ジークムント・フロイトの精神分析になりますが。「本能」と呼ばれているものは、「生理的要求」または「生理的な発動行動機構」のことだと理解しないとなりません。
「本能心理学」という、何でも「本能」があるという心理学説がありましたが、これは否定されました。例えば、「闘争本能」とか「恋愛本能」とか、「蓄財本能」とか「殺人本能」とか、「発明本能」とか、馬鹿馬鹿しいものだと、「掃除本能」「入浴本能」「飲酒本能」「美食本能」とかです。
「わたし、もう部屋が少しでも汚くなると、掃除したくなるの。これって本能なのよ」とか、「あの人の金を貯めることの熱心さは、本能的なものだ」とか、「一日、汗を流して働くと、入浴したいと本能的に思う」とかです。「不倫本能」とか「窃盗本能」、「虚言本能」とか、無限に作れます。(教えてGOO質問本能、回答本能、管理人の削除本能なども作れます)。
そんな無限に本能があるのはおかしいので、これは、基本的な生理的要求などが本能で、それに文化的なヴァリエーションが加わって、色々な要求が生じるが、文化的部分は、生理的本能が基礎にある、文化的行動と解釈すべきだということです。
生理的本能とは、空腹・のどの渇きを満たしたいとか、セックスしたい、気持ちよくなりたい(快楽が望ましい)、痛みや苦痛から離れたいなどです。
広い意味で、これらは、「快楽・快さ」を求めるものだとして、「快楽本能」が人間にはあるとするのが、フロイトの理論の基本です。
人間の心にあって、快楽を求めてやまない本能的な「わたし」がいる訳で、これを「エス・イッド(それ)」と名付けました。しかし、エスの快楽を求める要求は、無限に拡大され、反社会的、反道徳的、反倫理的なものでも、求めるので、これを抑制しないと、社会人として生きることは困難です。
自分の快楽のため、人からものを盗んだり、女性を強姦したり、殺人をしたりは、社会的に許されることではないので、心のなかに、そういう反社会的行動を規制し抑圧するメカニズムがあるというのが、フロイトの理論です。
この「規制し、抑圧するメカニズム」を、「超自我」と言います。
この快楽を無限に求める、反社会的とも言えるエスと、それを規制する超自我のあいだにあって、エスに従って、快楽を求めようとして、超自我に抑制され、社会的な行動を行う主体が、自我(エゴ)であるということになります。
不倫の場合だと、他人の奥さんとセックスしたいとエスの要求があり、超自我が、それは倫理に反すると規制するのですが、しかし、結局不倫を犯してしまったとき、自我は、エスの要求を満足させ、快楽を手にしますが、超自我が、おまえは反倫理的なことをした、と責めます。本能と社会性のあいだの葛藤ということになります。
人間の行動の色々なケースで、この快楽を求める反社会的なエスと、社会性を体現したような超自我のあいだで、自我の行動の実際が決まって来ます。人は、社会性を内面に持っているのです。
これはフロイトの理論ですが、簡単な欲望の本能のケースでは、このエスと超自我のモデルが、本能と社会性の関係をうまく表現しているとも言えます。(もっと難しい問題があって、このような簡単なモデルでは、人間の心は説明できないのですが、本能と社会性なら、この理論が適切だとも言えます)。
お礼
とても分かりやすく、大変参考になりました。時間が無かったので、諦めていたのですが、こんなにも分かりやすい回答をもらえて感謝しています。