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「小生」の使い方
自分のことを「小生」は、と表現します。ここで質問ですが、小さな一つの集団(例えば家族四人の場合)がある行為(例えば魚釣り)をしに出かけ、その結果とその後の行為を表現する時、その集団の筆頭者(ここでは親父)が以下の様に記述することは、文法上誤りと言えるでしょうか。<ある日曜日、小生たちは釣りに出かけ、鯖一匹と鯵を3匹を釣りまして、そのうち鯖だけは誰も手をつけなかったので、小生一人で食べることになりました>。ここにありますように、小生に達と付けることは、誤った言葉の使い方でしょうか、お尋ね致します。
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- LN-TF
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まあ、このようの内容の文章でこのようの文体では今時「小生」は似つかわしくない無いように愚考致します。 さて、「小生達」は誤りとは云えないと思いますが、「小生」と来れば「小生共(ども)」としたくなりますね。 「某日曜、小生共は釣魚行を敢行。釣果は鯖一尾に鰺三尾。鯖は余人が食するを好まぬ為、小生一人食せり。」こんな感じですか。少し旧い感じだと思います。漱石あたりの時代ぢゃあないかな。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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「私たち一行は、・・・」ということですよね。 複数の小生がいて、それをさしているのではないことは、文章を拝読すると理解できますが。 仮に自分やもう一人、或いはそれ以上の小生さんを指しているとしたらおかしいでしょうね。 「僕たち」、「私たち」は、これも「僕や私と、みんな」なのでしょうね。 そういう観点からすれば、「小生たち」も聞きなれないが、いえる表現かも知れませんね。普通の使い方はは単数、自分だけですよね。 語幹や普通は、ということからすると、「小生一行は」がいいですね。
お礼
あくまでも、小生は己のこと。複数を表現するには、少し言葉の工夫(一行とか)が必要なことが良く分かりました。有難うございました。
- kzsIV
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「小生達」が文法上誤りであるとは申せません。それよりも、この場合「小生」という自称を使うのがふさわしいかどうか、の方が問題になるかと小生は考えます。文章の書き手(男性)が「小生」を使って良いかどうかを、読み手がどのような身分・階層であるのか、書き手にとってどのような人間関係にあるのか、などから判断した上で使う自称です。親父が妻の父親に出す手紙なら「小生たち」もいいでしょうが、親父が自分の母親に出す場合はチョット…という感じ。末っ子の男の子が書いた作文だったら…………、
お礼
自分の謙称である「小生」ですので、当然、相手がどような立場にある人かは、ご指摘のとおり注意しなければならないと思います。文法上誤りでないことが分かり、実のところほっとしています。昔の上司から文法上の誤りだと、強く指摘されたからです。 有難うございました。
お礼
二十数年年前にお世話になった上司に、部下であった私たち3名が、その方にお会いする前に近況と過去の想いでを綴った文章の中で用いた「小生」たちの用語です。例に挙げたのは単なる文例で、小生に「達」を付けるのが文法上間違いかどうかをお聞きしているのにすぎません。 お答えにある、「小生達」より「小生共」の方がベターと言われるのは、言葉が発する重さの度合いからでしょうか。又、最近の書籍の中にも、「小生達」と表現しているのを多々目にしていますが、LN-TF様のような古典的文章表現(現代では殆ど使用することのない)の場合にしか、「小生」は使用不可ということでしょうか。