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あの「夢食い獏」は、"夢食吐獏"にでも進化すべきかと。

こちらは私が昔、Yahoo!知恵袋にて、立てた記事になります。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114946516 あの「そうだったらいいのにな♪」をオリジナルとして募集する形でした。tt あの、悪夢だけを食べてくれる日本の妖怪伝説に出て来る「獏(バク)」がいますよね。 その獏ですが。 単に夢を食うばかりでなく、食ってまた違う場所で吐き出すような、こんな獏がいてくれたら、かと思いますね。 如何でしょうか? 「善人や良い子から悪夢を吸い取り、それを嫌な奴や悪党の所に持って行って、そいつらに向かってこっそりと吐き出す。その輩からは更に良い夢を奪い、それをまた持って、善人達の所へ持って行って吐く。」ような獏。 しかもその、詳しい例は、リンク先に書いてありますよね。 鼠小僧みたいな、義賊と似た獏で、最高だと思いませんか。 あくまで御笑いネタのつもりですので。 因みに、ハドソンのSFCソフトの「新・桃太郎伝説」では 普通の「餓鬼」の他に「食吐(じきと)餓鬼」なんて敵キャラがいましたので。 私は「夢食吐(ゆめじきと)獏」にしました。 仮に獏が進化でもするなら、こうなって欲しいものですね。

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回答No.2

私は 学際的なことはよく知らないのですが、 一般的に「獏(ばく)」と言うと“幸せを運んでくる動物の妖怪”というイメージがありました。 “悪夢を食べてくれる妖怪伝説”がその源泉だったのですね。 おそらく その「悪夢」自体、 睡眠中の怖い夢というのではなくて、n? すみません、ネット不慣れな老人ですので nの上に点が付いてるそちらのハンドルネームの書き方が解かりませんので、 ン?ベルテさんとしておきますが、 ン?ベルテさんの書かれている例示のように、実際の不幸を食べてくれるというイメージも 昔からあったのでしょう。 面白く愉快な伝説ですが、  そこに 人間の正義の夢を、ふと しかも「さらに愉快に」付け加えるところに、ン?ベルテさんらしさがにじみ出ていると思いました。 中国でも 大泥棒といえば やはりねずみ小僧や石川五右衛門のように、苦しんでいる人のために、楽をしてる人から泥棒する物語があるようです。 子どもの頃の 正義の味方の月光仮面のテレビ映画がなつかしく思い出されたりしますが、 これも苦しんでいる人を そっと助けて姿をくらましていってしまう謎の正義の英雄の物語、 けっこう貧乏でもあったその頃 の子どもには、 鼻をたらしながらも 憧れて そのまねをして遊んだりしたものです。 ン?べルテさんには、そういう物語を作る資質や才能が隠されているように思います。 独創性と言ってもいいかもしれません。 真似ることは、 それだけではどうしても独創とは言えません。 コピーということは、本質的に必ずどこかともなうのが人間の歴史の世界でしょうが、そこにひねりが加わるわけです。 だれもまだ知らないそういう独創をあたらしくひねり出す能力、 これが 正義の物語に 私たちが希求していることのひとつだと思います。 愉快に というのも大事な要素と思います。 「みつめる」という人間のみの能力がそこに無いと 人間は心にゆとりを失い、愉快さとか笑いということを忘れてしまいます。 コメディーの本質、あるいは本格的なお笑いの世界は、どこか醒めていてそれ自体を見つめています。 だから ふつうに話してることまで 愉快に聞こえ始めたりするのです。  そこのオチを どんでん返しにしてヒョイとつけたり、 ボケとツッコミを入れたりするから 話は余計に愉快で楽しくなったりします。 たんなる技術でなく、 心にゆとりと、その愉快さが、そしておおらかで人間くささが  その独創性には必要な世界だと思うのです。 あれ?  哲学のカテに ン?ベルテさんが質問してきた理由は何ですか? たしかに 哲学的思考とは ほんとうは人生すべての総合的視点を求め求めて何ぼの世界だと思うのですが、 またそうすると 物語や小説の世界と同じ言葉を使う点で、それこそ交差する大きな視点の、たくさんあるはずの世界だと思うのですが、 私自身、疑問なところ、  このカテには、 論理的であらんとしつつも、論理の海で混乱しているままの哲学がたくさん語られているようなのです。  それでも論理を愛するという人たちがたくさんいるカテです。 例えば 正義とう名の富士山とその頂上を眺めながら そこを目指す一歩も進まないでおいて その頂上とは何かをその視点から検討し続けているかのような遅々とした論理愛者たちが いっぱいいるのではと思えてきています。 それに対して 愉快な夢の視点、そのユトリの世界は、また違った視点です。 その表現の世界は、もう少し実践的です。 そのはずです。 でも ここでは そんなのは非論理的言葉の世界としか見なされないかもしれません。   哲学的には、その「獏(バク)」は、私たち自身の心の中に生きているににね。 私自身は「夢食吐(ゆめじきと)獏」 タイトル自体ステキだと思います。 》仮に獏が進化でもするなら、こうなって欲しいものですね。《 この結文も ステキないいまわしですね。 そこに理論をも求めてのことかもしれませんが、 私は、ン?ベルテさんは、 その質問からしても 文学的な世界の人だと思いました。 ン・ベルテさんは、ン?ベルテさんらしい世界で、がんばってください。 私も 論理は愛したい哲学を大事にしたい者、 そのような哲学の一分からも ご発展 ご活躍を かげながら心から応援したい気持となっています。 ン?ベルテさん、小説、がんばってくださいね。

ribelte
質問者

お礼

長文を御疲れ様です。有難う御座いました。 全て解るには時間が掛かりそうですが、気長に頑張ってみますね。 私のこの名は、「リベルテ」です。^^ リベルテとは実はフランス語で、自由・解放を意味します。 リバティーも、自由と言う意味になりまして、それと似ています。 因みに、バラード歌手の岡村孝子さんのファンでして、彼女の「リベルテ」と言う曲も大好きです。渋いですが生きる力が湧いて来そうな曲です。

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  • ENERGEIA
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回答No.14

 しかし、一方で そういった勧善懲悪ドラマ(例えば水戸黄門や桃太郎)などでカタルシスを得ている人もいるでしょう、自分自身が普段では臆病で何も出来ないゆえに...  質問者さんがやはり そうなのかな?

  • ENERGEIA
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回答No.13

 対極的にモノを考えれば、微妙な位置関係にある事象のコントラストがはっきりして、理解しやすくなります。  ただ それだけのことです

回答No.12

一つの性質をもつキャラだけでは、想像の世界が成立しない場合、通常は同一キャラに複数の属性を持たせるのではなく、別のキャラを創造して、対立するキャラを割り当てます。 いわゆる勧善懲悪モノなどでの正義の味方と悪役との区分にも似ています。ここ十数年での、ほんの数年前まで(今でも?)、仮面ライダー系を始め、ウルトラマン系でも、(余りにも対立的に強調された)善悪を織り交ぜた(ある意味無理のある)キャラ設定がなされてきたようです。 どちらがいいとか、わるいとか、そういった観点からではなく、どうしてそういったこと・ものを作ろうとし、求めようとしているのか?、いや、受け入れられ、拒絶されようとしているのか? といったことに、関心が向いてしまいます。。。 <--- ネーミングは強引に・・・たとえば「奪古有知苦」(脱構築)

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回答No.11

 まあ、「自分の」意思で、「何らかの意図」を持って変えなければ 単なる変化で終わるかもしれませんが...  ということで > 意識が変わるから名まえが変わる(変えられる)のか 名まえが変わるから意識が変わるのか は、より理解しやすくすると ◇ 意識が変わるから<<自分の意思によって>>名まえが変わる(変えられる)のか 名まえが変わるから意識が変わるのか  という事になります... この場合は進化となるかな  ポイントはどのような意思と意図 願いを持って変えるか という事ですね。  いずれにせよ、文字だけでなく、 音 も変えたほうが 効果あるかもね(自分の意思と意図によって)。      

回答No.10

No.9です そうそう。。。うっかりと、自分自身の名前が変わっていたことを忘れていました。 小学生時代に、漢字はそのままで読み方が変わったのです。父がどこから仕入れてきたのか、「読み方が悪いから変える」と宣言し、変わりました。 小学校の先生に伝えたところ、「名前が変わっても、中身は変わらんからなぁ・・・」とボソッとぼやかれたのを覚えています。 でも、おそらく、読みを変えたことで、目に見えない変化(影響)は確実にあったと実感しています。 ただし、それは「進化」とか「退化」とかいった概念ではなく、単に「変化・差異」といったレベルでの話にしかならないでしょうし、別の人生を想像することができても、「いま・ここ」を離れては「わたし」は存在し得ないということを思うに付け、不思議な気持ちになる程度ですかね・・・ <--- ネーミングは強引に・・・たとえば「異地語異智得」(一期一会)

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回答No.9

 確かに、「通常の人間」では 生きている間に名まえが変わることはありません  昔の武士 などは別として....  意識が変わるから名まえが変わる(変えられる)のか 名まえが変わるから意識が変わるのか  私の場合 小説などは書きませんが、昔忘れないように書いた覚書(今でも時々書いているが)を読むと今でも「なるほど、そうか」という感慨を受けます。それが詩的なものと観想によるものとの違いでしょうか  とにかく、 夢食吐獏 などというダッサイ 名まえでは「進化」できるかどうか...

回答No.8

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5485803.html?ans_count_asc=0 のNo.8にて、「締め切られた直後」と記載したので、再度立てられたのでしょうか? いずれにしましても、昨今のカードゲームの(およびそのカードを取り入れたゲームの)ブームであり、一つのキャラクタに固定の観念を設定し、進化という目に見える変化と名前の変化にてのみ、キャラクタの性質変化という現象を行わせているようです。 しかし、実際の人間では、上述のような「名称や容姿すら同一でなくなるような、明確な変化」はありません。 でも、5年や10年といったスパンで、性格や思索が大きく変化する場合があります。 しかしながら、名称を変えることは(通常は)しません。ネット上でのハンドルネームを変化させることや、結婚による姓の変化程度です。 わたしは10代半ば以降から、散発的に日記を付けており、そこにおいて、未来の私への辛辣な、かつ、親しみを込めたメッセージを残してきました。 今、彼と向かい合うとき、幼き思索に恥ずかしくなる想いと同時に、鋭い批判に耐えられないかも知れない部分と、その批判をかわしうるだけの予期し得なかった変化もあったことと、変化していない部分も混在していることに、安堵感を抱くことがあります。 思索や日記は、他者に晒すことで良い面もあるでしょうが、そっと胸に抱いていて、10年後、20年後に見返すべき部分も多くあるように思っています。 <--- ネーミングは強引に・・・たとえば「戒己路苦」(回顧録、懐古録) 取り留めもなきことを書いてしまいましたが、何らかの参考になれば幸いです。

ribelte
質問者

お礼

皆様、色々と御世話様です。 どうも有難う御座いました。参考にさせて頂きますね~。

  • w_letter
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回答No.7

こんばんは。。 昔ばなしですが、 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマ でも、ごらんください。

  • ENERGEIA
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回答No.6

No.5の訂正 誤: ノンフィクションは生理的に受け付けない ~ 。 正: フィクションは生理的に受け付けない ~ 。

  • ENERGEIA
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回答No.5

追記です。 >ストレス発散したい方は、読むなり、私の事を味噌糞にけなしてみるなり叩くなりして下さって全然結構なので。  ストレス発散ではなく、自己主張の強い人間により普段から腹立たしい思いをしているのであれば、他者の自覚を促すためにも 批評するかもしれません。  もし小説が糞なら 「叩く」のではなく、「糞である」と言うだけです。  しかし、自然と目に入ってくるのならともかくとして、わざわざンクを開くことは、やはりないでしょう。  ぜひとも批評、判断して欲しいと言うのであれば考えなくもないですが...