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この文章の論理性について。
唐突ですが、なにかを実行して それに対しての批判があるとします。 その批判(意見)に対して、「そんなに、批判するなら最初からやらなければいい」とか 「そんなに、嫌ならやるな」、また 何か失敗をして謝ると「謝るくらいなら最初からするな」。 これは、原理的に不可能じゃないかなと思います。 ある主張に対して、その主張自体に反論するのではなく 相手の姿勢や気持ちに対する見解だと思うのですが、この文章の論理性についてご教授願います。
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1.「そんなに、批判するなら最初からやらなければいい」 : 一緒に何かを実行している仲間同士の会話なのでしょうが、たとえば、次のような内容が想定されます。 「方法論についての批判ならわかるが、この実行内容の根本的な目的に関してそんなに批判するなら最初からやらなければいい、という理屈が成立するのではないだろうか。そんなこと(=実行内容の根本的な目的など)最初から理解しているべき事柄だろう」 このように、 「そんなに批判するなら最初からやらなければいい」 は、 「そんなに批判するなら最初からやらなければいい、という理屈が成立するのではないだろうか」 という意味に解釈できる場合は、特に非論理的ということにはならないと思います。 しかし、単に方法論についての批判であるような場合は、批判内容に対する反論に窮したため単に難癖をつけているにすぎなくなるので、論理性は伴なわないでしょう。 2.「そんなに、嫌ならやるな」 : これは、「そんなに、嫌なら今から以後はやるな」と解釈すれば論理的と言えます。 「そんなに、嫌なら最初からやるな」であれば、1と同様です。 3.「謝るくらいなら最初からするな」 : これは非論理的な発言です。 こういうことを言う人がいるので隠蔽体質が蔓延するわけです。
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>「謝るくらいなら最初からするな」。 これは分かります。原理的に不可能(実行してしまったことは元には戻せない)です。 >「そんなに、嫌ならやるな」 (実行者A(嫌がっている当人)に批判者Bが言った言葉)ならOKです。よく言います。 >「そんなに、批判するなら最初からやらなければいい」 実行者A(批判されている当人)が批判者Bへ言いかえした言葉なら意味が不明です。仰るとおり論理性が成立していません。 「そんなに(今になって)批判するなら、最初から、やらなければいいといえよぉ」 といえば原理的に不可能ではあっっても、感情的には理解できます(開き直り:もうやらねえからな!今後は)。もちろんAとBとの人間関係は破綻しました。
- akatsuki_0
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#1さんと同じく、どういう状況なのかいまいち分からないところですが、少なくとも主張自体でなく相手の姿勢や気持ちに対する見解を言うことは一般に論理と関係がありません。字面だけに注目した場合の整合性を問うのが論理的な営みでしょう。
- neKo_deux
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> 「そんなに、批判するなら最初からやらなければいい」とか > 「そんなに、嫌ならやるな」 > 「謝るくらいなら最初からするな」 途中でやめる/謝るくらいなら最初からやらない方が良い、取り掛かる場合は最後までやり通す意気込みでやるべきだ。 って、意気込み、やるべき論、だったら何で最初に話を受けたの?って話だと思います。
- Mokuzo100nenn
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>「そんなに、批判するなら最初からやらなければいい」とか 日本語が少々難解です。実行の主体と批判の主体が同一人物なんですか? 自己批判なら何も矛盾はないでしょう。 >「そんなに、嫌ならやるな」 これはなにも矛盾しておりません。 >「謝るくらいなら最初からするな」 これは、「謝るくらいなら次回からするな」の言い間違えです。 貴女が論理性を質す文章はどれなんでしょうか、具体的な文章を一つに絞るか、もう少し論理的な質問文に校正していただけると助かります。(質問文の雰囲気から「あなた」というときに女性系の貴女を使いました)