そもそも生きる事自体ができません。 生き物である以上、行動には多かれ少なかれ必ず欲が伴います。 質問者様の場合は、現在心が休息を欲しているんでしょう。 時にはお気楽に考えてみることも必要ですよ。
お礼
回答ありがとうございます。休息を欲しているということですか。そのように考えてみます。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
欲がなければ行動をしないでしょう 物欲が金欲になり金を得るために労働意欲が湧き働く
お礼
回答ありがとうございます。そうですね、労働意欲につながるように持って行こうと思います。
お礼
回答ありがとうございます。心の余裕が変化したものですか。すると今の自分では欲を出しにくそうです。待ってみるのも一つの方法ですね。