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処世術について

どうすれば、面白く生きれるか? お願い致します。 何か、面白い体験談等あれば、幸いです。 気が向いたら、書き込んでくださいね。

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回答No.3

 まず、人の目や世間体を気にしない事ですね。こういうものに捉われていますと、行動や発言を制約されて著しいストレスを溜め込むことになります。では、制約された代わりに見返りがあるかといえばゼロで、些細な事でも叩かれる要素さえ持ってしまえばいつでも、待っていましたとばかりに個人や組織を叩き潰そうとするのが世間体であり人の目なのです。要するに、世間体と言うのはストレスを持った集団がそのストレスの捌け口を探しては叩いて解消しているという陰湿なものなのですね(本当は少し違うのですが)。  その上で、やりたいことをやって生きて行けば、楽しいと思います。世間体を気にしなければ、やれることの範囲が信じられないほど広がります。  一例としてあげますが、例えば、supercannonさんが歌手になりたいという願望を持っていたとします。本当になろうとすれば、地方在住なら上京の必要もあるでしょうし、定職を持っているなら時間確保のために辞職しなければならないですし、その他にも色々なことを実行しなければならないでしょう。  では、仮にその全てを実行したとして、人々や世間体とやらはどのようにsupercannonさんのことを言うでしょうか。  恐らく、ただの馬鹿扱いか、無謀な夢を見ているといった中傷の言葉しか返ってこないでしょう。温かく見守ってくれる人などごく少数で、その人達ですら、心の中では、多分、失敗するのではないか、と思っていることと思います。  世の中に出て、成功を収める人達の大半は、普通ではない選択をした人達なので世間からは必ずそういった中傷を受けていた時期があるのでしょう。でも、そういうのを無視して行動したからこそ、成功があったわけで、世間体なるものは百害あって一利なしですね。

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noname#5270
noname#5270
回答No.4

すばらしい回答の中に私が飛び込んでいって良いか解りませんが……気が向いてしまいました。(笑) ども!気まぐれwant-my-pcです。m(_ _)m 「面白く生きる」コレは大まかに2種類あると思います。 『ちびまる子ちゃん』て、ありますね。 あの中の「はまじ君タイプ」と「山田君タイプ」です。 はまじ君タイプは、人を面白がらせるタイプです。 教室で笑いを取らないと、彼は夜も眠れないかも知れません。(笑) まぁ「はまじ君」にも色々いる訳ですけどね。 根っからの 自然体はまじ もいれば、 身を粉にして、蔭で血の滲む努力をしている ど根性はまじ。(笑) 後者だと本人はかなり辛いハズですが、どちらもみんなから さぞ重宝される事でしょう。 山田君タイプは、勝手に面白がってしまう人間です。(笑) 「ワーイ! OKweb(教えて!goo)は楽しいじょー!あはははは」(笑) て感じですね。(笑) 重宝されるかどうかは兎も角、本人は さぞ幸せな人生を送る事ができるでしょう。 ワーイワーイ、あはははは!(笑) まぁどちらが良いとかではなく、面白いに越した事はありませんよね。 本当はもう1つ、徹底的に人の不幸を嘲笑う生き方というのもありますが、 コレは……ね。(笑)

  • kee_yan
  • ベストアンサー率42% (38/89)
回答No.2

思うところがあり、投稿させていただきます。 長文になりますがご勘弁ください。 「面白く生きる」とは、即ち「人生に正面から立ち向かい、決して負けない」ということだと私は思います。 実は先日9月22日に、私の父親が亡くなりました。 父は60歳の若さで急にこの世を去ったのですが、息子の私の目から見て、「きっと親父はこの世を楽しみきって天寿をまっとうしたのだな」と心底思えます。 父は今回、脳出血で倒れ、それに伴う心不全で亡くなったのですが、実はちょうど7年前にも同じ病気で倒れたのです。 7年前に倒れた時は、厳密には今回の出血箇所よりも深刻な場所だったらしく、医者に言わせれば「良くて植物状態」という状況だったのですが、父はその強靭な生命力を持って病魔を完全に克服し、それだけでも医者は「奇跡という他に言葉が見つからない」と言っていたのですが、その後も後遺症をことごとく克服し、父は事業と営んでいたのですが、3年後には完全に職場復帰を果たしました。 多少の体の衰えはありましたが、それでも事情を知る人から見れば「ものすごい回復力や」と驚嘆し、父は人間の生命力の偉大さを、身を持って証明したと思います。 その7年前の病気から亡くなった日まで、実にいろいろなことがありました。 中小企業にありがちな「一から十まで自分でやる」型のワンマン自営業者だった父が病気で倒れたので会社は混乱をきたし、当時その会社のイチ従業員だった私が古参の従業員の協力を得て、22歳の若さで社長代理として奮闘すること2年余。しかし知識も経験も絶望的なほどに足りず、結果的に会社は破綻し、数千万の借金を作る結果になりました。 それを受けて父は、「俺もいつまでも療養なんかしていられん」とばかりに、病体を押して徐々に仕事に復帰するようになり、その後、私を代表者として新たな会社で新出発を果たしました。 数千万の借金はその後、多くを法的整理を施したのですが、それでも2千万ほどの負債を抱えての出発でした。 しかしそれも、およそ3年間で半分以下にまで返済をすることができ、残った負債も多くの面で返済計画のメドが立ち、父が亡くなる数日前には私に「あと2年で完済しよう。その時は本格的にお前の時代やぞ。」と言っていました。 結局、父は私に幾許かの宿題を残しはしましたが、それでも7年前に倒れたことに伴う諸問題のほとんどを解決し、またその間3度の病魔を完全に克服し、きっと本人が一番望む形でこの世を去りました。 今となっては私は、父は自分の意志で寿命を7年延ばしたのだとさえ思います。 先ほど書いたような事業や経済的な課題もそうですが、この7年の間に、それまでほとんど家に帰らず音信不通に近い状態だった私の兄(つまり父にとっては長男)が実家に戻ってきたこと。 私のひとりの息子と姉の二人の子供・・・つまり父にとって3人の孫に・・・出会うことも叶ったこと。 一見するとまるで健常者と変わらない状態にまで後遺症を克服することもでき、今回倒れたその日も私と共に仕事をしていたこと。 数え上げればキリがありませんが、きっと7年前では思い残しがあったのでしょう。その後の7年間でそれらをことごとく解決しきって、家族全員が見守る中、天命をまっとうしたのだと思います。父の人生はきっと面白い人生だったのだと、私は息子として確信しています。 長々と私的なことばかりで申し訳ありません。 最後に、私が父から教わり、私自身の座右にしている言葉を紹介します。  艱難に遭うことが不幸なのではない  艱難に負けることが不幸なのだ  故に艱難に立ち向かう勇気をもつこと  それ自体が幸福なのである

noname#5973
noname#5973
回答No.1

わたしは、 同じ出来事があっても,「面白いわ!」と思える人は面白い人生をおくるのだし, 「こんな不幸!」と思ってしまう人には 人生は おもに だろうと思います。 3000円の食事をして,それが大変美味しくなかったとします. 「お金は払いません」と苦情を言う人, 「3000円あれば つぎは、自分はもっと美味しい物を作って見よう」 とおもうひと、 「コストパフォーマンスが悪い。適正な価格は...」と計算する人, 「こんなにまずいなんて、どんな風に作ってるんだ?」と厨房を観察する人, 「これほど美味しくないって珍しい」と面白おかしく他人に話す人, ウェイトレスが好きになっちゃって かようひと, いろいろいると思います. 「面白く生きたい」という選択をした人なら,どんな状況であれ,面白く見えるのではないかと... 面白いことを拾い上げる人だと思います. 予測がつかない出来事が起こる, 自分と全く同じ人生を送る人はいない, 進むことはできるが,戻ってやり直すことはできない. 沢山の面白い人がいる 知らない場所がある これだけでも かなり面白いことだと思うので.

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