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近世の大阪の町人文化について
近世の大阪の町人文化について 具体的な内容とともに、その特質についてなにか知っていることがあったら教えてください。 また、こういったことが乗っている参考文献、参考サイトも同時によろしくお願いします。
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【商業の町 大阪】 政治は江戸、商業は大阪と言うように、江戸時代になると、 米、塩をはじめ各地の物産が大阪に集まり、大阪は商業の町になった。 鴻池、淀屋など商売が上手な大阪商人と言われる人も大勢出現した。 そんな商業の町、大阪の人々をじっと見ながら、面白いと感じている二人の男がいた。 その二人とは、俳諧師の井原西鶴であり、商人の出でありながら小説の道を めざした上田秋成である。 【西鶴、秋成】 俳人の西鶴は見てきた商人の生き様を書いた。 浮世草子「好色一代男」「日本永代蔵」「世間胸算用」などを書いた。 西鶴の死後、暮らしに不自由のない秋成は文芸の道にはいり、 怪奇の小説「雨月物語」、当時の世相を書いた「書初機嫌海」を世に出した。 【浄瑠璃と近松】 大阪の町人達は遊里と芝居小屋での歓楽を楽しみ、そこから浄瑠璃と歌舞伎が 生まれることになった。近松は浄瑠璃の台本、歌舞伎の台本を書き、 義理人情の世界を表現した。 【町人文化】 和歌、連歌、能楽が貴族、武士の伝統的芸能文化であったが、 小唄、浄瑠璃、歌舞伎は町人の伝統的芸能文化である。 それらは大阪の商人、町人らが作り出した文化といえるであろう。 商業の発達が民衆、町人の伝統的芸能文化を生み出したといっても過言ではない。 こんな風でいかがでしょうか。
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- nyozegamon
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回答No.1
↓をご参考に。
質問者
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます