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人の欲について
仏教で「欲」は諸悪の根源にされてるけど、私はあまりそう思いません。 禁欲の先にはストレスがあり、爆発したり潰れてしまったら意味が無いからです。 それで、二つの社会的欲求に対する質問と言うか、アンケートに近いんですが、 他人の行動やあり方に感銘し真似る「模倣」欲と、 他人の影響、支配に抵抗して独立する「自律」欲とでは皆さんどちら派ですか? また、どんな時に「模倣」になりどんなとき「自律」しますか? 私はどちらも経験がありますが、それは歳を重ねるごとに考えが変わってきました。 まずは「模倣」そして二十歳を過ぎ、「自律」となりました。 しかし、人に反発しすぎて周りから誰もいなくなりました。 なので今はバランスを大事にしています。 みなさんはどうですか?
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仏教は利他心を満たすものであって、利己心を満たすものではありません。 仏教は他人の利益を追求するものであって、自分の利益を追求するためのものではありません。 よって、「仏教の教えは、自分の利益が守れない」という批評は本末転倒です。
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- nisekant
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参考までに…… 人間と爬虫類の戦略比較 爬虫類の前脳が関与しているとみられる六つの行動戦略(行動の定型化、集団模倣、選好、反復、再演、擬動作)は、人間行動にも投影しているように思われる。 定型行動──反射脳の病変の観察から、淡蒼線条領が動物の日常の定型的行動を統括していることが推測される。 爬虫類は定型的行動の奴隷である。例えば捕食者に追われて逃げ込んだ岩の隙間が安全であれば、その隙間はそれから何度も利用される。危険を避けるための迂回路が、危険がなくなった後も使われ続けるニジトカゲの例もある。ローレンツは次のように書いている。「どちらが成功するか、どちらが安全か、不確かなときは定型行動を選ぶのが最善である」。チェスでも不確かな局面では定跡が選ばれる。 ヘディガーは著書『拘束された野生動物』の中で、哺乳類が時計のような正確さで同じ径(こみち)を通る幾つかの例をあげている。彼は7年間に渡りキノボリヤマアラシを観察し、次のように書いている。「動物は毎晩7~8時までの間に湖畔の同じ径に現れた。……残念ながら動物達のこのような日常行動の繰り返しの事実は研究者達に無視されてきた」。 ヘディガーはまた人間の定型行動に関するヒンシェの観察にも注目している。ヒンシェは800人の小学生に通学路の詳細を尋ねた。柱の左右どちら側をまわるか、屋根の廂(ヒサシ)の下を歩くか外を歩くか、マンホールの蓋を跳び越えるか踏んで通るか。「もしこれらの定型行動を守らないと、彼等はテストの成績が下がると思っているらしい」。 科学者は一般人の迷信に近い定型行動に批判的であることによって、一つの評価を受けている。しかし同僚の研究者が好みの方法で同じ実験を繰り返しているのを見なかった研究者が幾人いるだろう? また責任ある公的地位についたことのない人々にとって、いかに多くの公的な資金と時間が前例を探すために費やされるかを理解するのは難しい。裁判では判例が、特に高名な裁判官や高等裁判所の判例が重んじられるが、そのような裁判官や裁判所が重視するのは控訴を免れた判決の前例である。 定型行動からの逸脱──定型的日常行動からの逸脱が動物達にもたらす混乱を、ローレンツは彼がマルチナと呼んでペットにしている雌のアヒルの観察例によって説明している。マルチナは生後一週間になるまで、ローレンツ家の正面階段を昇って寝所に向かう習慣があった。彼女は階段を昇る前にまず飛び上がってから直角に曲がった。ある晩、彼女は急ぐあまり曲がるのを忘れ、階段の五段目に昇ったところでパニックに陥った様子で「警戒声」を発しながら階段の最下段に飛び下り、いつものようにそこで90度転回した。動物の定型行動を支配する脳組織は定型行動からの逸脱も監視しているように思える。 まだ情動反応を支配する大脳辺縁系の働きについて触れていないが、爬虫類的な定型行動を支配する脳組織が情動の乱れを導く可能性は否定できない。人間の場合、日常の定型的行動の中断である週末や休日には、ある種の情動的な乱れが現れる。会議や催し物や講義などの行事には、予めプログラムや講演要旨などが配布される。いずれも日常の定型的行動の中断による情動の乱れを緩和するためである。アメリカのアイゼンハワー元大統領は事前に協議事項を示されないと激怒したものである。 集団模倣行動──集団行動は、同種認識や性差認識のための種内の社会的交信行動の一つである。しかし、神経学の教科書の索引項目に、集団行動や関連した模倣行動があげられていないのは不思議である。更に注意したように同語反復や動作反復を含むジル?ドゥ?ラ?トゥーレット症候群は線条体の病変によるものとみられている。1912年にウィルソンは被殻と淡蒼球が退化していく病気について報告している。報告によれば17歳になる少年の患者は「さよなら」が言えなかった。社会的交信行為に障害があることを示す。 神経学とは反対に、心理学の論文や書物には模倣行為についての豊富な話題が紹介されている。『社会的学習と模倣』という書物の中でミラーとドラードは、人間には生まれついての模倣という行為はなく、人間行動の全ては施行錯誤を通して学習されたものである、と主張している。しかし彼等は同時に動物間で互いに他を模倣することを教える困難についても注目している。動物達はむしろ放置されることによって模倣する能力を現す。我々の研究所で生まれた三頭のリスザルは野生では見られないトンボ返りをする。このトンボ返りは同じ檻に入れられた近縁種のカツラザルから始まったものである。若い雌の一頭からニホンザルのコロニー全体に拡がった、海水による芋洗いの習慣は、伊谷の報告によってよく知られている。ルイジアナのチンパンジーのあるグループでは、尿を掌に受けて飲む習慣がグループ内の一頭から始まった。ダイアン?フォッシーによると、体を掻く動作はゴリラを安心させる。彼女はこの動作によって一頭の若いゴリラとの接触に成功し、ゴリラの手に触れることができた。 もし人間行動の全てが学習されたものならば、学習の座とみられる大脳新皮質の発達に大きな障害のある子供達が他人の動作をよく真似ることを理解するのが難しい。彼等の優れた模倣能力は彼等の生活にある種の秩序を与えている。反対に、他人の言葉や動作を模倣する能力の障害は、自閉症の子供の生活から秩序を奪っている。 ガジュセクは石器時代の文明の段階にある部族と白人との初めての出会いで、部族の全員が白人の動作(頭を掻く、腰に手をやる)を真似したと報告している。動作の模倣は「私も貴方の仲間だ」というメッセージの発信であると考えられる。互いに対峙した二頭のツノトカゲの挑戦動作も集団行動の一つである。R複合体の障害がこれらの行動に与える影響からして、同種認識や集団行動も類似の脳組織の支配下にあるものと推測される。
- shift-2007
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無欲と禁欲は違うんじゃないでしょうか。
少しずれますが模倣という海に自立という船が浮かんでいるようなイメージを持ちました。海と同じくらいの巨大な船を作ったらいくら建造が可能としてもそのような船は海に浮かんでいられなくなります。一方あまり小さい船を作っても自分が乗っていることができません。海から船を作る材料を調達するということまで考えると模倣と自立は切り離せないように思いました。