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曹洞宗は何故、公案を使わないのでしょうか?
曹洞宗は何故、公案を使わないのでしょうか?
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noname#100496
回答No.3
先日、禅の道元の、映画をみて、はじめて曹洞宗の事をしりました。私が癒しについて、気づいた事から判断すると、脳が思考活動してる時は、大自然、仏性と人との、交流が遮断されるので、ストレスになります。脳が休んだ時は、人が大自然の心、仏性と、交流するので、癒されます。科学的には、脳波を調べたら分かります。だから座禅は、脳の思考活動を休める事で、仏性になる事だと思います。
- fuwapoyo
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回答No.2
不立文字云々と言いながらも、曹洞宗のお坊さんと話していると理屈っぽい人ばかりですよ。 曹洞宗には『正法眼蔵』があるので公案を用いる必要はありません。 手段も目的も本来“不二”です。 公案も只管打座もどちらも悟りの姿です。 わたしは一般人ですから詳しいことはわかりませんが。 そーそー、常連の回答者に曹洞宗のお坊さんがいましたね。
質問者
お礼
『正法眼蔵』があるためですか。参考に成りました 御回答有り難うございました。
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6719)
回答No.1
不立文字 只管打座と申しまして、 曹洞宗では、言語よりも実践を重んじます。 理屈ではなく、ただひたすら座る。 「大目的のための小目的は、すでにその 現成である」という言葉があります。 つまり、悟りを開こうと座禅をしている姿は すでに悟った仏の姿だということです。 座禅は悟りへの手段ではなく、最終目的だということです。 すでに到達しているのに、公案をひねくりまわす必要は ないのです。 http://www.oguradaiclinic.jp/untiku/page774.html
質問者
お礼
有り難うございます では何故、臨済宗では公案を使うのでしょうか?
お礼
参考になりました 御回答有り難うございました。