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「する」と「させる」、「を」と「が」、能動と受身の組み合わせ
「する」と「させる」、「を」と「が」、能動と受身の組み合わせて以下の中でおかしな表現はあるでしょうか? 私は、いずれもおかしくはないように思うのですが、 HやOの表現がおかしいという人もいます。 (動作を行うのは私として) A:私は机を移動した。 B:私は机を移動させた。 C:このガラスは紫外線を透過する。 D:このガラスは紫外線が透過する E:このガラスは紫外線を透過させる。 F:紫外線が透過するガラス G:紫外線を透過するガラス H:紫外線が透過されるガラス I:紫外線を透過させるガラス J:この鏡は光を反射する。 K:この鏡は光が反射する。 L:この鏡は光を反射させる。 M:光が反射する鏡 N:光を反射する鏡 O:光が反射される鏡 P:光を反射させる鏡 E、Lの表現は、ニ格がないけれど、使役表現なのでしょうか?
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恐らく、「(光を)透すこと」と「(光が)透過すること」との混乱が発生していると思われます。 (なお、名詞としての「透過」は文字通り、透り過ぎる、ことで、透すこと、ではありません。) 但し、”+スル”での他動詞化は、一部進んでいる状態と個人的に見ています。 以下、補足を。 酸素透過性コンタクトレンズ、等と使われる「透過」ですが、 酸素透過性 ・・・酸素「が透過する」という性質(=酸素「を透す」)性質・・・を有するコンタクトレンズですね。 性質を有する主体は”コンタクトレンズ”、「透過」の主体は”酸素”であり、酸素「が透過する」コンタクトレンズ、は即ち、酸素「を透す」コンタクトレンズです。 ここで、”酸素透過性”は”コンタクトレンズ”を修飾するひとかたまり、と認識した受け手側としては、「透過」の主体まで”コンタクトレンズ”とする解釈がでてきます。 そこで、酸素「を透過する」コンタクトレンズ、とはなんぞや?→酸素「を透す」コンタクトレンズ、である。よって、「透過する」=「透す」と捉えてしまうことになると。 これらの積み重ねから、「(光を)透過させる」意味でも、「透過する」が通用するようになってきているのではないでしょうか。 それが現実に定着化したものが、まさに「反射」です。 名詞としての「反射」は、(光が)弾き返されること、です。 (鏡による・鏡での)光の反射、などと使います。 しかし、動詞としての「反射する」については、鏡が光を反射する、の表現は充分市民権を得ています。 「反射」の英訳語として、reflectionが当てられますが、厳密には不正確で、reflectionは言ってみれば、「反射させられること」に相当します。動詞形のreflectは、他動詞なんですよ。「(光が)反射する」ではなくて、「(光を)反射させる」の意味です。 反射行為の主体に着目すると、「反射」:弾き返されているもの(光など)が主体、に対して、reflection:光等を弾き返しているもの(鏡など)が主体、となっています。 科学技術・サイエンスの輸入に伴って、英語圏の科学用語に対して日本語をあてなければならなかった過去(現在も)がありますが、reflectionに対しては「反射」とやったわけです。reflection = 反射 と。 更に、それらの動詞形、reflect = 反射スル としてしまうのは容易いです。 (もちろん、本来は、be reflected = 反射スル だったわけですが) 英語圏の人間が、常に他動詞(的に)用いている言葉ですので、次第のその訳語である反射(する)も他動詞的扱いに馴染んで、現在では定着化がほぼ完了していると見ていいでしょう。 更に、反射は次のステージに進みつつあるかもしれません。 即ち、名詞「反射」の意味として、「(光を)反射する事」の許容です。 「反射」は複合名詞としてよく使われます、反射板、反射光。 この「反射」は、「(光が)反射する、板」というよりは、「(光を、)反射する板」、と認識されることが多いのでは無いでしょうか。 板が主役ですので、後者の解釈はもう防ぎようが無いです。 実は、「反射」は中国語では、他動詞です。反対に射出する、ですから。 本来的な意味では、「~を反射する」で正しかったわけです。 しかし、「反射」を中国語から輸入する際に、弾き返される対象を主体としたようです。日本語では、固くしまった蓋・箱を開けるときに、蓋・箱が勝手に開いたわけでは無いにもかかわらず、「蓋・箱が開いた」等と言いますよね。特殊な場合でない限り「蓋・箱を開けた」は使いません。このように、日本語は(動作の)対象を、主体とする構造を好む傾向が有ります。 対象に変化を起こした、より、対象に変化が起きた、とするわけです。 他の例:茶碗が割れた、水がこぼれた (中国語を母語とする方の、日本語習得の難しい部分の一つ、と伺っています) これが、理由になるかは分かりませんが、 「反射」は、中国語においては、(光を)弾き返すこと、日本語においては、(光が)弾き返されること、となってしまっています。 ある意味で、原点回帰ですね。 言語間の相互作用、って感じでしょうか。 これ以上は、言語学を学び・研究されている方の領分かと思いますので、そちらに預けます。
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- Ishiwara
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科学技術翻訳をやっています。 もともと「透過する」「反射する」は、古い日本語にはなく、科学技術上の必要によってにわかにできた翻訳語であって、最初に翻訳にあたった人が細かい規則まで決めたわけではありません。ですから、現在「ゆれ」があったとしても、おかしいことではありません。 確かに、用法によっては、多少の違和感がありますが、現在無秩序に流行している色々な語と比べれば、不快感を覚える程度ではありません。 透過と反射は、物理学上非常に重要なが概念であって、これらが「対等に」扱われることが、日本語にとってハッピーなことだと思います。したがって、私は「反射」にとって許されるすべての活用が「透過」にとっても許されることを希望します。
お礼
ありがとうございました。
- kzsIV
- ベストアンサー率53% (238/446)
A:私は机を移動した。 「移動する」は他動詞。 B:私は机を移動させた。 机が移動する。「移動する」 は自動詞。 透過する、という動詞は一般的でないので、判断できませんが、自動詞だとしたら C:このガラスは紫外線を透過する。 は、ガラスが紫外線を包み込むようにして通過する、というニュアンスです。 C:ガラスは光を通過する。 × D:ガラスは光が通過する。 ○ E:ガラスは光を通過させる。○ F:光が通過するガラス ○ G:光を通過するガラス × H:光が通過されるガラス × 光に○ I:光を通過させるガラス ○ J:この鏡は光を反射する。 反射する は他動詞 K:この鏡は光が反射する。 反射する は自動詞 L:この鏡は光を反射させる。 反射する は自動詞 M:光が反射する鏡 反射する は自動詞 N:光を反射する鏡 反射する は他動詞 O:光が反射される鏡 反射する は他動詞 P:光を反射させる鏡 反射する は自動詞 E、Lの表現は、ニ格がないけれど、使役表現なのでしょうか? 彼が行く。 行くは自動詞 自動詞の使役化は他動詞に準ずる ↓ 私は「彼が行く」ことをさせる。 私は 彼を/彼に 行かせる。 彼が本を読む。 「読む」はヲ格支配の他動詞 ↓ 私は「彼が本を読む」ことをさせる。 私は 彼に 本を 読ませる。
補足
ありがとうございます。 「通過する」あるいは「透過する」を 他動詞として、使えないのでしょうか?
お礼
詳しい説明ありがとうございました。