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横文字効果とは何か

マンションの案内などを何気なく読んだのですが、よくもまぁ横文字カタカナばっかりちりばめてあるなぁと思います。 「オーナーの皆様に、快適な暮らしをお過ごしいただくために、バトラーによるサービスを導入しました。エントランスホールにバトラーカウンターを設置。セレブリティのための上質なホスピタリティをお届けします」 のような文章があります。これをカタカナをやめたらどうでしょうか 「所有者の皆様に、快適な暮らしをお過ごしいただくなめに、執事によるご奉仕を導入しました。玄関広間に執事受付を設置。ご名士のための上質なおもてなしをお届けします」 日本語を避ける狙いというのは何だと思われますか? 私は大体次のように考えます。 (1)西洋コンプレックス 西洋のものはおしゃれで高級、それだけでアジアものとは上を行くという感覚があるから、やたら横文字にすることで、西洋西洋という高級感を漂わすex.入り口広間に対するエントランスホール、執事受付に対するバトラーカウンター (2)明言を避ける 日本語だと、そのものをバンと提示するという心理的抵抗や、読み手に対してその直接性が負の影響をもたらしかねないという恐れがあり、摩擦を避けようとの安全策から、日本語の明言を避ける(これは(1)の効果も含めることがある)ex.執事に対するバトラー、名士に対するセレブリティなど。 こういう風潮や製作側、受けての考え方、あるいは社会意識や個人の真相意識など、この問題からどういうことが考えられるのでしょうか?

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回答No.5

NO4です。ちなみに「いもっぽく」と書きました。 あえてこだわりますが、歴史、伝統というのが大きいのでは、と台所の例から思いました。正直台所と言われて日本的な台所というものが思い浮かびませんでした。ウィキペディアを見て、ああかまどがあって土間があってという風景かとわかりませんでした。 かつて台所と言われてきたものと現代の台所がマッチしてないから、何かピンとこないダサいイメージになってしまうのではと思いました。 もし昔の台所の様式が現代の生活に合っていたら、やっぱりキッチンではなく台所でしょうね。 包丁のように昔のものがそのまま今までツカえているものはそのまま残っています。包丁はナイフよりいい感じがします。魚や野菜、肉、包丁で切るものはほとんど変わっていないし、西洋のナイフより優れている部分も多いのではないでしょうか(知らないけど)。 マンションのような集合住宅もイギリスから来たものみたいです。日本語の長屋(?)だとピンと来ないし。かつての玄関広間とマンションのそれとはやはり違いますからここはエントランスホールになって・・ 現代使われてるもので、それが日本のかつてのものと同じなら漢字がよく、西洋に歴史があるものならカタカナ。もし西洋に歴史のあるものを従来の日本語で表すとどこかピンとこない(ピンときたらごめんなさい)。 歴史のあるほうの言葉で言ったほうがかっこよい、それか日本語にあてはめたときのピンとこない感じがダサいなどの印象に結びつきやすい ものを売る際も、**チョコレートsince****とかサントリーなんちゃらsince****とか、ここは昔から~~の町でしたのようなのはすごいプラスイメージ高いそうです。という話しから思いつきました。

garcon2000
質問者

お礼

カタカナで書くものは、伝統的でない、近年外来の形式をとるもの、そういわれれば確かにそのとおりです!知らず知らずに、言葉の選び方によって、さすもののイメージを固定化する傾向があります。「いもっぽい」イメージとは、やはり伝統的日本的なものがその言葉の背後に喚起されてしまうからのようですね。 してみると、いかに近年の現代の日本が、外来文化に犯されているのかということをまざまざと思い知らせれます。

その他の回答 (4)

noname#82286
noname#82286
回答No.4

またまたお邪魔します。 凄いNO4さんの意見が参考になったんですが、印象の要素もあるんだろうなという気がしますね。 例えば漢字は複雑で難しいというイメージが形成されている可能性がありますから漢字の場合かたっくるしいイメージもしくは威厳的なイメージがあるのだろうと思います。 ひらがなの場合元々話しやすいというイメージから安易、飽和、平和などのイメージがするし、ひらがなの場合幼少期に習うというイメージがあって幼稚的というイメージが湧く場合もあると思います。 カタカナの場合、外来のイメージもそうだけど、ひらがなと比べると明らかに直線的でスマートな感じがするのでカッコイイというイメージ化するのかもしれません。

garcon2000
質問者

お礼

「字面」によるイメージ化ですね。おっしゃることもっともだと思います。たとえばあまりいい例は思いつきませんが、駅名で「上野」「うえの」「ウエノ」あるいは「宇江乃」とかそれぞれ「イメージ」が違うというのは、その字面から、その背景につながっているものを無意識に呼び起こすという作用があるのかもしれません。

回答No.3

かっこいいからです。日本語だといもっぽくきこえるからです。日本語には日本語のよさがあります。漢字だと重くなります。ひらかなだとはっきりしない感じになります。おもむきはありますけど。カタカナだと明るくハッキリしてて都会的です。これは語のリズム?(読み方)や字の形にもよるのではないでしょうか。でも漢字やひらかなも伝統あるところで使われれば、格式高いいいイメージになります。ちゃんとしたところで使われれば高級感は負けていないと思います。でもそういった伝統のない場所で使われるといもっぽい感じになってしまいます。

garcon2000
質問者

お礼

その通りだと感じます。その「きもっぽく」なる理由ですね。これがわかると実に有益に感じますよ。 おっしゃることはまったくその通りで、溜飲の下がる思いです。面白いものですね。書きかた言い方によって「印象」が違う。 たとえば、「キッチン」と「台所」 「何」が この印象の差を生むのか。「台所」のほうは、どうして現代的で高機能で広々した調理関係の家庭設置場所をイメージできないのか? なにか「茶番」めいたものに各々毒されている気がします。 そして、女子高生が男言葉を使うことによる何らかの印象の形成。

noname#82286
noname#82286
回答No.2

(1)(2)はまさに的確だと思います。 この両面がカタカナを使わせる唯一の理由とも言えると思います。 ではそれ以外の効果は何があるのか思案してみたいと思います。 (3)これは養老さんが新書で述べていましたが、カナの方が実は人はピタリと来てすんなりと読めるというのがあるみたいです。なのでその会社もしくは販売側のキャッチフレーズとして抵抗のないものなので顧客の自尊感情を上乗せしやすいという一面もあるのかなという気がします。もしそこに抵抗があれば区分化されてしまいそれに準じない人に対しては無理だと思い込ませるような仕組みがあるように思います。 (4)カッコ良さ つまり提供側をかっこよく見せるため(1)にも引っ掛かってくるのですがカッコイイものを得たいという願望を満たすための理由があるかと思います、つまり自分が優の要素を帯びることでそれ以外を劣化できるために顧客を釣ろうという作戦。

garcon2000
質問者

お礼

「カナ」「かな」もか?は確かに直接的(表音だから?)で大脳を介さないのかもしれません。抵抗はない。万人向けだから宣伝には都合いいのでしょうかね。 「カタカナ」外来語は、セレブ語か!?という雰囲気がありますね。集団無意識というか。ここが茶番を大いに感じるところです。でもこれだけ茶番が全人口的に浸透してしまうと、もう動かせないほどになるもののようです。 この「カナ」印象「漢字」印象の違いを形作るメカニズムが明らかになるとすごく面白そうなのですがね。

noname#194289
noname#194289
回答No.1

すでに日本列島に漢字が入ってきたときから同様の問題があったのではないでしょうか。漢魂漢才の風潮に抗して菅原道真が和魂漢才を唱え、これをもじって洋魂洋才を唱える風潮に抗し和魂洋才が唱えられて第2次大戦前夜は独魂独才の陸軍と英魂英才の海軍が国を滅ぼし、戦後は一転して米魂米才で現在に至っています。この間仏魂仏才や露魂露洋もありましたが少数派だったと思います。現在のカタカナ語はすでに現代日本語というべきなのではないでしょうか。漢字による造語力がなくなってしまって、新しい言葉は西洋的なものから借りてくるほかないのではありませんか。国の象徴的仕組みである鉄道でもジェーアールですから。国産車が最も信頼性が高くなっても自動車の名前は横文字的なものがほとんどです。

garcon2000
質問者

お礼

おっしゃるように、現在(ここ半世紀くらいか)第2二次外来語取り入れブームになっているのかもしれません。本当に、漢字の輸入時にも同じようなことが起こっていたのでしょうね。大和言葉に対して、どう漢字を当てはめるのか、新語はどうするのか。 しかし、漢字は高度な文化です。今の外来語は、それを同化吸収するというよりも、安易に形だけもってきて「和魂」ともいえないような、カタカナ表記に直しているだけで、漢字に対するような畏敬とか憧れとかではないのではと。要は、おしゃれ感覚ですかね。おっしゃるとおり、漢字による造語力がなくなっているということも大きいですね。JRしかり。

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