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生類あわれみの令
徳川5代将軍の時に発令された生類あわれみの令ですが、この令の執行の一部として、犬の収容所を作って保護したと読みました。そしてそこに大量の数の犬が収容されていたとも。令が廃止された後収容所にいた犬達はどうなったのでしょうか。
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- ben1151
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お犬屋敷の閉鎖に伴い、下げ渡しが行われました。 もらい受けてきて、憂さ晴らしのため、虐待、虐殺も、なされたようです。 福祉の一面も持っていたということで、綱吉には、再評価もありますが、反感を買うほどの、厚待遇ということでしょうね。 たっぷりの食事とか。
- garcon2000
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東京都中野区のJR中野駅近辺は、生類哀れみ令のおりのかつて広大な犬の収容所でした。犬を身近に置いておくと、その扱いに対して恐々としていなければならないので、家畜として放擲された大量の野良犬を、処分もできないので、そこに大収容施設を作ったわけです。もちろんこの近辺は元禄時代は一面の畑地でした。 で、廃されると、もう保護する必要もないわけですから、例外的に引き取り手がある以外は残らず処分されたと言うことです。その後この地は獣霊はびこる地としてかなりの間荒れ放題でした。
お礼
やっぱり殺されてしまったのですか。東京都下に住んでいた時は都内に出るのに中野の辺りを良く通りました。あの建て込んでいた所が荒地だったなんて想像もできません。
- nene-k
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収容所が廃止されたので、当然、犬は、そこらへんにほっぽり出され、江戸の庶民たちは、積もり積もった恨みから犬に石を投げたりと、お犬様にとっては、悲惨な毎日となったようです。 また、一部には、農村の人がもらって帰って飼っていたという話も残っているそうです。 犬よりも大変だったのは、犬の養育係をやっていた人たちで、それまでに受け取った養育費を返済するよう命じられ、一夜にして多額の借金をかかえた人も多かったそうです。 東京中野区立博物館には、この借金を48年かかって幕府に返した人の古文書が残っているそうです。
お礼
養育費の返済なんてひどい話ですね。お上の命令で『保護』してあげていたのだから、費用はお上持ちが当然だと思います。そんな理不尽な「借金」を返すなんてつくづくお人よしなのか、それほどお上は恐れられていたのか。
お礼
虐待、虐殺ですか。かわいそうですが、そこまで人を追い詰めてしまったということなのでしょうか。「お犬様」からみても迷惑な話ですね。