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メディアでの、「教しえる男」と「教わる女」
テレビなどメディアでの男女ペアで出演するパターンのある場合、教えるのは常に男で、教わるのは女という図式になっているようです。 ex. ○ドライブで運転してその場所の知識をひけらかすのが男で、助手席でそれを聞いてうなずいているのが女 ○無知な秘書役が女で、男が所長で専門家 などのパターン これに慣れてしまうと違和感がなくて余計怖いのですが、ちょっと退いて考えてみると、実に不自然ではないでしょうか? なぜこういうパターンばかりメディアは好むのでしょうか? そして、セクハラだといって立ち上がる女性団がいないのはなぜなのでしょうか?
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- pokoperopo
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失礼ながらジェンダーとセクシャルは違いますので、セクハラではないでしょうね。質問者様はジェンダー(性差)について指摘されています。ですからあるとすれば、女性差別ですね。 とりわけ男女の性的役割には、おっしゃるとおり類型的なものが多いようです。特に男性は博識を示したがる傾向があり、女性は感覚的に物事を捉え受動的な傾向があるため、こうした演出が通例化したと思われます。 例に挙げられた演出が頻繁に見られることは、私も時代錯誤的だと思います。しかし大多数が強い違和感を抱くまではこの傾向は続くような気がします。このような状況で女性団体が声を挙げても、肝心のマスコミが自ら演出を見直さなければならないので、大きく取り上げられることはないと考えます。
- hunaskin
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>セクハラだといって立ち上がる女性団がいないのはなぜなのでしょうか? そりゃそうですよ。 それはセクハラ、じゃありませんからね。 でも安心してください。 男が教え女が教わる、とか男が先生で女がその助手、とかの図式は社会的性差を助長するものだとして問題視されています。 特に教育番組や公的機関のパンフレットなどにおいてそのような役割分担が性に固定化したような表現の見直しが進んでいますよ。 また、そういった動きに反発する声も当然ですが存在します。
お礼
問題視はされているのなら見込みはありますかね。 まだ、類型化でいいというのが多数派であることが問題なのでしょう。それはつまり、不明というか頑迷というか尊大というか、とにかく世の中の愚鈍さと腹黒さを表現しているように感じます。
お礼
そう、差別の問題です。 大多数は違和感を抱かないということ、それだけ類型化が一般に通じていることということのようです。当の女性はあまりいい気分ではないと思われます。