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宮本武蔵について。
実在人物とは分かっていますが、武蔵の生涯で事実的に在った事とは、いったいどれ位ですか?。 小次郎・お通等、本当に居たのですか?。 一般的に、吉川武蔵といいますが、真実はどのへんに・・・・・。
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佐々木小次郎は実在の人物ですよ 小次郎はあの細川家の家臣ですから、その縁あって武蔵も細川家の客分として細川家に居候していますね テレビや小説などで出てくる武蔵は武芸者として出てきますね ですがそれはおそらく事実では無いでしょう あの時代は武芸というくらいで武芸とはあくまでも見せ物です、武芸や剣術で出世した人物は絶対にいません、あの有名な柳生や上泉信綱も剣術としては一流だったかもしれませんが出生した理由は武術や剣術が理由ではありません、政治ができたからです よって武蔵は武芸や剣術で身を立てたかったのではなく兵法家として身を立てたかったのだと思います、本人は武術家ではなく兵法家と称していますね 実際はテレビでやるようなチャンバラはあまり無かったと思いますよ 1対1でのガチの勝負なら生き残ってはいなかったでしょう 戦国の世も終わり平和な時代だったためもあり最終的に出世はありませんでしたが兵法で勝ち上がったのだと思います
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- tra55
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宮本武蔵は、海外でも著名です、彼の作といわれる 「五輪の書」が策略本として海外で多く読まれている そうです。日本のように剣の達人というより 孫子みたいなひととして思われているみたいです。 その本は武蔵が死ぬ間際に洞窟に、こもって一気に 書いた、そして、その執筆で力尽きたのか 書き終えると亡くなったと云われています。 武蔵が洞窟で執筆活動をした時期、熊本の細川藩が 武蔵を保護して全面的に支援したといいます。 理由は、ハッキリしませんが 武蔵死後の五輪の書の版権は細川が管理し 細川のような有力藩の武家が支援もあったからこそ 五輪の書はベストセラーとなったのかもしれません。 武蔵は、人生の大半を放浪して武家に仕官 したのは老年になって細川に保護されたときだけですが 放浪期に彼は手先が器用だったのか工芸品や 絵画を描き収入を得て彼の作品は現在も いくつか逸品として残っています。 剣術は無形文化財?というか 剣豪という者は多くは記録に残っていない人物のほうが 多く、柳生一族のような幕府公認剣術指南にでも ならなければ、まず、世に知られることはなかったそうで 上泉信綱、伊東一刀斎などの剣聖は、その記録は ほとんどなく武蔵は書や工芸や絵画を残している ので、そういった意味では後世にも足跡を残している 人物なのかもしれません。
- Pinhole-09
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武蔵の真実は、岡山県の元宮本村に関係があります。 幼少時住んで居たようです。 生地との説もあります。 父は新免無二(斎)で本人も同名も名乗っており、これが混乱のもとです。 有馬喜兵衛との決闘試合に勝ち、秋山某との決闘試合にも勝ったのは事実と言われています。 関が原の合戦に参加した事はなく、当時は九州で合戦に参加し、功名を挙げたようです。 黒田家の名簿に同人と見られる記載が見つかりました。 吉岡一門との試合も、吉岡家の文書に記載あり事実です。 こちらでは引き分けともあります。 一乗寺下がり松の決闘はフィクションのようです。 岸流(巌流)佐々木小次郎との決闘試合に勝ったのち、豊後日出藩に寄留しました。(藩主の日記に記載あり) その後天草の乱に出陣しました。 このへんまでが事実です。 「五輪の書」も写本しか残っていないし、自伝は誇張、誤りも多いのですべてを信用するわけには行きません。
- Pinhole-09
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武蔵が巌流島(当時は彦島または引島)で佐々木小次郎と決闘試合をして勝ったのは事実です。 当時ではこれは今のワイドショウの話題のように、全国の評判になり武蔵強しの印象を与え、後世色々な武蔵物語が作られました。 その中では死後数十年後に書かれた「二天記」がよくまとまって有名になり信奉されましたが、いまは信憑性が低く作り話の部分が多いと見られています。 吉川英治氏の作品は「二天記」を基本にしております。 本位田又八、お通、沢庵和尚は英治氏がさらに付け加えたもので、全く事実ではありません。 武蔵について信頼性の高い文書がすくなく、確かなことは概要しかわかっていません。
- eroero1919
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想い合っているのに結ばれない恋人であるおつうさんは完全に吉川英治の創作のようですね。 これほど情報が行き交う現代社会でも、ある格闘家が「400戦無敗」と号してもそれを否定することも肯定することもできません。だいたい、その400戦の中身がどんなのかも不明です。高校生のとき弱っちい奴からカツアゲしたのも一戦に数えるのか・笑? ただ、武蔵と400戦無敗の格闘家にはある共通点があるそうです。それは「直感として負けそうな奴とは戦わない」ことだそうです。格闘技をやっている友人から聞いたのですが、段位では自分が上なのに相性が悪いのかどうしても勝てない奴というのがいるそうです。 武蔵もその格闘家も、直感としてこいつはヤバいと思う相手とは決して戦わなかったんですね。ですから両者とも負けることはなかった(武蔵の場合は一度負ければそれは死です)のです。 ただし、武蔵は身長が180センチくらいあったようです。日本人の平均身長が150センチ程度の時代でしたから、今なら205センチくらいあるということです。刀同士で戦うと、武蔵は槍を持っていたようなものですね。
>一般的に、吉川武蔵といいますが、真実はどのへんに・・・・・。 山本博文「日本史の一級史料」(光文社新書)よると、「宮本武蔵」の関係史料はごくわずかだそうです。 だとすれば「吉川武蔵」はフィクションとして楽しむためのものですね。 有名な割りに資料が少ない、というのが時代小説のモデルとして格好な標的なのでしょう。
お礼
御返事、遅くてスミマセン。 私も含め、武蔵に付いては「吉川武蔵」が浸透している様ですね。 中には、トンでも無い説も有るとか?。 有難う、御座います。
- torajii
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岩波新書『宮本武蔵』を読まれることをおすすめします。
お礼
返事が遅くなりました、スミマセン。 読みたいですね。 有難う、御座います。
お礼
有難う、御座います。 遅くなりまして、スミマセン。 やはりテレビや小説と実際は違うのですね。 ガチンコ勝負では、そうそう何連勝も出来ませんね。 参考に成りました。