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薩英戦争の結果に対する英国側の評価
薩英戦争で薩摩の砲台を完全に沈黙させた後、英国軍が上陸しても長期は駐留できなかったと思いますが、英国としては何を期待していたのでしょうか。また予想できなかった反撃を受けたのは情報不足のせいだったのかと思うのですが、この辺の事情はどうだったのでしょうか。
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ゲリラやテロにあうリスクが高いので、軍事上の戦略拠点としては日本は最悪でしょう。 日本を本気で制圧統治するなら、少なくとも20万の軍勢が必要といったところでしょうか?イギリスでも両面作戦は不可能、国力を多少傾ける程度の難しさはあったでしょう。 失敗すれば(というかかなりうまく成功しなければ)アメリカのイラクでの泥沼みたいになります。 そしてその価値は全然ないです。 インドのように香辛料・茶に巨大市場とか、南アのように金銀ダイヤがザックザクという状況でも無い限り、ありえない出費です。 ちなみに生麦事件の報復として、江戸大坂に上陸して短期占領も検討されましたが、極東戦力では不可能ということで却下されています。 あとキューパー提督は別に戦死はしていないですよ。 イギリス側の想定外の被害の理由ですが、まともに射程内でうちあえば当然ありうる被害です。薩摩側の武装もある程度つかんでいたはずで、なぜ不用意に近づいたかはわかりません。おそらく恫喝で片付くと考えて、威嚇のために近づいたと考えられます。 英国側としてはショックというほどの大打撃ではありませんが、薩摩の力と戦意の高さを評価することになり、薩摩に倒幕させる方向に進む結果となっています。
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- jkpawapuro
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まあ植民地というのは50年から百年かけて投資して、その後利益をあげるものですよ。 そして日本は遠いし特別儲かるものは無いし、多量な陸兵(武士)と異国に対する抵抗感があって、統治には莫大な犠牲が伴います。 あと基本的なこととして、イギリスはじめ列強はこの時期中国の奪いあいをしています。日本どころではありませんので、日本でやっているのは小遣い稼ぎです。大航海時代以来帝国主義は、まずアフリカ、そして新大陸、次にインドおよびその周辺、(このタイミングでアメリカ独立)最後に中国という順番に進んでいます。日本の順番はまだきていませんでした。(その間に日本の近代化成功)そしてヨーロッパではドイツの暴発・東洋では中国を巡る日米対立から第二次大戦となって、帝国主義時代に終焉を迎えます。 日本は西欧から一番遠く、また彼らにとって大しておいしいわけでもなかったので、植民地としては狙われなかったといえるでしょう。
補足
はじめの疑問は薩英戦争では旧式砲台と侮って司令官が殺されてしまったというのは英国側にしてみればかなりショックだったと思うのですが、全体的には日本は物の数ではなかったということでしょうか。植民地については戦略拠点としての日本列島の価値は当時でもあったと思いました。
- Ganymede
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私は通りすがりの素人に過ぎません。資料も見ずに走り書きしてみました……。 > 植民地化されたインドとの違いはどこにあったのでしょうか。 イギリスはインドを植民地にするのに、長い年月をかけている。植民地化は大事業だ。金目(かねめ)の物を略奪するだけなら、すぐ済むが、それは植民地化と言わない。 イギリスはインドに莫大な投資をしている。ご存知ないかたも多いらしいのだが、植民地経営って一般に赤字なのだ(経済史の常識)。これを知らない輩が、たとえば韓国併合(1910-45)は日本の「持ち出し」だったから、植民地ではなかったなどと言っている。 話を元に戻すと、植民地化は手間も金もかかるから、イギリス議会は反対することもあった。すでにイギリスは、議会の賛成なしには海外侵略もしにくい時代に入っていた。 逆に言うと、議員たちも海外侵略が好きだったから、イギリスはあんなに植民地を増やしたのだ。ただし、議員だから理屈を言う。「日本を植民地にした場合の利益は? 香辛料か何か採れる?」(議場で正式に議題に上ったという意味ではない) 日本は(当時の列強から見て)めぼしい産物がなく、特異な作物の植え付けができそうな気候でもなかったので、植民地化を免れたのだろう。 付け加えておくと、たとえばネパールはめぼしい物もなさそうなのに、イギリスに侵攻された(1814‐16)。しかしこれは、当時ネパールが領土を拡大していて、イギリス東インド会社を刺激したからである。その点、まだ日本は、列強の東アジア権益を脅かすほどの力は持ってなかった。長州や薩摩は(故意または偶発的に)「攘夷」を実行する。しかし、すぐに負けて攘夷の不可能を悟り、列強の敵でなくなってしまう程度の力しかなかった。 以上、イギリスは日本を植民地化する計画がなかったので、いくさの目的も占領ではなく賠償金だったようだ。
お礼
大変勉強になりました。肉食動物の肉は草食動物のものに比べてまずいそうですが、このことに似ているような御はなしでした。どうもありがとうございました。
- caesar-x2
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それはもちろん交渉の開始を期待してのことです。 砲台の占拠はただの示威行動で、外交交渉を有利にするためだけのもの。 占領が勝利というような固定概念は、むしろ荒唐無稽です。 長期的に占領する気なんかさらさらなかったのは明白です。 幕末のころはイギリスは、ヨーロッパ列強の中でもっとも、 日本の情勢によく通じていました。 実際の対応も、全く間違いなかったわけで、問題なしです。 イギリスが意図したことではなかったわけですが、 薩軍にも花をもたせたことで、交渉はうまくいき、 薩摩とイギリスとの協力関係は円滑にいったといえるでしょう。 戦場で予想外のことがおこることは普通のことで、 どんなにしても全てを事前に察知するのは不可能です。 問題はそれにどう対応するか。
補足
植民地化されたインドとの違いはどこにあったのでしょうか。
お礼
ご丁寧に教示いただきありがとうございました。