- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:マルティン・ブーバー ≪我と汝≫について)
マルティン・ブーバー≪我と汝≫の中の「外的」「内的」経験について
このQ&Aのポイント
- マルティン・ブーバーの著書≪我と汝≫の中で、「汝を語る人は関係の中に生きるのである」と述べた後、彼は「もしひとが死の神秘を減らそうとする人間の願望に根ざす一時的な区別にもとづいて、<外的>経験に、<内的>経験をつけ加えたにしても、事態はいささかも変わらない。」と述べています。しかし、「外的」「内的」経験が具体的に何を意味しているのかは明確ではありません。
- 「外的」「内的」経験は、文脈から判断すると、明白な経験と神秘な経験とは異なるものと考えられます。しかし、具体的にどのような経験を指しているのかは記述されていません。
- 他の読者の解釈によると、「外的」「内的」経験は主観的な経験と客観的な経験を指しているという意見もあります。マルティン・ブーバーの思想や文脈を考慮しつつ、自分なりの解釈を深めてみてください。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
お礼
こちらこそ、丁寧な回答をしていただいてありがとうございました! 返信が遅くなって申し訳ありませんでした。 私だけでは、arayata333さんのような深い考察はできなかったと思うので、本当に感謝しています! 今までデカルトやパスカル、アウグスティヌスなども読んで来たのですが、その中でもブーバー氏は何となく・・・純粋と言いますか・・・素直な哲学者な気がします^^ 2月になったらそのレポートがあるので、あまり順調なペースで読みすすめられていない<我となんじ>も、そろそろ真剣に取り組まなければ・・・!