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哲学部の人の進学の経緯
私自身哲学部なのですが、あまりの没交渉なためにサンプルがとれず、みなさんに質問です。 よく、人は皆哲学するもの、というフレーズを聞きますが大半の方は人生の荒波にもまれて紆余曲折したもっと先でのことのような気がします とすると、哲学部の学生は10代で人生の荒波にもまれて紆余曲折した悪い意味で早熟な人なのか、とすれば中にはそういう人もいるかと思いますが単に本好き、とかマイノリティな学部に進むことで快感を覚える意識的な変な人、とか他学部に行きたかったけど落ちた、とかいう真の意味で哲学してない人も多いみたい?です。 私は容姿にコンプレックスがあり、今の人格形成にかなり影響したので(この問題では主観なので私を分析しても一部分しかわからないのがネックですが)同じ種族の人は…と思いきや、その劣等感から翻弄されてる人もいたりして、ルサンチマンを抱えている人ばかりで達観した人に会ったことがありません。(私の交友関係が狭いということでアテにならんのですが) 話がそれましたが、哲学部で本当の意味で哲学できているような方は、過去にどういう経緯があって哲学の道に進むことにしたのでしょうか?その人の性格的な性質?が結構大きく関与してくるような気がするのですが・・・これはどの学部でもそうですけど 頭が悪すぎてよくわかりません。詳しい方、よろしくお願いします。(過去の哲学者をみろ、といわれそうですが周囲の環境が違うので・・・
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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学部として、哲学部を設置している大学がありましたかね。 知りませんでした。 哲学部に入る人は知りませんよ。 哲学を専攻する人、孜々としていそしむ人はたくさんおられますね。 仰せのような学部だと、やはり統廃合した方がいいですね。 経緯ですか、自分の来るところ、捧げ、向かうところ、 根拠と理念。 そういうものの無いものは録りとめも無く、無駄なことだと思ったからですね。 それを人の営為とはいうことができないと、犇犇と痛感したからですよ。はぁっと、感じたからですよ。 そういうことは感じたことが経験であり、何の結果ということではありませんがね。 人たるものは、酔生夢死であってはいけないと思ったかですが。 いつかって?62くらい前かな小3くらいだったかれども。 みんなの毎日をみていて、みんな努力と苦労をしているけれどなぁ。 と思い、それって何なのだろうってね。人生って。
時代は大きな転換期です。西洋文明の、自我の脳の、自己表現の時代は終わりました。2012年から、日本文明の、無我の自然の癒しの時代になります。今からは無我、癒しを追求する哲学の時代です。西洋哲学は自我を追求してます。から無我を追求してるものを列挙します。中国の老子は、脳を否定し、無知をすすめています。仏教は自我を否定し、無我をすすめています。日本の伝統文化は、脳を休めて、心を癒す事を追求しています。世界中で日本語だけ、母音を強く発音します。この母音を発音する時、心の癒しが発生します。だから日本の和風文化は、癒しを追求しています。だから哲学の参考に、座禅、茶道、雅楽、演歌などの和風文化の体験をおすすめします。