• ベストアンサー

小さいに限りはないですよね

質問のカテゴリが曖昧ですみません 小さいに限りはないですよね? 大きいにも限りがないですよね? 意味分かりませんが ネコにくっつくノミがいるとします そのノミにくっつく虫がいて その虫にくっつく何かがいて その何かにく..... ってことです

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.17

おはようございます。 僕もこういう話は好きでよく考えるので、混じらせてください。 大きいも小さいも、限りがないことは明白ですよね。数学的にも間違いないですし。下の方も書いておられます。 それでも論理的に明確なのにこの質問が出るのは、自らの認識能力のことを疑問に感じてるのじゃないかな?と思いました。 つまり、こうやって考える思考や認識能力は、無限を把握できない、という脳の機能そのものの問題点です。 永遠に反復が続く、などという概念は、それを直接脳はイメージもできないしビジョンも描けません。有限の反復を設定してその繰り返し、という形になります。論理を使わないと、無限は頭にも入りません。 人の脳と心の認知機能は、その対象として必ず有限のものだけを選びます。無限は却下です。0も、もちろん何もない、という意味ですから、それは限りあるものではない=有限ではない、という意味で、認識の対象外です。もちろん論理を使って描くことはできますが。 その不思議さがあって質問されたのではないでしょうか? ちがってたら・すいみませんー。

その他の回答 (16)

  • moumougoo
  • ベストアンサー率38% (35/90)
回答No.16

大きさ(小ささ)といった尺度の話と、その対象(物=実在)の大きさ(小ささ)の話が混ざっていると思います。 【1】大きさ(小ささ)といった尺度の延長性といったらいいでしょうか? AはBより小さいということがいえるなら、同様にAより小さいという大きさもある(はず)。 なので、小ささは限りない 【2】一方、大きさというものが、かならず、対象間の比較によってもたらされるものならば、 対象を持ってくる必要があり、対象が無限に存在しないならば、必ず有限の小ささがあることになります。 また、対象が無限に存在するとしても下限が存在する可能性もあります。ゆえに、小ささは限りあるかもしれない (世の中の安定しているものが、有限の大きさを持つからといって、(世の中の安定していないものを構成している)  限りない小さななもの(より小さなものが存在し続けること)の否定にはならないので、  可能性しかいえないと思います。世の中のすべての物が必ず基本的な「素粒子」のようなものからできている、  のであれば、話は違うかもしれませんが) 私は【1】が何ですべての大きさのレベルで「同様に」といえてしまうのか、不思議だと思います。 また、【2】も、もし、最小の大きさがあるとすると、なぜそんな大きさがあるのか不思議です。 ※自然科学としては、大きさの比較方法もあるでしょう(目では見えないサイズなので、何らかの比較が必要です)し、 本当に、基本粒子みたいなものがあって、あるレベルで打ち止めになるのか?など、こちらも面白い話だと思います。

catmeet
質問者

お礼

ありがとうございます 素晴らしい参考になる答えばかりでポイント決めれません

noname#89274
noname#89274
回答No.15

点より眺める空 空に浮かぶ雲 浮かぶ思考 止観し 囚われず 雲に行くに任せれば 心は振動し 宇宙が晴れ上がる 時はある  

noname#89274
noname#89274
回答No.14

数学的な手法の表現で虚数界と実数界として連結させて点滅振動する点を想定はできますが人の死を以って生体に保持されていた心という素粒子が虚数界へ入滅したと表現できるといえば言えなくもない。 数学的に虚数で表現される界があの世という表現にもなりうる。

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.13

数学の指数、対数か、数列、関数の極限と収束の話でしょうか? 昔、こどもが喜んだ「これはノミのピコ」という絵本を思い出しました。 体重1kgのねこに、ノミが1万匹たかって、合計1gだと仮定します。ノミ1匹の体重は、0.1mgですね。そこから先の思考実験は、具体的な物質をさがすのがめんどうなので、十分の一ずつ小さくしていく、規則正しい例題に置きかえるのが、数学のやりかたですね。 1000g、100g、10g、1g、0.1g、・・・無限に続きますが、ゼロにはなりません。 長さが1mのひもを、半分に切っていく問題でも、無限に短くなっていきますが、ゼロmにはなりません。 集合論、無限と連続などのタイトルの本を読んでみて下さい。 物理的、物質世界の話であれば、自然の階層性という、10^8(1億倍)のスケールで、地球上のりんごと、水分子の1億倍、地球の1億分の一が、ほとんど同じ大きさになります。不思議ですね。 それぞれの階層には、法則があります。地球と太陽系などの惑星の運動は、ニュートンの万有引力の法則に支配されています。地球上の物体の運動も、ニュートンの力学でとくことができます。 しかし、分子や原子の世界では、量子力学がなりたちます。 NHK高校講座の理科の番組をのぞいてみませんか? http://www.nhk.or.jp/kokokoza/index.html 数学、社会の倫理の番組に、答えのヒントがあるかもしれません。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/suugakukiso/index.html 「利息の仕組みとローン」 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/ 半径1の円の面積は、πです。有限の値なのですが、その面積を計算するのに、じつは積分の計算で、内接多角形と外接多角形ではさみうちにして、極限をとるという、無限に小さい断片を無限個足し合わせるという操作をしているのです。「無限と連続」大学の数学の、手ごわいところです。

参考URL:
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/index.html
noname#89274
noname#89274
回答No.12

あはは また呼ばれました。 え? お呼びじゃない。。。 パスカルは微妙な振動を大切にした。 デカルトは微妙な振動を感受しなかった。 大きな違いでもある。 ビュンビュンテレポートして定まらぬ素粒子の雲を 止観し心静かに捕らえよ ハリーポッターの試合に出てくる羽の生えたボールを捕まえるように 超弦理論のひもは点ではなくある長さを持つ線分振動子として扱われるみたいなんだけど多分これは粒子の波動性に結びつける策だと思う。 ・自体を隣り合う虚数界と実数界として連結させ点滅振動させ それをつなぐヒモとすれば長さを持たないヒモとみなすことはできる。

noname#89274
noname#89274
回答No.11

無 点 止観 ただ観ているだけの我 我に部分はあるだろうか? 超弦理論によれば素粒子として振動するひも 我想う 微妙に振動し始める琴線 我に部分はあるだろうか? 我思う 我は部分を持ち始めるだろうか? 我考える 我は部分を持ち始めるだろうか? 点は部分を持たない。 身も心も そでふりあうも たしょうのえん たしょうって他生だと思っていたら多生が正しいそうな 諸々のものを生ぜしめる空 そういえば散逸構造論は空観に通じるものがあるように思うのですが どうでしょうか? というところでおしまいにします。 またご縁がありましたら

noname#89274
noname#89274
回答No.10

無? いやいや . にして

noname#89274
noname#89274
回答No.9

おはようございます >なかなか…でもやはり無から出来ていますかね 無の集合体なら今の自分がここにいるのは... おお点になってるではないですか。 その身がでしょうか? その心がでしょうか? 身も心も..? 原子を拡大していったら宇宙が見えたりしてって マイクロ_コスモスのことでしょうか? 確かに原子模型は太陽系のような主星と惑星モデルに似た表現を採用していますが 電子自体素粒子の一種と捉えられていて 超弦理論を採用すると素粒子は振動しているひもとして扱われるので振動数によっては目視できないのかもしれないですね。 また確率的にある軌道上に電子があるというのを採用するとぼんやりと原子を覆う雲のように見えるのかもしれない。 それよりもそれを見ようとする自分自身が素粒子化していくので振動を無視できなくなりそうだし、 確立的にしかその場に存在できないのであるとすると ガタガタと揺れる状態でビュンビュンテレポートしながら観察しなければならないって感じになるんだろうか? だいたいテレポートした先の素粒子がもとの素粒子の意識を維持しているという保障もない。 しかも素粒子自体思考回路があるとはいえなくなるのではないか? ただそのものになる。 無。 生命体となってそれぞれが有機的に関連性を持つことによってねちねち考えてしまうけど 止観すれば直にそこに参入する。 ある公案を携えてそこに赴けば 何かを掴んで帰還するかもしれない。

noname#89274
noname#89274
回答No.8

点は部分を持たない これを言い換えると無限遠に点があるとなります。 これはどういうことかと言うと はるかかなたに点を見とめたとします。 しかしその点に近付くにつれてだんだんと面をもって見えるようになる。 これは点ではありません。 分け入っても分け入っても点。 あるいは拡大しても拡大しても点は認められても部分は持たない。 それが無限遠に点はあるという表現になります。 線は点の連なりとみることができますが 数直線上の点と点の間はぎっしりと点が詰まっていて 数直線上にあるある点の近傍には無限に近接した点があります。 その点の稠密性によって線は連続しているとされます。 線には巾がありませんし 面には厚みがありませんが 同じように稠密性によって連続した空間が数学的には表現されます。 素粒子~無機質~有機質~生命体 ニュートリノとしての点から質量の発生とかはどうなっているんだろう? 僕は無からできているんですか?って なかなか

catmeet
質問者

お礼

なかなか…でもやはり無から出来ていますかね 無の集合体なら今の自分がここにいるのは... 色々な方が答えてくれて様々な意見があります 嬉しいですありがとうございます

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.7

この世の語ることのほとんどはそれぞれの立場から見ているという 相対的な物事の見方によって成り立っているように思います。 大きいも小さいもその人の主観の「軸と決めたもの」の面から見た比較でしかありません。 きれい汚い長い太い… そんな概念があります。 参考になれば幸いです

関連するQ&A