• 締切済み

自殺を忌避する殺人的行為が蔓延るこの世界で生き延びるための処世術について

先ほど、どうすれば自殺できるような精神状態に持っていくことができるかという質問をしましたが消されてしまいました。 実は今、自分はそのようなことを考えることでなんとか生きている状態なのです。 いつでも自殺できると思えることが自分が生きていく上での最大の処方薬になると思うからです 自殺願望をもつ人なら分かると思いますが この国では そういう苦しい状況のとき 「死にたい」 「どうすれば死ねるかなあ」 と相談しても まともに取り合ってくれる人が少なすぎるが故に自殺願望者は 「誰も分かってくれない」→「自殺」 という短絡的な結論に陥ってしまうと思うんです。 つまり生きている人はみな犯罪者ですよね。 人をこうやって殺してくんです。 聞きたいことはそのような犯罪をあなたたちは自覚してしているのか。 ということと、 あなたたちはこのような大多数の犯罪者が蔓延るこの世界でどのように生き延びてきたのかということです。 少々過激な質問ですがまだ20ですし、自分が将来生きていくためにこのようなことは知るべき必要なことだと思いますので多めに見てやってください。

みんなの回答

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.17

自分を理解していない人は犯罪者だと言うならば、他人から見ればあなたも犯罪者。 自殺願望を持っているなら私も同じだが、私の場合、時間をかけて楽しく実行に移す。旅行に行って、生前葬をしてパーティをして。 私があなたと違うのは自殺すら楽しむ。私にとって自殺は目標であり目標に向かって楽しく努力をする事は登山の趣味と同じような物だろう。 いかに、他人と違ったユニークな自殺をするか。私の第一計画は日本海溝の最深部に気を失ったまま飛び込む事だ。海流やダイビングポイントの決定、確実な気絶法、潜行、移動手段。様々なハードルがある。自殺補助に人を巻き込みたくないからすべて一人でしなくてはならない。壮大なプロジェクトだ。うまく行けば日本が滅びても白骨化した私の遺体は数千年そのままだろうし、やがてはマントルに引き込まれ誰も行った事の無い地球の奥底にいける。すばらしいでしょう? なぜ、あなたははすぐに死なないのか?行きたいから無理矢理他人を否定する事で自己の存在を確かめているだけではないか。 いつでも自殺できると思うなら苦しい今をあしたも行う事は無い。 親の保護で出て行く勇気もなく、感謝するでも無く、人を蔑む。 そもそもこんなところで繰り返し質問する事が生への執着であり人にかまってほしい現れだ。

  • nyon-tan
  • ベストアンサー率15% (58/381)
回答No.16

>つまり生きている人はみな犯罪者ですよね。 一緒にすんな(゜д゜) いちいち同情引こうとかすんじゃねえよ そういう奴にいう事は唯一つ 死にたきゃ勝手に黙って一人で死ね ま~たけされちゃうね(ノ・∀・)ノひゃっほい

noname#91067
noname#91067
回答No.15

人生、世界を熟慮の末、行動の採択として自殺する人は居るようです。 しかしそのような達観に到る人というのは知性、感性豊か、なこともあるようですが、冷静に探究する哲学者には少ないようです。 主に文学、絵画等に秀でた芸術家に多いようで、芸術的な情熱と成熟した感性が必要なのかもと思います。この厭世観(えんせいかん)に因る自殺というのは鬱状態(好きなことも出来ない状態)とも違っているようで、普通一般に通る理由があるのかないのか、常識的なものなのかもわからない。わかる人にはわかるのでしょうが、それが犯罪者がよく寝てよく食べて生きるのに必要な見極めとも思いません。 人によってある「幸福」と「喜び」。それぞれも違います。 幸せは、取り入れられる、利用できる、与えられるべきものと思い込んでいるもの。信じてもらえること。=受動相 喜びは、自分の中から出す、与える。使われることを求め、信じると表明すること。=能動相 各人で幸せと喜びの比率は違いますので、いくら犯罪がなくならなくても幸せも喜びも沢山持っている人も居れば、罪悪感ばかりで幸せも喜びも、どちらも持ち合わせがない人だっています。コンプレックスとか飢えが原因とも反動とも限らないのですが。運の平等を夢見るのを「ユートピア思想」と言いますが…。運を物質の平等に重ねるのは土台無理です。 若さは同属にとって貴重、異属にとって警戒の対象です。誰からも悩ましい存在となります。いずれ経験を積んで立派な普通の大人になれるはずです。

回答No.14

 thymosさんは何かの病気ですか? そんな印象を受けました。 例え病気で無かったとしても、弱っている事は感じます。  人は人によって生きる希望を見つけたり、傷ついて絶望の果てに死を選んだりすると私は思っています。  確かに犯罪者と感じる事は有ります。でも、殺したいくらい憎らしい人でも、あんな奴が何故と思えるような人でも生きていますね。何故自分がこうなってるのかは結果であり経過ですよね。先は判ってないのですから。  私の最初の知人の死は、近所の17の女の子でした。何故その選択をしたのかは今もわかりません。でも、やはり彼女が選択したのだと思います。ご両親はその大きすぎる傷を背負って今も生きて居られます。高齢になりながらも。  血縁では、お婆さんとおじさんが無くなりました。高齢と病気と聞いてますが、選択肢が他になかったのだから、thymosさんの指摘も言えるかもしれません。  仕事仲間では、私にお金を借りに来ました。確か2~3万だったと思います。困ったようだったので貸しましたが、2~3週間との約束でした。勤め先に聞いて判りました。今風に言えば不倫から発展した結末と聞いています。  一昨年は、同僚が無くなりました。24年間の仲間でした。家族にも(無論奥様にも)伝えないまま行方不明の結果が死でした。お金のトラブルとも聞きました。本当のところは判りません。その事に気付かなかった人達全てが犯罪者と思います。でも家族もそうでしょうか?被害者でもあるのです。  それから5ヵ月後に仕事を止めました。止めた理由は“家庭の事情”ですが、私は独り者です。簡単に言えば“トカゲの尻尾切りです”結局のところは、このような組織の体質ですね。でも、私は死んでないです。復習こそしませんが、そんな下らない社会に負けてたまるかと思っています。この先50年もすれば、私も居ませんが、誰も生きては居ないだろうと思います。そんな事より自分を大事にしたいと思います。それが、本当の意味で生きる事じゃないのかな。そう思っています。唯、黙って生きてる訳じゃなく、thymosさんの様に問題意識を持って生きる事ですよ。それが生きる支え(生きている今現在の意味)になると思います。  今日は雪が降っています。今年初めての真冬日です。でもね、これから先には晴れた空もあります。ジッと信じて辛抱しているとその時が来ると思いながら生きてみましょうよ。答えに成ってないかも知れませんが、私もある意味犯罪者だと思いながら、反省もしながら生きています。

noname#80116
noname#80116
回答No.13

 ★ 実は今、自分は 《どうすれば自殺できるような精神状態に持っていくことができるか》を考えることで なんとか生きている状態なのです。  ☆ これは 死を欲する心があって それに抗するためにしているということでしょうか?  ★ いつでも自殺できると思えることが自分が生きていく上での最大の処方薬になると思うからです。  ☆ でも ひとは 《いつでも自殺できる》のではないですか? 死を欲していなくとも 自死をえらぶ場合もあるかも知れません。  ★ わたしは 《自殺願望をもつ》者だが 人よ 《まともに取り合って》欲しい。どうして 《分かってくれない》のか。  ☆ という訴えでしょうか。  ★ わたしの中に起こるこの自殺願望とは いったい 何なのか。それについて おしえて欲しい。また その克服の仕方をおしえて欲しい。  ☆ という訴えではないのですか?   まづは じっくり その願望をにらみつけてやることから始めるのかも知れません。ただ 専門家の処方箋があると思います。  そして 同じくまづは どういうことを聞いて欲しいのか しっかりと ご自分の中で まとめてください。それを尋ねてくださいませんか。

noname#88701
noname#88701
回答No.12

私の体験だけでお答えします。 私も若い頃には、空しい、死にたいと思っていた時がありました。 いったい何が何のためにあるのだろう? そう思いつづけて暗い時間をすごしてきました。 その疑念は、年をとった今も消えたわけではありません。 また、他人を恨み、妬み 救われない自分を感じつづけてきたものです。 でも、今の自分には、若い頃には感じとれなかった事があるのです。 それは、与える喜びです。 若い時には、いろいろな物をいただいたり、助けていただいても 素直にありがとう、という感謝の気持ちになりきれませんでした。 でも、年をとるにつれて、不思議なもので 人の情けというか、心づかいが身に沁みて感じられるようになってきたのです。 言葉ひとつ、小さな物ひとつでもありがたく思える時があります。 そして、自分も人に優しく何かを与えてやって 相手が喜んでくれた時には、自分もうれしいものです。 その相手が人であっても、動物であっても、或いは植物であってもです いつのまにか気がつくと そんな、与える喜びを知っている人が 自分の周りにゴロゴロといっぱいいたのです。 神様や仏様とまではいかないまでも 周りの人をいい人だなと思えるようにもなってきました。 高齢で執着心のない人なんかでは、もう与えたくて与えたくてしようが ない、そんな感じの人もいます。 そんな、与えるよろこびを少しづつ知ってからは 暗い気持ちにとらわれる事も、段々になくなってきました。 あなたからみれば、ただ年をとったのに過ぎないと思われるかもしれませんが 私自身では、これで良かったのではないかと思っています。 与えることを知れば、与えてくれる人の心もわかります。 同じ苦しみを知っているならば尚更です。 人生の処世術、なんて決まったものはないと思っています。 処世というより、少しでも人に与えていくところに 自分も明るくなれる道があるような気がします。

回答No.11

先ほどは 昼休みにて、 急いで書きすぎたかと思います。 自動車社会のように、のっぴきならない判断を こうしたネット文にて必要とされるわけじゃないです。   もっと ゆっくりと 質問文を読んでじっくりとした回答もできる、というところもあるんです。 ただ、けして普段 人に無関心でなくても、 それぞれなかなか大変な時もあることは知っておいてください。 もうひとつだけ、 私の方からは、書いておきたいことがあります。 それは 自殺は必ずしも最大の不幸とは言えないということについてです。 ほんとうに不幸な時もあるでしょう。 しかし、では 次の私の体験をどう思われますか? 私は 子供の頃、何度も重い肺炎で死にそうになったことがありますが、 その中でも特に苦しい肺炎が 肺胞が一つ一つつぶれていく種類の肺炎でした。 息ぐるしいなんてものじゃなくて、 文字通り息ができないまま、でも死ねないんです。 やがて、どうがまんしようにも限界がきても、それでも死ねないし苦しさのために気を失うことも出来ない意識状態なんですよ。 そんな時に、私は 医者が「後三日の命です。」と両親に告げてるのを聞きました。 右の肺胞が全部つぶれ、左の肺胞も、もう残り少なく もう どうしようにもない、もって あと三日です。  というふうにです。 意識はたしかにもうろうとしていましたが 私はそれを聞き逃しませんでした。  そして、  そして、 その時の 死への恐怖は、はっきりいってそんな状態の苦しみさへ越えていました。 詳しくは 話せません。  が、私は 落下事故でこんな体験とかもしています。  実は気がついてからは痛かったのですが、 頭を打たなかったので助かったのですが 落下直後、まだ体が浮いている時に見た景色がおもしろかったです。 畑が逆に映っていて、その瞬間には何が起こってるのかわからず、 つまり恐怖さへなく?なんで景色が逆さまに見えるんだ(これ 瞬間的なために体が逆さまになったとは感じなかった現象?)とふと思ったところで私は気を失っています。 もしそのまま頭を 下のコンクリートに打っていたら私はその時、気を失ったまま死んでいたのかもしれません。  一瞬の逆さまの景色が最後の意識だったのかもね^^。 私には そういう両極端な死の一歩手前の体験が 実はほかにもいくつかあります。 そうすると、 そういう体験をしたことのない人の死のイメージの世界はそこから逆に正しく推理できてしまったりします。 死を簡単に考えてしまって ちょっとしたわがままとかで自殺してしまう人もいるはずだということが見えるように解かってしまうということです。 そんなの甘えといわれてもしかたないでしょ。 そんなんではない自殺だってたくさんあるんですから。 人の孤独を馬鹿にしてるんじゃないんです。 私は 死の床での孤独の世界を知っています。  じっくりその中に入ってゆけばそこには親もいません。 言葉でなんかかけない苦しいとさへいえない 地獄です。    今 生きてるんならば 希望を失わないでください。 どんな時にもです。 どんな孤独でつらい時にもです。 そして、真実を求めに求めてください。 やがて価値とか意味の世界が見えてきます。 そんな体験をしたからこそ見えてくる世界とかもあったりします。 だから生き抜いてください。 ほんとうは、対話をしたいです。 でも書くにくいなら無理はしないでください。 一方的ですが 私は それはそれとして、本気で言いたいこといいますね。 生き抜いて欲しい。 生きて生きて生きて生き抜いてみて欲しい。 それこそ自殺なんていつでも出きるんですから。 20歳、まだまだこれからですよ。 私たちも みんな、いや多くの人が すこしでもいい社会をつくろうとはしてきました。   それは勉強してみればわかります。 マスコミがひどい といっても、その裏にはさまざまなすばらしい真実の報道や番組づくりの努力の歴史もあったんです。  みんな、そんな感じです。  今のあなたの状態がかなりのどん底ならば そんな時こそわかるのは こういうふうな本物の世界も人間の世界にはあって、 人への感謝の気持ちに気づけるということなんです。  わたしがそうでしたからね。 疑って疑って 懐疑でいっぱいになったときに、 逆の本物はあるんだなと気がつきました。 感謝の気持ちでいっぱいになりました。 そうしたら、 確かに無関心な心に対しては懐疑は残りましたけど、 そうでないなら人の酷い言葉とかも 無関心ではない証拠だな^^とも受け取れるようにもなりました。     むしろ疑ったからです。 人生何があるか解からないです。   希望を捨てないでください。 そして、 どうせならば 一生懸命生きて、自分自身こそ、本物になってください。 その道は長いかもしれません。 でもいつか自分自身で生きる意味を見つけることができるようになるでしょう。 もう一度言います。 期待していますよ。  あなたのような人をこそです。 お元気で、  体の健康もすべての扇の要みたいなもんです、 その要がなくなったら、全部ばらばらになってしまったりもします、 お体も大切に。    もし、うつ病とかがあればですが、 共通項は、自分を非難しがちなところと言いますから、 そこは気お付けるようにしましょう。 いろいろ 年寄りは書きたくなりますが、  人は結局 一人で強く生きてくっきゃないんです。 あなたなら大丈夫です。  がんばってください。 私も がっばっていきてますから^^。

  • raphael7
  • ベストアンサー率35% (11/31)
回答No.10

自殺というのは、間接殺人です。 完全に証拠が残りません。 今、科学の世界ではこの極悪非道な事件を立証、検挙する為に研究が進んでいます。 あなたの中で時々イメージがわく人物などいませんか? 大体はメガネ(コンタクト)をかけている人物です。 つまり目が悪い。 自殺はあなた自身の問題ではありません。 その背後には「人」が必ず存在します。 日本語以外の言語で思考を転換させてみてください。 簡単なフレーズでいいのです。 そうすると日本語で物事を考えるよりも軽くなりませんか? この方法で軽くなったという方が99%います。 つまり、特定の人物より生霊を生じさせられ、それに罹っている事をこの研究は指します。 人の形をしたモノには、生霊を自由自在に出せるモノがいます。 死神の正体です。 解決方法は言語を転換させることです。 今は飛行機のチケットも安くなりましたので、陰鬱なエネルギーを一時的にも海外へ向けて発散させてみてください。 きっと考え方がかわりますし、私の言う、言語の重要さがわかると思います。 悪魔のいたずらに、惑わされません事思います。 気分は良くなります。必ず。

回答No.9

対話を求める、と書きましたが、61歳じゃ気が引けてしまうかもしれませんね。    普段のリアルな場では、小学生とだってもし交流が持てたら 友達みたいになってしまう性格なんですが、 ネットじゃ顔とかも見れませんからね。 わたしの方も、これだけの質問文で、そちらの心の内とか まして今までの人生とかわかりませんから、 その意味でも自殺のようなテーマでの回答は対話が一番と思えていたのです。 そちらの書かれてる>処方箋<と書かれてる表現の中身には興味がありますしね。 おそらく私のように生きてきた者には参考になる内容であるはずだと思ってます。 * わたし自身たしかに忙しい身ですが、 また肉体労働者は時として大変きびしい状況となる時もありますが、  これが今の日本の状況の経営者となると、心労でいまにも倒れそうになりながらそれでも前に進むしかなく、もしかしたらさらに努力しても 自分の家族のみかほかの大勢の家族をも路頭に迷わすような事態への不安をかかえ、 そんなふうに生きてる人たちも大勢いるわけです。 ですので、ふつうなら、自殺? 甘ったれるなよ。 という考えになってしまうのも理解してください。 大勢の人が必死に生きているのですからね。 また、自動車の免許は、今の時代には取ったほうがいいでしょう。 その面の能力 方向感覚とか あるいは反射神経とかが極端に鈍い人とかもいますが、  私の場合は その反射神経の鈍さや不器用さにくわえ、ちょうど車の運転に必要な距離感覚が無かったもので、 なんとなれるまでに仕事で毎日のように使いながらも1年以上かかりました。 この苦労は簡単に おはなしできるようなものじゃないです。 そうでない場合は、それなりには苦労するかもしれませんが、なんとかなるものです。  その車社会では、 まあ、出きるだけは譲り合いとか親切も必要なのですが、  たとえば ここで相手に道をゆずってあげたら、相手は喜ぶだろうけど、かえっていい気になり 後で事故を起こすようになってしまうかもと^^、本気でおもえたりすることがあります。 つまり、親切になんかしないほうがいい場合もたくさんあるんです。 これが 一瞬で過ぎ去ってゆく中で判断しなけりゃならないので、 自分がすこしでも心身にユトリが無い時は、特に親切はしないようにしています。 そうでないと、 横から来た車に道を常に道をゆずってしまったりしてると、、後ろから来ていた車に衝突されるという危険さへあります。 普段の 私たちの生活には、実はそれ以上に利己的にならざるを得ない時もあります。 そんな時に、 無関心にされたからといって、 あなたのように>人をこうやって殺してくんです。< と書いてしまったら、  多くの  一生懸命生きてる人は腹をたててしまうのは当然です。 そこは 思いっきり書いてみるということは なんであれ若い時には必要だったりもしますが 失敗でしょうね。 ただ、 人と人との間で それでも一番大切なことは 無関心こそが冷たいことだ、とか無関心こそが人の弱った心をさらに傷つけることがあるとかいうことを よく知っておくことは大事なことと思います。 あなたが、深くある人への共感とともに感じていることはとても大事なことなんです。  人間の未来にむかっても大事なこととさへ言えます。 あなたの場合は、わたしのようなわりとたくさんの人と付き合いたくさんの経験をしてきた人間から考えると、 それが人にすぐ通じるかはともかくひょうきんなところもある 明るい心まで持ってる人と思えます。 文自体が暗いことを扱ってても それを感じさせるのですから 本来はかなりユーモアのセンスとかもある人と思います。 まだまだこれからでも、いろいろな可能性のある人だと思います。 いろんなやつといろんな酒の場でもおつきあいしたり、話し合ったり、だべりあったり、 いろんな体験をしていってください。 こんな感じの気持ちでありつつ、そちらはなぜか 人生勉強の意欲も失っていません。  そこもすごい長所です。 時間が無いので ここまでですが、 がんばってください。   期待してますよ。 ^^(絵文字がうまくなくてすみません^^)。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.8

死ぬのは自分の意思だといいながら 原因は他人にあると言うわけか 今のご時勢、精神的、心理的弱者には生き難い世の中だろうけど プライド無いのかね。

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