• 締切済み

具体的な理由は。他国の多くの人が煙たがるならそれなりに理由があるんですよね?

過去の質問でもみましたが、はっきり理解できませんでしたので質問させていただきます。 ユダヤ人が差別されたのは、ナチスドイツ時代以前のドイツ以外の国にもあったと聞きました。それならば、ヒットラーの考え方だけでユダヤ人が迫害されたのではなく他にも理由があるということがわかりました。それは具体的に何なんですか?私が聞いたのは商売上手、お金をあら稼いだ(?)、ユダヤ人商人がくる商売のいいところを持っていかれる(?)、それでもって国がないから標的にされがちなのでしょうか? おしえてください。すみません、できればあまり難しい表現はない感じで教えていただけたら幸いです

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回答No.10

歴史を専攻しているわけではないので詳細まではお教えできませんが参考程度にしてください。 まず、多宗教あるいは無宗教の方の多い日本ではぴんとこないと思いますが、キリスト教にもユダヤ教にもタブーがあり信者ならばそれを守って生活しなければなりません。もし破れば周りからの評判を落としたり最悪良くないことになります。 そのためユダヤ人はヨーロッパでキリスト教徒にはできない大事な仕事を請け負ってきた歴史があります。それは「金貸し」です。 高利貸しなどの職業は中世のあいだずっとキリスト教にとって禁忌でした。 しかし経済的な面を考えるとそういった職業の人間がいないことは非常に効率的ではありません。ですからユダヤ人はキリスト社会においてその代わりを請け負ってきました。 彼らが宗教にただただ頑なであったのではありません。ギリシャ神話を信仰している人が今はいないように必要性や利益に支えられなければ信仰は続きません。ユダヤ教はヨーロッパの歴史や文化において必要な役割をおっていたのでそれぞれの国で容認されてきたのです。 勿論、周りのキリスト教徒たちはそう言う商売を生業にする彼らを人々は浅ましい仕事をする人間として見ていました。 近世になると産業革命が起こり時代は一気に資本主義の時代へ移り変わって行きます。 すると今まで金を扱っていたユダヤ人はついに劇的に力を付けるようになっていきます。宗教的価値観が軽視される時代になった事で金を持ったユダヤ人は日の当たる舞台にでてくるようになったのです。 キリスト教徒にとって中世では「汚い仕事、浅ましい人間」と宗教的にすりこまれている民族が近世以降、経済的に恵まれ、学も付き、社会的地位も上がって行く。当然、嫉妬や憎しみの感情が沸くのでしょう。 また、一次大戦が勃発しユダヤ人もドイツ人として戦っていますしフランス人として、イギリス人として・・・それぞれの国に愛国心をもって戦っています。一部のユダヤ人は戦時中には困難な国家間の移動もユダヤ人と言う立場を利用して名前を変え国籍を変えて戦争を商売にしていたと言われますがそんなユダヤ人は本当に人つまみに過ぎないでしょう。 ドイツのホロコーストは歴史的悲劇に他なりません。 ヒトラーの時代、ドイツでは様々な価値観が対立していました。現代の私達の生活にも見かけるような科学技術が日に日に躍進して行きました。それは新しい技術を積極的に受け入れようとする反面、芸術や文化においては保守的であること(回顧主義的ともとれる)からも伺えます。事実バウハウスなどの先進的な美術教育機関などはナチス時代に迫害され廃校に追い込まれています。(現在のデザインの原点ともいわれる) 中世的な価値観と市場経済の隆盛そしてそのめまぐるしい時代の動きに対応しきれなくなる人間、小人数で大量に人を殺せる道具。それが合わさってこそこういった悲劇が起こったのだと私は考えています。 お答えになったでしょうか?

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.9

ANo.8の回答で >そして他の民族とは異なる習慣、ヘブライ語、服装を堅持しています。 第二次世界大戦のドイツ、イタリア、オランダでユダヤ人のほとんどは住んでいる国で生まれ育ち、中には親の片方はユダヤ人でなくその国の人であったり、習慣も言葉、服装もその国の民衆に溶け込んでいました。ですから、堅持していたというのはあっていません。 例えば、「シンドラーのリスト」「コメディアンハーモニスト」「Life is Beautiful」「アンネフランク」の映画を見たりすればそのことが良く分ると思います。 また、アウシュヴィッツや強制収容所に残された服や髪の毛の山色を見ても、真っ黒ではありません。 最近のドイツでも、旧ロシアで独立した国々やロシア人、ポーランド人などたいへん多く、外見や挨拶程度の会話ではドイツ人と見分けは付きません。子供の友達にも数人居ますが、自己申告しなければ、彼らの宗教も分りません。 おそらく、ヒットラーがユダヤ人にユダヤの星を胸に付けさせたり、ユダヤ人証明書を持たせたのも見分けが付かなかったからだと思います。 ドイツには今でもネオナチが居ます。思想はヒットラーの頃と変わらないものです。 彼らの対象はユダヤ人とは限らず、外国人全てです。ヒットラーもゲルマン人(アーリア人)の血統しか認めませんでした。 質問に合う答えが下に出ています。 反ユダヤ主義(Antisemitismus) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%B8%BB%E7%BE%A9

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.8

ユダヤ人には基本的に他を受け入れない選民思想が強い民族です。 神に選ばれたすぐれた民族として事実、富、芸術、学問などに実績があることは否定できません。 そして他の民族とは異なる習慣、ヘブライ語、服装を堅持しています。 この姿勢が他の羨望を招き、反動としての虐待、敵視を招くという反面があるのだとおもいます。 この風潮は長い期間を経てほとんどの国で定着してきたものです。 ナチの行動はそれを利用したものと理解します。

  • Mumin-mama
  • ベストアンサー率45% (1140/2503)
回答No.7

>それは具体的に何なんですか? ユダヤ人迫害はヒットラーの出現で究極の事態になります。ヒットラー以前の情勢で、国は借金だらけ、失業者やワーキングプアーにあふれていました。そんなところに、ユダヤ人は身なりは良く、高学歴者の比率も高く、一般市民には嫉ましい存在になって行きます。 日本の国の中でも、在日、韓国、中国、その他アジア諸国やアフリカ、南アメリカからの在日者に対して、何らかの差別があるのと同じ差別です。 政情不安になったり、内戦や紛争、戦争により、民主主義体制が崩れると、国をまとめるために、「敵」が必要になってきます。簡単に「敵」や「スパイ」に仕立てあげ、彼達の財産を没収して、その金を国税に回すと言えば、国民は口出しできなかったり、それまでの嫉みで当たり前のように納得するでしょう。 財政を立て直すことや、軍事費として、ユダヤ人の財産はヒットラーやナチから見たら、国民をうまく操れば、簡単に手に入る格好の宝の山でした。1938年にヒットラーはユダヤ人とドイツ国民を区別するためにユダヤのパスポートを携帯させ、ダビデの星の黄色いワッペンを胸につけることを義務づけました。その時点でユダヤ人は財産、職業と人権をナチに奪われました。ヒットラーの頃のユダヤ人は外見上や宗教では、全く普通のドイツ人でした。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6

フツー、住むところを追われた民族はどっかで諦めるというか折り合いをつけるというか、新しく住んだ土地を故郷にして時間をかけてその地域に同化していきます。宗教も、その土地に合わせて変化していきます。 しかしユダヤ人という人たちは、どういうわけか自分たちの宗教を頑ななまでに守り、その宗教で約束されたパレスチナの土地に(あんな砂漠の土地のどこに魅力があるのかよくわかりませんが)異常なまでにこだわります。 しかもその宗教は大変なマニアック宗教で、あれを食べちゃいけない、これやっちゃいけない、例えば安息日に急病人が出ても医者は(安息日は働いてはいけない日なので)治療をしてはいけないなどと異常なまでに規則にうるさく(イエスが安息日に病人を手当てしたことは保守的なユダヤ教徒たちから大変な非難を受けました)、彼らはそれもマニアックなまでに自分たちの信仰をどんなことがあっても決して捨てなかったのです。 エルサレムに「嘆きの壁」というところがあります。かつてユダヤ王国が繁栄していたときの神殿の一部で、ユダヤ教徒たちが世界中から集まってその壁に向かってお祈りをしますが、そのお祈りというのが「またあのとき(2500年くらい前の話)のユダヤの栄光が戻ってきますように」というものなのです。2000年以上前の昔に戻りたいと願っているのですよ。その宗教を信じない人たちにはサッパリ理解不能です。 面白いのは、同じ一神教であるイスラム教が、発足した当時は同じ神様を信じていた仲だったのでユダヤ教に好意的でした。どうも同じ神様を信じている仲だからそのうちイスラム教に改宗するんじゃないかって思ったみたいです。でも絶対、どんなことがあっても、決して、改宗しなかったので逆に(近親憎悪からか)大変な憎しみに変わりました。 つまりね、タチの悪いストーカーなんですよ。パレスチナストーカー。パレスチナが女性だとしたら、付き合っている男がいようが、結婚してようが、「俺と結婚しろ」といって聞く耳を持たないんです。

optett
質問者

補足

どうもありがとうございます。そうなんですか、、 最後の、聞く耳を持たないという話はとてもわかりやすい表現ですね。確かに他の回答者の方の書き込みや、#6さんの回答を読んでいて最後のたとえの表現はぴったりなような気がしました。 嘆きの壁、その壁に向かって昔に戻れますようにというお祈りをやりだしたのはいつ頃からなのでしょうか?1000年くらい前のことでしょうか?    本当に戻れますようにといのっているんですかね? それにより自分たちの過去の栄光をたたえてるという感じは感じますね。。 安息日というのは映画で見たことがあります。医者もだめなんですか、じゃあ目の前にしにそうな人がいても医者は何もしないのでしょうか・・・?  それに何の意味があるのか不思議ですね。。。 

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.5

ユダヤ人の性格の悪さが最大の原因です。 キリスト教うんぬんは、後から付け加えられたものにすぎま゛ん。 ユダヤ人は、他者の事を全く考慮せず、自分たちの事しか考えません。 また、他人の土地にいっても、なじもうとせず、自分たちの意見や考え方を通そうとするため、地域住民とトラブルを起こすのです。 ユダヤ人、イスラエル人の性格の悪さは、彼らと少しでも関係を持てば理解できます。

optett
質問者

補足

ありがとうございます。 ええ、そうなんですか 性格の悪さ・・・ なんでしょうか・・個人個人違うとは思いますが、全体的にそういう体質なのでしょうか・・・そういう環境で育てばそれが当たり前になりますしね・・・それってユダヤ教の教えとかに原因があるんですかね? 商売上手だからというより、ずうずうしいという表現の方が合っているのでしょうか・・・今のユダヤ人もそういう感じの人が多いのでしょうか・・?

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

単純に言うと、ヨーロッパで国民国家が作られたときに、ユダヤ人も作られたのです。 民族くらい定義不可能なものはないのです。一番定義しやすいのは「ほら、あいつらとは違う、われわれ」というやり方。その時に「あいつら」とされたのがユダヤ人です。分かりやすかったわけです宗教が違うので。 「あいつら」が禁止されたのが土地の保有です。また、「あいつら」ができたのが、他の宗派への銀行業。ちなみにユダヤ人同士の金の貸し借りでは利子を取ることは禁じられていますが、ユダヤ人が他の宗派の人間に利子を取ることは禁じられていませんでした。 「あいつら」への土地の保有が禁じられたのが、けっこう恣意的であったのは、国民国家意識ができるのが遅かった東欧ではユダヤ人の農民がたくさんいました。なので、ナチスドイツによるユダヤ人殺害で人数が多いのが、ポーランドになるわけです。ユダヤ人がすべて商人なのであれば、あれだけ沢山のポーランド在住ユダヤ人はあり得ません。 ちなみに、英語におけるオランダ蔑視の表現は17世紀における英蘭戦争を背景にしており、ユダヤ人は直接には関係ない。 英語には、同様にフランスを蔑視した表現も結構あります、それは一時期イギリスの競争相手がフランスだったからです。

optett
質問者

お礼

なるほど、ユダヤ人はオランダ蔑視の表現は直接は関係ないのですね。よく小学校や中学のいじめでありそうな感じですね。嫌いな人の名前を汚いものを表現するときにつかったりとか。。。戦争って起きてはならないことだけれど、起きてしまったのだからそこからたくさんの事を学ぶべきなんですね。。。小さなことでも。。。 なんだか考えさせられました。回答本当にありがとうございました!

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.3

宗教にも支配者にも誰にもへりくだらないからなんじゃないですかね? どこでも中立の立場を取るので、どちらからも嫌われる。 そうすると両方にお金を流通する為替で儲かるのです。 ユダヤ人の事だとすぐにナチスを想像しますが、ユダヤ人の多い国はオランダです。 オランダはカソリックとプロテスタントが宗教戦争をしなかった国なので、布教なしに大航海時代を通商で勝ち取りました。江戸幕府がオランダを選んだのはプロテスタントが強引だったからスペインを排除したのです。東インド会社もイギリスより先に設立。 チューリップの輸出だけで国が富み、現在も世界で珍しいマリファナ、売春合法が外貨獲得手段。 常識を覆す商売をするので外国からは嫌われるのです。 ダッチワイフとかダッチシェア(割り勘)とかダッチコーヒー(薄くて酸っぱいコーヒー)とかオランダを差別する言葉は無数にあるんです。全部ケチの代表。

optett
質問者

補足

どうもありがとうございます。オランダの話はしりませんでした。オランダにはユダヤ人が多いからダッチワイフなどの言葉で差別したんですか?それとも、ユダヤ関係なくオランダのそのような商売法を嫌いダッチワイフなどオランダという「国」を差別したのですか 教えてください

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.2

ユダヤ人差別について、このわずかな回答欄ですべてを語ることはできません。 詳しくは、世界史や関連書物を紐解いて、自分で調べてください。 ローマ帝国崩壊後のキリスト教の歴史は、ユダヤ人差別の歴史でもあります。 ヨーロッパのほぼ全域をキリスト教徒が占めた中世において、宗教を信じていた人は、ほぼキリスト教に改宗しました。 イスラム教徒は比較的他の宗教に肝要で、同じ神を信じるキリスト教徒やユダヤ教徒が自分たちの国に住むことを許しましたが、キリスト教徒はあまり肝要ではなかったのが実情です。 そんな中、ヨーロッパに住んでいたユダヤ人だけは、自分たちのコミュニティを築いて頑なにキリスト教への改宗を拒みました。 イスラム教徒はキリスト教徒の国を追い出されても、自分たちの国に帰ることができたのですが、自分たちの国のないユダヤ人はキリスト教徒の国で、迫害と差別を甘受するしかなかったのです。 国家の擁護がない民族がどれほど惨めか、ユダヤ人の歴史を知ればよくわかります。 ユダヤ人差別がほぼなくなるには、第二次世界大戦を経てイスラエルが建国される20世紀後半まで待たなければなりませんでした。 参考: 『ヘブライの館 2』-『ユダヤ人の離散』  http://inri.client.jp/hexagon/floorBXF/_floorB1F_XPha.html

optett
質問者

お礼

そういうことですか。URLまでつけてくださりありがとうございました。とてもわかりやすい説明でした。

noname#81629
noname#81629
回答No.1

まずはここら辺から始めてください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA 関連書籍等も読んでください。

optett
質問者

補足

読んでもわからなかったから投稿しました

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