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どんな意図があるのでしょうか?
1歳半の娘がいます。 よく子供が転んだり、ぶつけたりしたときに、 『大丈夫、大丈夫、痛くない』という親がいますよね? なぜ、まず『痛かったね~大丈夫?』という言葉ではないのでしょうか? 私は痛みを理解してあげて、やさしい声をかけてあげる方が、人の痛みがわかる子に育つのではとおもうのですが・・。 それにまだまだ足元がしっかりしていなくて転ぶことの多いこの時期の子が転んでしまったときも、自分で立つのを待っている親がいますよね。まるで、自分で立てたら、『えらい子』みたいな。 “大丈夫?”と駆け寄って声をかけてあげる、手を貸してあげることは過保護なんですか? 誰だって痛かったとき、辛かったときはやさしい言葉をかけてもらいたいし、自分でたっちをすることがそんなにしつけにおいて大切なものなのでしょうか? もっと大事なことがあるような・・。悶々としています。 アドバイス、ご意見お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
はじめまして。 うちは2歳の息子がいます。 転んだ際、「痛かったね。大丈夫??」と言葉をかけると、 たいしたケガではないのに、ワザと大泣きするので、 うちは自分で立つまで声をかけません。 本当に痛いときは、声をかける前から泣きますし、 こちらも見ていてよくわかります。 友人母子は、娘さんが転ぶと、質問者さんのようにきちんと 「大丈夫?」と声をかけていましたが、 今では声をかけないと起き上がらなくなってしまったそうです。 (痛くなくても自分で起きようとしない) まあ、しつけというよりも、 「家庭により、いろいろ」といったところではないでしょうか。
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>『大丈夫、大丈夫、痛くない』 >自分で立つのを待っている親 肉体的、精神的に強い子に育ってねという親の願望がこめられているのではないでしょうか? 本当にケガをしたのかどうかは親が判断することにして、 大丈夫?って聞かれると不安になる。自分では大丈夫かどうかわからないから。親から「痛くない」と言われれば「痛くないかも」と安心して泣き止むのでは? でも、あなたはあなたのペースでやればいいことです。1歳半では幼いので親が助けるのも全然おかしくないと思いますよ。
お礼
>肉体的、精神的に強い子に育ってねという親の願望 そうですね。そうなってほしいという思いはあるものの、まだまだ私ががんとした方針をもてきれずにいるのかもしれません。子供の成長とともに私も成長していきたいとおもいます。 参考になりました。ありがとうございます。
- shinoayu
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なんだかやたら挑戦的な文面ですね。 おっしゃってる事は別に間違ってないと思いますが、確固たる自信があるならこんなところで人に聞かずに実践してればそれでいい事のような気がします。 >『大丈夫、大丈夫、痛くない』と『痛かったね~大丈夫?』 子供と場合にによりけりで、「痛かったねー」といわれる事によって「そうか、痛い事なんだ。」と泣かずに済むところを泣いてしまう子もいます。 少し逸れますが、NO.1さんの注射の例えでふと思い出した事があります。 「痛くないよー、大丈夫大丈夫。」ってあやしながら注射させるよりも、事前に「ちくんってして少し痛いけど、頑張ろうね。」ってよくいい聞かせをした方が泣かないそうです。実は、これを知らずにたまたまうちの子にそうしたのですが本当に泣かなくて、びっくりしました。 もちろん怖がらせて脅したら泣くでしょうし、つまるところ、「大して痛くない事なのに痛い痛い、と煽る」「本当は痛い事なのに、痛くない痛くない、と誤魔化す」ように、子供の気持ちに沿っていない場合は逆効果になる、という話じゃないでしょうか。 >自分で立つのを待っている親がいますよね。 自分で立てる子なら別に待っていても良いんじゃないですか。 毎度毎度手を差し伸べていたら自分で立たなくなる子も居ると思います。 「なぜそういうことをするのか」というご質問でしたので私なりの考えを書きましたが、最初に書きましたようにどっちがいいかはご自分の教育方針とお子さんの気質です。 もっと大事な事があるというなら是非それを実践されたらいいと思いますし、貴女と貴女のお子さんにはそれが合ってるんだと思います。 ただ、そうでないからといって「あれはおかしいんじゃないの?」と決めつけるのはどうかと思いますよ。
お礼
確かに読み返してみると、簡潔に書こうと思うばかり・・。でも自信があるのではなく、まさにその逆で、自分とは違う育児をされている方の意図が知りたかったです。 実際にこれぐらいなら大丈夫だったなと思えば、私も起き上がるのを待っている事もありますし、ここでは、ワーワー痛がっているのに、手を差し伸べない親・・という意味で書きたかったのですが・・、本当言葉足らずでした。 自分で立てる状況なら、待っていても良い。同感です。 参考になりました。
貴方が本気でそう思うのでしたら、そう育てられてはいかがでしょう 種々の言葉があります「子供をダメにしたかったら甘やかしなさい」 「可愛い子には旅をさせろ」「麦踏み」なども例に出されます 人間に限らず全ての生き物は、生まれたままで放っておけば 立派に一人前に成長するでしょうか?、しないと思います 貴方も(私も)親に躾けてもらったから大人になれたと思います 大人になるまでには、幾つもの壁があるでしょう 親が手伝ってあげらる時期もありますが、一生は無理です 幼少は甘やかし放題で、大人になり厳しい社会に放り出されては 適応ができません、徐々にトレーニングするのだと思います 一見、厳しそうにしている親御さんは、実は心の中では愛情一杯に 子供の様子を見ながら放置して自立する訓練をしていると思います どうしても無理だと判断したら、すかさず支えます 自立出来ない人もいます、その場合親は子供を一生面倒見るでしょう もちろん親が先にこの世を去りますから社会保障や親戚や兄弟姉妹が 引き継いで障害を抱えた方の面倒を見るのでしょう 最初から自立可能な子供を自立不可能にしては可哀想だと思います 発達心理学、幼児心理学、児童心理学など、いろいろ学問的な アプローチもありますが、何時も一緒の親以上の人はないでしょう 大切なことは、一見厳しく見えますが、優しさの塊だということです 希に本当に厳しいだけの親もいますので間違うと大変です 以上が私の考えですが、貴方には貴方の考えがあって良いと思います 貴方が良かれと思う育て方で育てられるのが一番だと思います 途中で問題を感じれば、深手にならなければ軌道修正は可能でしょう 人生は様々です、親の居ない子供もいます、セオリーはありません 貴方のやり方で後悔しないように、育て上げることが一番でしょう
お礼
自分で読み返し、簡潔に書こうとおもうあまり、言葉が足りない部分がありましたが、自分のやり方に自信がなく、手を差し伸べないことのメリットがどうしてもわかりませんでした。でも今はたくさんのアドバイスを頂き、自分の進むべきやり方が見えてきました。 参考になりました、ありがとうございます。
- komuni
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私の場合ですが、 足元がしっかりしてなくてよく転ぶ、少し大きくなってからでもこけたり打ったり子どもはいろんな場面で痛さに遭遇しますよね。 痛さの程度はその時々違いますから臨機応変に対応します。 過保護だとかそうじゃないとかではなくて、自分で立てるなら自分で立とう!というシンプルな考え方です。だって自分で立てるし歩けるんだから。毎度毎度手を貸すのではなく自分でできそうならそれを待ちます。 それは「えらい子」ではなく、ごく自然で普通のことだと思うからです。 大して痛くもないであろう時に毎回「痛かったね~、大丈夫?」という言葉は正直ピンときません。これは子どもが月齢を重ねるほどそう思います。だって子どもも判断できるようになってくるから。 質問者様のお子さんは1歳半ですからどこかを打つとそういう言葉も自然と出てくると思いますが、もうすぐ4歳の息子に対しては「自分で気をつけよう」という気持ちがまず先です。 だからと言って毎回ほったらかしではないですよ、痛そうならヨシヨシして‘飛んでいけー’もしてますから。 幼児に対してオーバーな言い方ですが、とにかくこけても打っても自分でこらえる強さを持ってほしい、少々の痛みの度に「ママ~」と同情を誘わないように臨機応変に対応している、といったかんじでしょうか。
お礼
自分で立てるなら立とうという考えがあるんですね。まだ娘が小さい、私が母親として未熟なのもあって、そういう意図が読めませんでした。たしかに少々の痛みにママーとなってしまうのは困り者です。その場の状況に合わせた対応が大事なんですね。参考になりました。
- maki1005
- ベストアンサー率15% (30/188)
6歳の息子、7ヶ月の娘の母です。 「痛かったねー」が先だと転んでそんなに痛くなかったけどびっくりした程度のときも、その言葉に反応して泣くようになっちゃうんですよ。 確かにこれは痛そうだという感じの転び方とか、ぶつけ方をした時は、「痛かった!こりは痛かったね!」と声をかけますが、びっくりした程度なら、「大丈夫!痛くないよね。ちょっとびっくりしたね!」って言う様にしてましたよ。 おかげで息子は転んでもめったに泣かない子です。
お礼
確かに、転んで頭を打った時など、わっと泣き出した時は痛かったねぇといってました。転んだだけのときは反応を待ってから・・・。私の文章能力が足りなかったなぁっと。 やっぱり状況に応じて対応してあげたら、MAKI1005さんのお子さんみたいに、しっかり育つのでしょうね。参考になりました。
>『大丈夫、大丈夫、痛くない』という親がいますよね? 居ますけど 『痛かったねー 大丈夫だよー』っていう人も多いですよ? でも、注射とか「痛いぞ 痛いぞ ホラ痛いぞ」って教えられて 恐怖心を植えつけられるようなのもどうかと思いますよ? >“大丈夫?”と駆け寄って声をかけてあげる、手を貸してあげることは過保護なんですか? 『自分で立てたら、『えらい子』みたいな。』と待つ親までは 私は同情(?)は出来ませんね でも親子の関係と 他人への優しさって別かも。 全部親が手を出して助けていたら子供って何も出来ないままなんですよ 何でも手を貸しちゃうことが「保護」でしょうか?(過保護の反対という意味で) 本当にできないことにだけ手を貸すのが~障碍のある人に対しても「本当の手助け」なんで…子供にも同じかと思いますけど… ある程度までできるのかどうか見届けて手を貸すのなら良い親かと…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が悩んでいたのはそういうことだと思います。まだ母になって1年半、今後、自分の育児で子供がどんなふうに育っていくかが、未知で自信がありませんでした。 本当の手助け。 勉強になりました。ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 場面をみて、対処すればいいんですね。あまり干渉しすぎないように、そっとして置くようにしていましたが、転んだときは私の方があわててしまって・・・。 しつけはやはり子供の性格に応じて臨機応変にやっていかないといけないのでしょうね。参考になりました。