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論理の鍛え方
他の友達、講義を受けている学生の方々をみていると、ちゃんと自分の意見が伝えられているのに、自分だけ、相手に伝えることが出来ません。 ここで言う、相手に自分の意見を伝える手段は紙です。 大学の課題に於いて、「述べよ」という自分の意見を主張する問題が多いです。 教授(講師)からは「言いたいことは分かるけど、論理的におかしい」という指摘を時々されます。 そういう指摘を受ける度に、自分は言語障害者なのか?と思ったりします。 論理を鍛える方法は何かないでしょうか?(知識でなく、実践的な方法として)
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まず、無駄な空白改行を多用するような、自己主張(する人がいたとすれば)を恥じるべきです。 そういった人間には、周りにそれを諭してくれるような人物がいないのかと哀れみさえ覚えます。 しかし、それもその人の人格なのでしょう。 論理を鍛える云々以前に、自分自身を客観的に眺めることが出来るようになるべきです。
- wiz0621
- ベストアンサー率42% (182/430)
みなさんがおっしゃる通り、AだからB。BだからC。よってAだからC。 こういう文を書けば、論理的という評価はもらえるのではないでしょうか。 そして、これを成立させるために3つの事に気をつけるといいかもしれません。 (1)前提を何があっても守る。 AだからB。BだからC・・・・こういった話を始める前に そもそもAは正しいの?という話を始めると、論理は破綻します。 Aが正しくないならば、BもCもそもそも論じられないからです。 とてもおかしな響きに聞こえるでしょうが、論理の世界では 前提は常に正しいのです。ボールは坂道を駆け上がる、という前提が設定された のならばボールは坂道を駆け上がるのです。 聖書が正しいという前提があれば、聖書に記載がある 常識的には明らかにおかしい自分の息子を生贄に捧げることすら 正しいことになります。これらの事を正しいと言い切る方法論が"論理"です。 (2)前提に無いことの大部分は切り捨てる とはいえ、我々は感覚的にボールは坂道を駆け上がらないことを 知っていますし、生贄が悪いことだとも知っていますよね。 ですが、論理的思考の下ではこれらの常識を一旦全て排除する 必要があります。 そもそも論理的思考と科学的思考は同じではありません。 我々は知らず知らずのうちに常識に偏った発言をしています。 一方でこの常識というものはとてもあやふやなものです。 自分が当然知っていると考えていることは相手が知らない可能性があります。 一方相手が当然知っていると考えていることを、自分が知らない可能性も ありますよね。 そこで論理で語られる空間は一旦全ての常識を捨て去り "前提"の法則しか存在しない仮想空間のお話を考える必要があります。 そこには科学や道義の観点から間違っていることを指摘する必要すら無いのです。 論理的思考とは単純にA→B。B→C・・・という作業を行うことなのです。 そうやって論理は中立の立場を保っているのです。 (3)記録する。 人間は残念ながら忘れる生物です。ですがA→B。B→C。C→D・・・ とやっていくうちに「あれ?なんでK→Lなんだっけ?」と自分の論理展開を 忘れてしまうことがあります。こうなると、先の「前提を守る」という 最低条件すらクリアできなくなります。つながりを忘れているのですから。 そこで古代の人間は"筆記"という素晴らしい技術を編み出しました。 消えていく可能性のある、自分の記憶以外の場所に記録を行うのです。 こうして過去の過程を見直しすることで、先の2つが守られているかを チェックする。これは論理の大前提だと考えます。
- Butz
- ベストアンサー率14% (70/483)
こんばんわ★ 同じ大学生として少しばかりアドバイスをできればと思います。 他の方が言っておられるように論理的なものに触れるのは大いにありだと思います。 紙で伝えるのだったら紙で練習すればいいのではないかなって私は思います。 例えば何かの読書感想文でもいいから書いてみる。 それの起承転結ができているか自分で赤ペンでも持って修正すれば良いと思います。 論理的な文章はA→B→C→Dってな感じで根拠があるから次の展開に繋がっていきます。 それがA→C→Dって飛んでしまったらわけわかりませんから。 自分の書いた文章が本当に繋がっているかじっくり観察してみれば何か足りないか見えてくると思いますよ。
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
おはようございます、sodokutyanさん。 参考URL 「アインシュタインはなぜサイコロが嫌いだったか?」 http://www.k-hosaka.com/kashimura/ain.html [かわら版の情報社会] http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999news/02/20307.html
- ruehas
- ベストアンサー率68% (816/1194)
こんにちは。 たまたまもうひとつのご質問に参加させて頂いたのですが、質問者さんの場合は論理がおかしいのではないです。はっきり言まして「論理が常に飛躍している」です。このため、「言いたいことは分かるけど……」という指摘を受けるんです。ですから、別に間違っているわけじゃないです。きちんと説明できていないだけなんです。 どの文章にもこれが見られます。だいたい言語障害だなんて話が飛躍し過ぎでしょ。これは質問者さんの癖ですね。 言葉を喋るときについ後先が逆になってしまう、このようなことは誰にでもあります。ですが、文章を書くときには考える時間というのがあるのですから、もっと落ち着いて注意を払うべきです。 三段論法や起承転結、基本的なことは行っていますか? 誰でも知っていることですが、文章を書くときにこれを意識するかしないかで結果はずいぶんと違います。まして、質問者さんの場合は論説を間違えているのではなく、手続きを怠っているのですから、このような訓練はぜひとも必要です。これだけでもレポートなどの作業はかなり改善されるはずです。 本を読んで知識を身に付けるだけではなく、それを自分の言葉で噛み砕き、頭の中で整理して下さい。これをやりませんと、結論を予測できてもきちんと説明することができません。 質問者さんはどうして結論を先走りしてしまうのでしょうか。 ふたつの質問文からの抜粋です。 >学生の方々をみていると >自分だけ、相手に伝えることが出来ません。 >自分は言語障害者なのか? >自分の語彙力の少なさ、 >哲学知識の少なさから、 >幼稚な発想ですが、 質問者さんの心の動きが手に取るように分かります。 このようなことを連発するのは、これは「理由付け」です。 このようにあれこれと言い訳を付けて安易に問題を解決しようとしてはいけません。分からないことは考えて、ひとつひとつ矛盾を埋めて下さい。これを怠って答えを出そうとしますので、結論がみんな飛躍してしまいます。 何でも知っているひとなんてこの世にいません。まして学生さんなんですから知識はこれから幾らでも身に付きます。焦る気持ちは分かりますが、手続きを怠って答えを出そうとしてはいけないです。
全体の情況については 分かりませんが ひとつの別の見方を提出します。 ★ 教授(講師) ☆ を怒らせては 元も子もなくなりますが――そこは うまく 振る舞ってください―― その論理力について 疑ってみてもよいのではないでしょうか? ★ 他の友達、講義を受けている学生の方々をみていると、ちゃんと自分の意見が伝えられている ☆ と あなたは 認識しておられるわけです。つまり ★ 論理力 ☆ は あるわけです。自信を持ってください。教授といっても ピンからキリまで いますよ。 という他の極へ振り切った回答を 用意しました。論理においても 人格の問題としても 最良の読解と判断を下してください。 * どの言語も 論理を表わすのに適していないということは ありません。その言語が 情感を表わすのに 語彙がゆたかで 他の言語よりも ふさわしいということは あるかも知れません。
元元日本語は論理的では無いです。情緒や癒しを表現するのが特徴です。だから外国語、英語で書いたら論理的になると思います。
「言いたいことは分かるけれど、論理的におかしい」というのは、「言いたいこと」(意見・結論)に至るまでの筋道(論理)がおかしいということではないかと思われます。 教授(講師)から、時々、そのような指摘をされるということですが、それを理由として、あなたの論理力がない、と断定的に言うこともできないのです。僕は論理力がない、と言ったら、でも、時々はおかしいと言われないのでしょう? それなら、あなたは論理力があるわ、と反論されることがあるかも知れません。反論の余地がある、ということですね。 それに、と言って、あなたの論理力がある証拠を沢山挙げられたら、あなたは論理力がある、ということになってしまうかも知れないのです。それが、No.2の方が書かれていた、「無意味な文章に意味を持たせることもできる」ということでしょう。「実践的な方法」としては、やはり、おすすめされた本など、論理について書かれたものを読んでみるのがよいのではないかと思われます。
- tyr134
- ベストアンサー率51% (851/1656)
>教授(講師)からは「言いたいことは分かるけど、論理的におかしい」という指摘を時々されます 多分、文章力の問題でしょう。 大学では、必ずしも正解の無いような問題が出されます。 また、「あれか・これか」のような単純な選択問題で無いモノも良くあります。 そうした問題を考えていると、文章の最初の方と最後の方で矛盾点が出てきたりする。 そうしたときに「言いたいことは分かるけど、論理的におかしい」という事態になります。 >論理を鍛える方法は何かないでしょうか?(知識でなく、実践的な方法として) アマゾンなどで「論理学」で検索してみてください。 トレーニング用の本なんかも多数出てきますよ。 で、お勧めなのは以下の本です 『論理トレーニング101題』(産業図書) 野矢 茂樹 (著) 内容は、高校レベルの国語の文法的知識から、順接や逆接などの論理の進め方など、論理的思考を鍛えるのに丁度良いですね。 最初は、トレーニング部分を読み飛ばして流し読み。 二回目から、わかりやすそうな所から例題を解いていく。 で、3回目・4回目とやっていくと、徐々に論理的な文章の書き方が身についてきますね。 それ以外なら、多くの本(哲学書・学術書)を読みこむことです。 そうすると、論理的な文章がどういった構図になっているのかが分かってきます。 さらに身に付くと、つっこみを入れることも可能になってきます。 まぁ、気長にやればそのうち身に付きますよ。 「論理的な文章」なんて、所詮テクニックですから。
- old_sho
- ベストアンサー率38% (20/52)
おかしいと時々指摘される程度であるのに「自分は言語障害者なのか?」とは思い込みすぎでしょう。その辺に「論理」の飛躍があったりしませんか? それはさて置いて、平凡な方法が良いのではないでしょうか。大学の課題で自分が特にデキが良かったもので、友人と相互に論文の批判会を持つ、というのは如何ですか。見解の異なる二者でのやり取りがよいでしょう。大学とか高校で、公開の場でなされるナントかというものです。 論理というのは結局人を説得させる話の筋というものでしょう。事改めて「論理を鍛える」のではなく、自分の思っていたことが、相手にちゃんと伝わったかどうかを確認し、その表現をチェックする。取りあえず、それで十分ではないか? ーーここでの回答では、いつも質問者の意図を外していますが、この手の質問は色々ある方が良いでしょう。
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