「我 把所有的台詞 都 記住。」と「所有的台詞 都 記住。」
●把構文と目的語主題化構文
皆さん、毎回、丁寧な回答を有難うございます。質問しながら考えている状態なので、また、記載制限のために十分意図が伝えられず、不明確な質問となって何時も申し訳なく思っています。
さて質問です。
「我 把所有的台詞 都 記住。」と「所有的台詞 都 記住。」のニュアンスの違いは何でしょうか?
自分ながら推測するに、
○前者は動作(処置)を強調 :「すっかり記憶したんだよ」、所有している台本を。
※ ゆえに文法書で、(1)目的語は特定されていること、(2)動詞も補語等で修飾されていることと記述されているのかな?結局、(1)や(2)もその目的は、動作を具体的なイメージ化すること。その具体的な手法の一つということかな?
○後者は目的語を主題化し強調:「その所有している台本をね」、すっかり記憶したんだよ。
という感じなのでしょうか?
以上の理解の間違いを御指摘頂ければ。
お礼
皆様ありがとうございました。知り合いの中国人にも聞いていたため、レスが遅くなりました。 やはり記得は、過去にすでに見聞きしたこと、すなわち「憶えている(記憶にある)」ことのようです。 "忘れないでね!"の意味の、念頭に置いておくことや気付き(英語だとremind的な)の意味の「覚える」では、記住を使うようです。 例:イ尓記住哦 覚えておいてね 現在の日本語では辞書をみると、憶えると覚えるが同じように扱われてしまっているようです。