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ノルウェーの森
質問するのを少々ためらっていましたが、思い切って、お尋ねします。 実は、ある(いけ好かない)人に勧められていたもので、敢えて手にとるのを避けていたのですが、村上春樹氏の作品『ノルウェーの森』です。 実は、このあいだ、文庫上下巻2冊を、書店でイッキに立ち読みして読了しました;^^A もちろん超スピードですので、粗筋を追う程度でしかなかったのですが、すごく疑問に感じてしまったことがあります。 かの作品中には、ふつうの家庭で育った女子大生や、お嬢さま育ちの上品そうな女性たちが、はっきり彼氏として付き合っているわけでもない男性(主人公)との、(やたら)性的な交渉の描写が出てきますが、その場面で、(やたら)男性器の名称やら性的戯れの名称をアカラサマに言ってのけるので、読んでて思わず心のなかで 「いまどきの時代でも、フツー、お年頃のカタギの家庭の お嬢さんが、目の前の男性に向かって、ここまでアケスケなこと言わないでしょ!」と、違和感を感じてしまいました。 皆さんは、違和感など お感じになりませんでしたか? あるいは作品中の、当時の若者の風潮が、こんなものだったのかしらんとも思いましたが。。。 やはり男性の作家だから、ということもあるのでしょうか? 村上氏の作品については、けっこう賛否両論あるようで、その文体にも独特なものがあるように聞いていましたが、そのあたりについては、私としては拍子抜けしたくらいに、案外、違和感もなく読めました。決して嫌いではないです。と言って、特に好き、というほどでもないですが 『スプートニクの恋人』とかも読んでみようかと思っています。 他に、オススメの作品がありましたら、教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
村上春樹のモノは、『ネジマキ鳥クロニクル』までは小説、エッセイを含めてそこそこ興味・関心をもって読んできましたが、「スプートニクの恋人」がつまらなかったので、その後は読んでおりません。 でも、「海辺のカフカ」は面白そうなので、そのうちに読んでみたいと思っています。 >「いまどきの時代でも、フツー、お年頃のカタギの家庭の お嬢さんが、目の前の男性に向かって、ここまでアケスケなこと言わないでしょ!」と、違和感を感じてしまいました。 こういう反応は、質問者さんならずとも、少なからぬ読者が共有する違和感だと思いますよ。(但し、春樹チルドレンは除く。) それは、何もこの作品にはりませんが、村上がセックスに託する意味や、セックスに認める意義や価値と、質問者さんが抱いてきた性意識・セックス観との間には大きなズレがあるからではないでしょうか。 たとえば、昔から小説には恋愛が主題として好んで多用されてきたかと思いますが、もし小説家が一人の男なり女なりの人間性、性格、正体なりをリアルに描こうと思うなら、ただ詳細に個人の生活や心情を描こうとするより、恋愛における男なりや女なりが示す姿勢、態度、振る舞いを描くだけで、個人の特徴をはるかに鮮明に浮き彫りにできるのではないでしょうか。 同じように、セックスの場では、男女が身体のみならず、互いにめいめいの心の世界を素裸にしないと成立しませんから、ある意味、セックスにおいてこそ、もっともリアルに男女の人間性や内面世界が露呈しやすいと言えるのではないでしょうか。 セックスついてわれわれ凡人の知っていることなんか、実は自分の生きている時代・社会の常識的な通念を反映した面ぐらいでしかないような気がします。 残りの無数のセックスの側面についてはほとんど未知のままなのではないか、自分の理解できている面なんて、ほんのわずかでしかないのかもしれない、ただ、自分が何を知らないかまではなかなか自覚できないだけなのではないか、と思われてなりません。 で、村上春樹ほどの作家になれば、われわれ読者が気付いていない、セックスに関するもっともっと多種多様な意義や真相についても深い理解ができているはずぐらいに思っても、さほど大きく間違っていないと思います。 なお、読書をしている時間、小説家と批評家ならぬ一般の読者とは、確かに共通の言葉を媒介にしてつながっているのですが、それと同時に、両者の言葉の使用法や理解の深度、多様性という点になると、両者の間には、読者が想像できないほど大きな落差や隔たりがあるのかもしれません。 >他に、オススメの作品がありましたら、教えてください。 『ネジマキ鳥クロニクル』はそれまでの彼の基本姿勢を改め、新たに現実世界(歴史)と交叉しようとする意欲を前面に押し出した大作でありますから、その意味では問題作であると言えるのではないでしょうか。
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- blazin
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この作品が爆発的にベストセラーになってしまった事で逆に彼の捉え方や批評が一面的に踊ったり、先行しすぎたんですよね。 そういう状況に辟易して彼は一層日本のメディアに対して距離を取るようになった。 内容は至ってシンプルなんですよ。そして根本は恋愛。 内閉からの回復と恋愛関係、三角関係がメインですから。 そういう意味で恋愛小説、という事を彼がチラッと言った事が 大きい括りで捉えられてしまった。尚且つ本の緑と赤の装丁がクリスマスに見事に嵌って売れ方を半端ないものにしてしまったんですよね。 お勧めは「国境の南、太陽の西」「アフターダーク」「海辺のカフカ」ですね☆
お礼
早速の御回答、有難うございます。返事が遅れまして失礼しました。 >爆発的にベストセラーになってしまった事で逆に彼の捉え方や批評が一面的に踊ったり、先行しすぎた ああ、なるほど。。。 爆発的なムーブメントを起こしたものって多かれ少なかれ、そういうことになりやすいのかもしれません。 「辟易して距離を取」りたくなるのも理解できるような気がします。 これは、むかし聞いたことですが、有名な作家のかたが おっしゃったには、いくつか小説を発表するうち、熱狂的ファンなのだかストーカーなのだかわからないような人が ずうっと つきまとってくる、というのを多くの小説家は経験しているのだそうです。 >チラッと言った事が大きい括りで捉えられてしまった。 こういうことは、注目を浴びる人物であるほど、起きやすいことなのでしょうね。 >内容は至ってシンプルなんですよ。そして根本は恋愛。 あ、そうですよね、猛スピードで読み終えましたが(笑)最初、先入観で構えてたようなフクザツさもなく、案外さーっと読めたのでした。 >内閉からの回復と恋愛関係、三角関係がメインですから。 「回復」には、登場人物の一人、レイコさんでしたっけ、彼女が主人公に言って聞かせた最後のことばが、とても重要だったように思います。 >尚且つ本の緑と赤の装丁がクリスマスに見事に嵌って売れ方を半端ないものにしてしまった そうですか、クリスマス シーズンに売り出されたのですか。 私も、表紙カバーの色が、なかなかキレイだなと思いましたが、そういえば緑と赤という色の組み合わせは、性的な意味合いを表すのだとか聞いたことがあります。 >「国境の南、太陽の西」「アフターダーク」「海辺のカフカ」 何につけても、ハヤリだとか もてはやされるされるものは あとまわしにする傾向が私にはあるので、もしかしたら村上作品についても、しばらくは そういう状態になるかもしれません。でも、読むときには参考にさせていただきます。いずれも評価が高いみたいですね。
補足
作者村上氏御本人を中心に据えた御意見、参考になりました。 装丁の裏話も興味深く感じました。 お勧めいただいた作品は、探してみるつもりです。 重ねて お礼申し上げます。有難うございました。
- EFA15EL
- ベストアンサー率37% (2657/7006)
確かに彼の作品では性に対する恥じらいみたいなものは蚊帳の外に置かれています。理由は分かりませんが、それは彼が生きて来た時代(学生闘争の時代であり、フラワームーブメントの時代でもある)も関係あるでしょう。そういう空気感って彼の作品に限らず、セックスを取り込んだ小説では良く出て来るとは思いますけどね。 ただあそこに出て来る人物達はいろんな意味で「普通」ではありません。それは小説なのですから仕方の無い事でしょう。 彼の作品全体で言えば、ノルウェイの森は異色と言えます。文体もそれまでの作品とは違いますし。 今やノーベル賞候補常連にまでなった大御所作家ではありますが、やはり人気が高いのは80年代~90年代の作品ですね。この作品に加えて、「羊3部作(4部作)」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」には非常にファンが多いです。 スプートニク以降は徐々に描いている世代と彼自身の感覚がずれはじめているなあ、と感じます。まあ、目指すは総合小説(ドストエフスキーを例に挙げてました)だそうですので、そろそろ集大成となる大作が出て来るかも知れませんが。
お礼
早速の御回答、有難うございます。返事が遅れまして失礼しました。 >フラワームーブメントの時代 サイケデリックとか、ヒッピーとか言ってた時代なんですね! >ただあそこに出て来る人物達はいろんな意味で「普通」ではありません。 あ、そういえば、精神を病んでる女性たちが出てきましたっけ。 >彼の作品全体で言えば、ノルウェイの森は異色と言えます。文体もそれまでの作品とは違いますし。 >スプートニク以降は徐々に描いている世代と彼自身の感覚がずれはじめているなあ、と感じます。 よく御存じなのですね!たくさん読み終えられたのでしょうか。 >「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」には非常にファンが多い そうらしいですね。私に勧めてきた人も、この作品を話題にしてました。 >それは小説なのですから仕方の無い事でしょう。 それもそうですね。好みの問題ということになるのかもしれませんが、私は、小説なんかは中途半端にリアルさが損なわれていると思うと、とたんにシラケ気味になる傾向が実はあるのかもしれません。ファンタジーものとかは、あまり読んでこなかったです。けっして嫌いというほどではないのですが。むしろ、徹底的にブッ飛んでるくらいのほうがスカッとして好きなんですけど。。。 ドストエフスキーは、むかしから大好きなんです。私にとっても最高峰に位置する文学です。 とても参考になりました。
補足
御回答いただき有難うございます。 『ねじまき鳥クロニクル』これも、まさに賛否両論のようですね。 『スプートニクの恋人』つまらなかったですか。同性愛的な方面に全く関心がないからというのもあるかも、という感想を述べている人もいましたが。 「春樹チルドレン」なんて名称があるくらいなのですね。私に最初、勧めてきた人も、そうとうなファンのようですが、チルドレンなんて可愛らしい言い方よりは「春樹かぶれ」「春樹気どり」というほうが正確のようです。実際読んでみて思いましたが、村上氏に大いに失礼だと(笑) >村上がセックスに託する意味やセックスに認める意義や価値と、質問者さんが抱いてきた性意識・セックス観との間には大きなズレがあるからではないでしょうか。 ええ、なにしろ2巻イッキ立ち読みですから(笑)あとになって、村上氏の性的描写には、単なる現象や行為を描写する以上の深い意味を含めているものらしいと気がつきました。 そういえば、私は、これまで恋愛小説というものにも、どちらかと言えば興味が薄かった。 確かに私個人としては、性的なことがら、というよりもセックスという行為じたいを軽視している側面があるのは確かです。しょせん食事や排泄と同じ、という感覚です。そして食事、おいしいものを楽しんで味わうことは大いにするし、したいことではあるのですが、いわゆるグルメと言うのでしょうか、薀蓄を傾けたりし始めるような、あまりに凝るような状態になってくると一転、滑稽だ、という感覚があります。 こうした軽視感覚は、実際の恋愛というものに対しても向けられるときがあります。一種のレクリエーション感覚です。恋愛もセックスも、自分が渦中にあるときは非常に抗いがたい独特の感覚を大いに味わいはするのですが、どこかしら、凝る、溺れる、崇拝する、特別視するということを滑稽に感じる自分がいます。(御指摘のお陰で、かつて、こうしたことが影響を及ぼしていたかもしれないことが2、3思い当たりました) 恐らく、幼少時から強烈に直面させられてきた、間接的、直接的併せた、性的なことがらいっさいに対する深い嫌悪感が潜んでいるのかもしれません。そのことが、かえって軽視を促すことに繋がっているかもしれないです。 そして、スポーツ感覚のようなセックスに比べ、むしろ、こうした感覚のほうを嫌悪してきたかもしれません。幼い頃からです。 >セックスの場では男女が身体のみならず、互いにめいめいの心の世界を素裸にしないと成立しませんから、ある意味、セックスにおいてこそ、もっともリアルに男女の人間性や内面世界が露呈しやすいと言えるのではないでしょうか。 う~ん、これについては私としては少し異論があります。 単に現実の肉体をもって行うセックス行為、ということについては、「心の世界を素っ裸に」しなくても、じゅうぶん可能だということです。言い替えれば、心に衣服をまとったままでもできるのだ、ということです。 からだは許しても心は許さない、なんてコトバがありましたっけ。 「真のセックス」とは、いかなるものか、なんていうことを考えるとすれば、これは、なかなか広範囲の問題になってきそうですね。性別や種別すら超えるかもしれません。 無数にある側面について未知である、ということは、セックスに限ったことではないのだと思います。 自分自身についても言えることだと思います。 村上氏の作品は実は、セラピーの効用をもたされているのだという意見を目にしましたが、そういえば、いわゆるボーダーラインパーソナリティとされる人たちにとって、性的なこと、セックスというものは非常に重要な意味を持つらしいです。確かに彼・彼女らの性的なことがらやセックスに対する拘りようは殆ど神聖視に近いほどに大きいと感じていました。奔放なようでいて、実は正反対なのだろうと思います。 >言葉の使用法や理解の深度、多様性という点になると、両者の間には、読者が想像できないほど大きな落差や隔たりがあるのかもしれません。 これは小説家と読者の間に限らず、一般人どうしの間にも、じゅうぶんにみられることかと思います。 なかには自分が書いたものをみて首を捻ることもあるようです(笑) たいへん参考になりました。 (字数制限のため補足欄を使用しました)