※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「南京大虐殺の検証」という動画についての疑問)
南京大虐殺の検証とは?疑問点を解説
このQ&Aのポイント
南京大虐殺の検証として話題のYouTube動画について、疑問点を解説します。
動画で取り上げられる日記の内容や装備について疑問があります。
また、首切りの描写や他の日記との違いについても注目が集まっています。
題記のYouTubeの動画について疑問があります。
見たところ、冒頭にNNNとでて、右上部にytvとあり、作成はコメント中にもありますが読売TVでしょうか?
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南京大虐殺の検証
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https://www.youtube.com/watch?v=hhQUELDMz8E
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当時の日本兵の標準的な装備は
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13134882823
だそうです。
これに、最低限の着替え等も入るかと思います。
【私の感想】
この動画で、上等兵とされる方等の日記の主として出てきますが、見たところ、全編インクが書きの様です。上記、装備で上等兵が、ペンとインクを持ち歩くものでしょうか?
インクを缶につめるか、瓶詰かわかりませんが、割れたり、漏れたりすれば着替えや飯ごう等の備品、日記そのものにかかってしまい、大変です。
小刀は携帯する様なので当時として筆記具で持ち歩くなら鉛筆ではないでしょうか?
万年筆は当時としては高価ですし、インクの問題が有り動画内では3か月ですが意図的でない限り3か月毎日(7分40秒)と言うのも不自然です。南京大虐殺を意図しない限りもっとあってしかるべきではないでしょうか?
私の父は、満州へ行ってソ連に捕まって強制労働にあって日本に帰ってきました。
便箋と思える紙ですが、途中で出る、緑と赤(8分25秒)のラインは確認できるものの黄ばみも全然ない様に感じます。
そもそも、人を突き刺してこのような感情を持てるものでしょうか?
刀で首をきると言うのも変です。横たわっている死体を日本刀で切るのも不自然ですし、素人が、日本刀で首を綺麗に切ることも難しく、刀が曲がったりすると嫌でしょうから、素人に先祖からの日本刀(そうとも限りませんが)とか、貸さない。と思います。日本刀なら先祖から伝わる大事なものでしょう。
(1)日記について何故、上等兵クラスで鉛筆ではなくインク書き?なのでしょうか?後日に書いたとしか思えません。
(2)日記や日誌は師団長とか上位指揮官とかの地位でないと毎日、日記、日誌を書くのは難しいのではないでしょうか?
(3)個人の日記としても何故、南京大虐殺(南京事件)に限った3か月は毎日なのに以降は一日も無いのでしょうか?もっと長くて、或は大きい出来事の時にあっても良いのではありませんか?
(4)同上日記について、100年位前の紙にしては、最初の見開き(7分39秒)以外黄ばみが少ない(7分40秒以降)気がする?
(5)同上日記について、大切にしていたとしても、ずっと、戦場で携帯し書いたにしては土汚れ等も何もなくきれいすぎる?(7分40秒以降)
(6)刀を借りて首を切った(14分10秒)、とあるが死体か、瀕死の横たわった相手の首をそれも素人が切れるものか?
(7)一人きれば、曲がったり、刃こぼれがあるかもしれないのに素人に刀は貸さないのでは?
(8)この人以外の日記では伍長のスケッチ(29分40秒)以外は残虐描写が無いのは可笑しいのでは?(16分10秒以降)
皆様、(1)~(8)をどう感じますか?
(1)~(8)について、ご意見、ご感想、その他動画について怪しい点があればお聞かせください。
以上、宜しくお願いします。
お礼
ご回答、有難うございます。 >うちの爺さんは招集されて出兵しましたが、遺品を見ていると全部万年筆でしたよ。 >上等兵が分不相応の万年筆を持っていたとしても不自然ではないと思います。 カートリッジ式ですか?吸入式ですか?インキ止式(昭和30年ごろまで主流) いずれにせよ、当時の値段は調べが付かず、万年筆は思うほど高価で無かったかもしれません。しかし、インクの問題はつきまとう様です。 昭和30年頃までインキ止式が主流でスポイトでインクを直接胴軸に入れる方式 長期に使う場合、インク携帯が必要と思われる。カートリッジ式は吸収式のランニングコストが5倍 いずれにせよ、インク等を入れて使うケースがあったようですが、このケースもインクやスポイトを携帯する必要があります。 南京で調達できるかもしれませんが… 3か月分の日記と言う事は、万年筆でもインクを携帯している可能性が大きいです。 ただ、bardfishさんのお爺様は、手紙を書くためでしょうから、カートリッジが数本あれば事足りると思います。 ただ、この時点で主流ではないようです。 万年筆は、大事な息子が招集されれば親が買い与えるかもしれませんね! 私の叔父は、出征の際、私の祖母から、便箋と筆記用具(万年筆か否か不明)を渡されたようで、筒状に丸めた多くの便箋を紐でくくってぶら下げた写真がありました。手紙をマメに書いて、と言うことの様です。 この人が、本当に万年筆を所持していたか?不明ですが、3か月間とか、毎日書くためには、インク携帯が欠かせない様に思われます。また、スポイトの携帯も必須になり、当時のスポイトはガラスにゴム付きではないでしょうか?ビニール製は当時、無いかと… 【以下(上から1/3程):抜粋】 >当時はペン書きするにはスポイトでインク瓶からインクを補充せねばならない時代だが、戦場へインク瓶を携行するとは考えられないことだし 「朝日新聞」ニセ生首写真で“南京大虐殺”ねつ造 ↓↓ https://blogs.yahoo.co.jp/at_kizuna/42919122.html >南京大虐殺が事実かどうかは別として、軍部からの指示かどうかというのはハッキリさせたいところですね。 同感です。 軍の規律は厳しかったと聞きますが、それだけでは弱いですね! >そして、日本軍が虐殺したというのなら本土人がやったのか朝鮮人がやったのかもハッキリさせたい。朝鮮出身者は当時日本人でしたからね。 こっちは、日本として世界に言っても意味がない気がします。 大方、想像は付きますが… 【訂正と疑問点の追加】 === 訂正と疑問の追加をします。 【訂正箇所】(軍刀について) 日本刀なら先祖から伝わる大事なものでしょう。 ↓↓ 【訂正内容】 日本刀について、昭和12年現在で、九四式軍刀という日本刀式の軍刀があるようです。携帯については、騎兵や憲兵等特殊な隊、将校や下士官でも 曹長は携帯をゆるされ、一等兵~上等兵でも大目に見られていたようです。 また、実家から刀を送ってもらうこともあったようです。 この場を借りて訂正します。 【疑問点の追加】23分15秒(機関銃の射撃証言) この時期に、通常の機関銃はあるが、両手を左右に若干開いて打つ、機関銃や機関砲は「九二式重機関銃」が存在する。(Wiki:「九二式重機関銃」参照)←南薫事件に使えた重機関銃はこのタイプだけと調べた範囲で思われる。 Wikiによれば、(同Wiki「運用」項参照) 1挺あたり、「戦銃分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬2頭)」と「弾薬分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬8頭)で運用する。←弾薬定数は9,660発 とある。 この様に、運搬やメンテに人がかかる銃の弾を浪費するとは思えない。 【疑問点】 (9) 「こうやって撃ったんだから」と言ってぐうの両手を開くシーン 下士官2名、兵20名、馬10頭を運搬に必要な重機関銃の弾薬を浪費するとも思えない。 以上 有難うございました。
補足
回答もつかないようですし、最初に「当時としては万年筆も珍しくない」という回答頂いた、この回答をBAとさせて頂きます。 インク書きについては、万年筆の日記もあったとの回答もあり、珍しくは無いのでしょう。 ただ、何日もかけて、上海から南京へ悪路の田園地帯を行軍しているのに、戦争をしていたのに毎日、インクで、それも便箋に汚れもなく、日記を綺麗につけるのは無理がある気がします。 そして、万年筆はインキ止式が昭和30年ごろまで主流ということも分かりました。 ベースキャンプに居る時とか、南京のような都市ではインクも手に入るでしょうが、行軍中や戦闘中は難しいでしょう。 >軍部からの指示かどうかというのはハッキリさせたいところですね。 松井最高指揮官は「軍機の粛清」を徹底しています。 Wiki:「南京戦」より「南京城の攻略および入城に関する注意事項」 に5項目の守るべき事項が記されています。 以下でも松井陸軍大将の人物像が分かります。 暴走の部隊長等を罰していない様なので 一部の部隊の暴走はあったようですが、捕虜や便衣兵の殺害、処刑は国際法上、違法とまで考えなかったのではないかと思います。 「松井石根と南京事件の真実」著者 早坂隆インタビュー https://www.youtube.com/watch?v=TWoWuMO35NM 【便衣兵、捕虜の処刑、国際法で合法的】 是非の論議はあるようですが、肯定的な意見です。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10173118380 回答欄を参考ください。↓ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14171274724 === このYouTubeはTVで放送されたもの、もしくは以下の動画、1時間08分41秒版の再編で45分程にしたものでした。 「しゃべってから死ぬ!南京大虐殺」 https://www.youtube.com/watch?v=g1qR0xTwWBE 上記の矛盾を纏めたサイト 「南京事件 兵士たちの遺言」の矛盾を書き出す。 http://richard-black.hatenablog.com/entry/2016/09/13/161851 === 便衣兵の殺害があった、と言う観点で見れば、メインの「山砲隊、上等兵の日記」以外に違和感はありません。伍長のスケッチも嘘っぽいですが… 複数の日記を元にしている風で、この日記が無ければ成り立たない動画です。 私の質問で提示した動画の8分20秒に 10月3日、初めて支那の地を踏んだ。支那上陸とありますが、Wiki「第二次上海事変」の「上陸日本陸軍部隊の上陸」によれば 【Wiki:抜粋】 >10月9日、3個師団を第10軍として杭州湾から上陸させることを決定した とあり、日記の10月3日に上陸した部隊が見当たりません。 日本刀で首を切った。と簡単に書いてあるのも不自然、 斬首の為、膝まづけば刀に体重もかけられ、首も切れますが、死んでいる人間、瀕死の人間の首を切るのは素人では難しいでしょう。それに、止めを刺すのが目的で、首狩りが目的ではないはず、時間が掛かれば、上官に注意されるのでは?また、日本人であればあってしかるべき、死者を敬い、成仏を祈る等の描写が登場しない。 「日本人は残酷だ」と印象操作に思えます。 日本人は、死者は仏様、日記のどこかに記載があってもいいと思うし、無いとしたら教育勅語で教育された日本人とは思えません。 他の証言や日記には便衣兵の殺害等を除き「無差別の大虐殺」を連想させえる部分が無いように思います。 本田勝一氏も南京大虐殺関連の写真ねつ造を(一部なのか?)認めています。 【いずれにせよ、大虐殺ありきの編集に思えます】 以上 ご参考まで