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大阪城の石垣の色の変化
先日、大阪城に行った時に気付いたのですが、石垣の石の色が一定の位置で変化しているのです。 一定の位置とは、お堀の水面から10メートルくらいです(あくまでも目測ですが)。水面から10メートルまでの石垣の色は白っぽいのに、10メートルより上にある石垣の色は茶色っぽいのです。同じ石でも水面から10メートルを境に下の方が白っぽく、上の方が茶色っぽいのです。(わかりにくい説明ですみません・・・) 私の勝手な解釈で「昔はお堀の水位が今よりも10メートル程高く、ずっと水中にあった石は日に焼けず白っぽいのか?」としてますが、本当はどうなんでしょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さいませ。
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質問者が選んだベストアンサー
「大阪城の堀の水位が一番上がったときは、質問者様が見た時より10メートルくらい上がったこと」が示されているのではないでしょうか 大阪城の堀の水は、どこかの川とつながっているはずです。よって、川の水位の上下の影響を多少なりとも受けるはずです。大阪城が建設された数百年前には、川にダムなどはなく、川の流量(水位)を人為的に管理する方法はありません。全て自然任せでした。台風などの大雨が降れば川の水位は上がり、その水は * 堤防のないところから低地へ流れ出す * 堤防を越え、あるいは堤防を破って、堤防の向こうへ流れ出す * 川とつながっている大阪城の堀の水位を上げ、あるいは溢れさせる といった結果になったでしょう。大阪城自体は、台地の上を選んで建設されていますので水害の心配はありません。 大阪城の堀の水位も、今より変動が激しかったはずです。大雨の際に堀の水位が上がり、石垣が濡れて乾くことが繰り返されたでしょう。そういうことが何百回と繰り返されれば、石の色が変わっても不思議はありません。
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- onbase koubou(@onbase)
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色の違いが生じたのはANo.1の回答にあるように水堀の水位の変動によりかつて水の中にあった部分が水面上に出てしまったためです。 水面上にあると風雨・紫外線などで風化し変色します。普通の川原石でも割ってみると表面と中身の色や質感が異なります。 水の中にあるとそうした風化がすくなく、また藻なども繁殖するので切り出された当時に近い色となっているのだと思われます。
大阪城クラスになると、石材を単一の石切り場だけで、まかなっていないので、石の材質も違いますが、それとは、関わりがないでしょうか。 土台になる石と、上に積み上げる石では、材質が異なるなど、あるのでは、ないでしょうか。
お礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。 久々に大阪城に行き、石垣の色の変化に「?」となりましたが 「そうだ!OKWaveだ!誰か教えてくれるはず!」ということで質問させて頂きましたところ、 buchi-dogさんがすぐにわかりやすいお答えを下さり、ホント感激です。ありがとうございました。