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西洋の思想に於ける直観とは

東洋の思想に於いて「直観」的思考は、仏教に代表されるように重要な位置を占めていると思われますが、西洋の思想に於いてはどのように捉えられ、解されてきたのでしょうか。 カントの純粋理性批判においては 直観的把握と分析的思惟によって認識作用が成り立つ、とも書かれているそうですが、これも西洋思想の一つの流れなのでしょうか。 東洋と西洋の比較も含めてご意見お願いいたします。

みんなの回答

noname#100496
noname#100496
回答No.1

直観の思考は、西洋と日本では正反対です。西洋は自然と人が対立していて、自然を論理的に分析して征服しようとして、科学が発達しました。だから西洋の直観は科学や論理です。日本人は逆に、自然と融合しようとします。参考は日本人の脳、大修館書店、角田忠信著、です。世界中で日本人だけは、大自然の心、情緒、癒しに敏感で、理解してます。だから自然の情緒で、心を癒そうとします。そのために自我が発達してないので、個がなくて内とか外とか、自分を表現する言葉が多いとか、甘えを多用したり、場による集団意識とか、また脳の思考によるストレスに敏感です。だから日本の伝統文化は、脳を休ませて心の癒しを追求しています。西洋の文化が自我、自己表現を追求してるのと、正反対です。だから日本人の行動パターンは、人に物をあげる時つまらない物ですがという粗品、遠慮、控えめ、受け身の言葉の多用、言葉のコミニケーションより、しぐさなどの意心伝心、論理的思考を避ける、生活に、間を入れる事が多いなど、これらには理由があり、すべて日本人が、心の癒しに敏感なので、心が癒される状態をつくるための行動です。だから日本人の直観は自然の情緒、心の癒しに向けられます。陰陽原理では、脳の科学文化の時代の、次は自然の情緒による心の癒しの時代です。

noname#88701
質問者

お礼

幅広い見識からお答えをいただきまして誠に有難うございました。 おっしゃられるように東洋と西洋とでは思想から文化に至るまでの違いが、確かに見受けられます。 しかしながら大変恐縮ではありますが 直観の思考、そのものについては洋の東西を問わず、同じ人としての共通した精神構造に基づく思考体験として捉えられるような気がしてならないのです。 それが西洋と東洋とで正反対だとは、とても思えないのです。 大局的な見地に立てば、思想や文化・芸術・生活にいたるまで様々な違いはあるのでしょうが、その事が人としての基本的な精神性の違いのある事にまで及ぶのでしょうか。 私は小文でしか読んでおりませんが カントの純粋理性批判における認識作用の内の直観と分析についての記述は深く納得のゆくものです。 哲学や思想以前の精神の基本的な働きのあり方において、このような考察がなされた事を私は他に知りません。 相対的なものでは無く、普遍的な事として受け止められるものです。 私が普遍的と思う事(直観)が西洋の哲学史の中で、どのようなものなのかを知りたいと思っているのです。 西洋にはキリスト教に代表される宗教があり、中には神秘主義的なものもあるのでしょうが 私はそのようなところに、話しの逃げ道をつくりたくないとも思っています。 お答えをいただきながら、大変失礼な事を申し上げました。 ご無礼をご容赦ください。 お答えをいただいた事には感謝いたしております。 ありがとうございました。

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