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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「南京大虐殺の検証」という動画についての疑問)

南京大虐殺の検証とは?疑問点を解説

このQ&Aのポイント
  • 南京大虐殺の検証として話題のYouTube動画について、疑問点を解説します。
  • 動画で取り上げられる日記の内容や装備について疑問があります。
  • また、首切りの描写や他の日記との違いについても注目が集まっています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.1

うちの爺さんは招集されて出兵しましたが、遺品を見ていると全部万年筆でしたよ。 爺さんが撮影した写真も綺麗にアルバムに挟まれて残っていました。 珍しかったかもしれませんが上等兵が分不相応の万年筆を持っていたとしても不自然ではないと思います。 出自がわりと裕福な家なら家族や親が持たせたのかもしれません。 南京大虐殺が事実かどうかは別として、軍部からの指示かどうかというのはハッキリさせたいところですね。 そして、日本軍が虐殺したというのなら本土人がやったのか朝鮮人がやったのかもハッキリさせたい。朝鮮出身者は当時日本人でしたからね。 そして、捕虜の虐待などは朝鮮出身の日本兵が忠誠心を見せるためにすすんでやったという話もあります。 東京裁判の記録にもそのように残っているという話もチラホラと出てきていると思います。 慰安婦の強制連行も朝鮮族のブローカーが率先してやっていたという話も昔からありますからね。

Uncle_John
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 >うちの爺さんは招集されて出兵しましたが、遺品を見ていると全部万年筆でしたよ。 >上等兵が分不相応の万年筆を持っていたとしても不自然ではないと思います。 カートリッジ式ですか?吸入式ですか?インキ止式(昭和30年ごろまで主流) いずれにせよ、当時の値段は調べが付かず、万年筆は思うほど高価で無かったかもしれません。しかし、インクの問題はつきまとう様です。 昭和30年頃までインキ止式が主流でスポイトでインクを直接胴軸に入れる方式 長期に使う場合、インク携帯が必要と思われる。カートリッジ式は吸収式のランニングコストが5倍 いずれにせよ、インク等を入れて使うケースがあったようですが、このケースもインクやスポイトを携帯する必要があります。 南京で調達できるかもしれませんが… 3か月分の日記と言う事は、万年筆でもインクを携帯している可能性が大きいです。 ただ、bardfishさんのお爺様は、手紙を書くためでしょうから、カートリッジが数本あれば事足りると思います。 ただ、この時点で主流ではないようです。 万年筆は、大事な息子が招集されれば親が買い与えるかもしれませんね! 私の叔父は、出征の際、私の祖母から、便箋と筆記用具(万年筆か否か不明)を渡されたようで、筒状に丸めた多くの便箋を紐でくくってぶら下げた写真がありました。手紙をマメに書いて、と言うことの様です。 この人が、本当に万年筆を所持していたか?不明ですが、3か月間とか、毎日書くためには、インク携帯が欠かせない様に思われます。また、スポイトの携帯も必須になり、当時のスポイトはガラスにゴム付きではないでしょうか?ビニール製は当時、無いかと… 【以下(上から1/3程):抜粋】 >当時はペン書きするにはスポイトでインク瓶からインクを補充せねばならない時代だが、戦場へインク瓶を携行するとは考えられないことだし 「朝日新聞」ニセ生首写真で“南京大虐殺”ねつ造 ↓↓ https://blogs.yahoo.co.jp/at_kizuna/42919122.html >南京大虐殺が事実かどうかは別として、軍部からの指示かどうかというのはハッキリさせたいところですね。 同感です。 軍の規律は厳しかったと聞きますが、それだけでは弱いですね! >そして、日本軍が虐殺したというのなら本土人がやったのか朝鮮人がやったのかもハッキリさせたい。朝鮮出身者は当時日本人でしたからね。 こっちは、日本として世界に言っても意味がない気がします。 大方、想像は付きますが… 【訂正と疑問点の追加】 === 訂正と疑問の追加をします。 【訂正箇所】(軍刀について) 日本刀なら先祖から伝わる大事なものでしょう。 ↓↓ 【訂正内容】 日本刀について、昭和12年現在で、九四式軍刀という日本刀式の軍刀があるようです。携帯については、騎兵や憲兵等特殊な隊、将校や下士官でも 曹長は携帯をゆるされ、一等兵~上等兵でも大目に見られていたようです。 また、実家から刀を送ってもらうこともあったようです。 この場を借りて訂正します。 【疑問点の追加】23分15秒(機関銃の射撃証言) この時期に、通常の機関銃はあるが、両手を左右に若干開いて打つ、機関銃や機関砲は「九二式重機関銃」が存在する。(Wiki:「九二式重機関銃」参照)←南薫事件に使えた重機関銃はこのタイプだけと調べた範囲で思われる。 Wikiによれば、(同Wiki「運用」項参照) 1挺あたり、「戦銃分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬2頭)」と「弾薬分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬8頭)で運用する。←弾薬定数は9,660発 とある。 この様に、運搬やメンテに人がかかる銃の弾を浪費するとは思えない。 【疑問点】 (9) 「こうやって撃ったんだから」と言ってぐうの両手を開くシーン 下士官2名、兵20名、馬10頭を運搬に必要な重機関銃の弾薬を浪費するとも思えない。 以上 有難うございました。

Uncle_John
質問者

補足

回答もつかないようですし、最初に「当時としては万年筆も珍しくない」という回答頂いた、この回答をBAとさせて頂きます。 インク書きについては、万年筆の日記もあったとの回答もあり、珍しくは無いのでしょう。 ただ、何日もかけて、上海から南京へ悪路の田園地帯を行軍しているのに、戦争をしていたのに毎日、インクで、それも便箋に汚れもなく、日記を綺麗につけるのは無理がある気がします。 そして、万年筆はインキ止式が昭和30年ごろまで主流ということも分かりました。 ベースキャンプに居る時とか、南京のような都市ではインクも手に入るでしょうが、行軍中や戦闘中は難しいでしょう。 >軍部からの指示かどうかというのはハッキリさせたいところですね。 松井最高指揮官は「軍機の粛清」を徹底しています。 Wiki:「南京戦」より「南京城の攻略および入城に関する注意事項」 に5項目の守るべき事項が記されています。 以下でも松井陸軍大将の人物像が分かります。 暴走の部隊長等を罰していない様なので 一部の部隊の暴走はあったようですが、捕虜や便衣兵の殺害、処刑は国際法上、違法とまで考えなかったのではないかと思います。 「松井石根と南京事件の真実」著者 早坂隆インタビュー https://www.youtube.com/watch?v=TWoWuMO35NM 【便衣兵、捕虜の処刑、国際法で合法的】 是非の論議はあるようですが、肯定的な意見です。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10173118380 回答欄を参考ください。↓ https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14171274724 === このYouTubeはTVで放送されたもの、もしくは以下の動画、1時間08分41秒版の再編で45分程にしたものでした。 「しゃべってから死ぬ!南京大虐殺」 https://www.youtube.com/watch?v=g1qR0xTwWBE 上記の矛盾を纏めたサイト 「南京事件 兵士たちの遺言」の矛盾を書き出す。 http://richard-black.hatenablog.com/entry/2016/09/13/161851 === 便衣兵の殺害があった、と言う観点で見れば、メインの「山砲隊、上等兵の日記」以外に違和感はありません。伍長のスケッチも嘘っぽいですが… 複数の日記を元にしている風で、この日記が無ければ成り立たない動画です。 私の質問で提示した動画の8分20秒に 10月3日、初めて支那の地を踏んだ。支那上陸とありますが、Wiki「第二次上海事変」の「上陸日本陸軍部隊の上陸」によれば 【Wiki:抜粋】 >10月9日、3個師団を第10軍として杭州湾から上陸させることを決定した とあり、日記の10月3日に上陸した部隊が見当たりません。 日本刀で首を切った。と簡単に書いてあるのも不自然、 斬首の為、膝まづけば刀に体重もかけられ、首も切れますが、死んでいる人間、瀕死の人間の首を切るのは素人では難しいでしょう。それに、止めを刺すのが目的で、首狩りが目的ではないはず、時間が掛かれば、上官に注意されるのでは?また、日本人であればあってしかるべき、死者を敬い、成仏を祈る等の描写が登場しない。 「日本人は残酷だ」と印象操作に思えます。 日本人は、死者は仏様、日記のどこかに記載があってもいいと思うし、無いとしたら教育勅語で教育された日本人とは思えません。 他の証言や日記には便衣兵の殺害等を除き「無差別の大虐殺」を連想させえる部分が無いように思います。 本田勝一氏も南京大虐殺関連の写真ねつ造を(一部なのか?)認めています。 【いずれにせよ、大虐殺ありきの編集に思えます】 以上 ご参考まで

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その他の回答 (1)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11216/34840)
回答No.2

旧日本兵の手記や残された記録を見ると、万年筆で書いてあるものって結構よくありますよ。確かにどうやってペンやインクを確保していたのかって疑問もありますが、なにしろマメに日記を残しているのが日本兵の特徴です。だから米軍は日本兵が残した日記を探すのに躍起になったんですよ。いつどこにいたかっていう記録が詳細に残っていますから。米軍では日記が禁止されていたので、「ペリリュー・沖縄戦記」を書いたユージン・スレッジさんは聖書の空いているところにメモ書きや日記を残したそうです。 絵心がある人は、水彩画を残している人もいますよ。道具なんてどうやっていたんだろうと思うのですが、おそらくは絵が上手なので私物を持ち込んでいるのも黙認されていたのだと思います。 会社の上司でも私物を持ち込むのにうるさい人もいれば、仕事に悪影響がなければ自由にやれよっていう人がいるように、そこらへんはたぶん上官によって変わったのではないかなと思います。 南京大虐殺については、中華人民共和国が宣伝するような大規模かつ組織的な虐殺はなかったと思います。しかし当時、中華民国軍兵士は軍服を脱いで民間人に紛れて脱出を図っていたんですね。また軍服を脱いで私服でいる軍人はスパイ扱いになるので裁判なしで処刑してもいいことは国際法で認められてはいるのです。 だから軍服を脱いで民間人に紛れて逃げようとした国民党軍兵士が捕まって処刑されていたのがあたかも民間人を虐殺しているようにも見えたでしょうし、また当然日本兵も興奮していますから単なる民間人を間違えて殺してしまったということもあったと思います。恐怖心からパニックになった女性を止めようとしても止まらなくて日本兵も連鎖パニックを起こして興奮して殺したってことだって当然あったと思います。 私は「30万人が殺された」も「虐殺などということは一切なかった」もウソだと思っています。感覚的には原爆投下に近い感覚を持っています。戦争に悲惨な出来事はつきものだが、だからといって認められるものではない、という感じですかね。

Uncle_John
質問者

お礼

ご回答、有難うございます。 >万年筆で書いてあるものって結構よくありますよ。 回答1さんへのお礼で詳細を述べましたが… 万円筆は、カートリッジ式ですか?吸入式ですか?インキ止式(昭和30年ごろまで主流) いずれにせよ、当時の値段は調べが付かず、万年筆は思うほど高価で無かったかもしれません。しかし、インクの問題はつきまとう様です。 >米軍は日本兵が残した日記を探すのに躍起になったんですよ。いつどこにいたかっていう記録が詳細に残っていますから。米軍では日記が禁止されていたので… 私も、日本軍で日記が許されたのか疑問なのですが…米軍が探してましたか? >南京大虐殺については、中華人民共和国が宣伝するような大規模かつ組織的な虐殺はなかったと思います。 同意です。数万とか、多少はあっても30万人は20万人の南京でナンセンスです。 入城後、数日(クリスマス?)で20万人居たと日本軍は確認しています。 (紛れ込んだ兵をあぶりだす為か、確認の上、身元保証書のようなものを発行しています) それに、「なんでも言って委員会」時代に中華系、帰化人、石平さんが過去に、子供の頃(昔は)、南京大虐殺は習ったことが無い、明言されています。 代々、南京生まれ、南京育ちの友人に聞いても、父母、祖父母から「南京大虐殺」について何にも聞いてない。との返事だったともいっていました。 PS 回答1さんのお礼に日本刀の訂正、及び機関銃に関する疑問を載せました・ 【訂正と疑問点の追加】以下、ご参項ください。 何か、追加意見等あれば宜しくお願いします。 以上 貴重なご意見、有難うございました。

Uncle_John
質問者

補足

貴重なご意見ありがとうございました。 大変迷いましたが… 後半部分は私にも知識がある部分でしたので、最初に回答を頂き、万年筆を実際に持たれていたというご意見をBAにします。 今後もご指導の程、宜しくお願いします。

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