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16世紀の頃のおとぎ話の価値観について

ぼくはクラシック音楽が好きでモーツアルトのオペラもとても好きでよく聞いています。好きなオペラの一つに魔笛があります。しかし、昔から不思議に思っていることがあります。それは魔笛のストーリーです。魔笛の主人公は冒頭怪物に追われて逃げていますが、自分では全く抵抗できず助けを呼ぶばかりです。そのうち気絶してしまいますが、夜の女王のそれも侍女たちに助けられます。それで女王から娘が「悪い奴」につかまっているから助けてほしいとたのまれて助けにでかけますが、たちまち「悪い奴」に捕まってしまうばかりか逆に洗脳されて夜の女王が悪いと信じてしまいます。日本人の価値観だとこの主人公の性格付けはあまりにも不自然で理解できません。魔笛のストーリーはおとぎ話の類に入ると思うのですが、魔笛が作られた時代のおとぎ話にはこうようなこしぬけの主人公は普通にでてくるものなのでしょうか? 

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  • zephyrus
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回答No.3

まず、『魔笛』のリブレット(脚本)を書いたのはシカネーダーという人だったことを押さえておきましょう(別の人物が作者だと名乗りでた事実もあるようですが、ここは定説に従います)。 シカネーダーは巡回劇団の座長であり、またヴィーデン劇場(現在のアン・デア・ウィーン劇場の前身に当たります)の経営をゆだねられた人物でもありました。 パパゲーノ役を演じたそうで、これは映画『アマデウス』でもしっかりと踏まえてありました。 ヴィーデン劇場は当時ウィーン郊外、城壁の外にあって下町だった劇場で、このことからもうかがえるように、庶民にしっかり楽しんでもらう興行をぶっていたところだったわけです。 シカネーダーは、大衆受けのする童話的な魔法劇で大当たりをねらっていたようです。 現代のような著作権うんぬんにとらわれない気ままな時代だったこともあいまって、 『魔笛』の原本探しは煩雑をきわめ錯綜混乱しています。 ご興味があれば先行する作品など、日本語版wikipediaなどにも若干載っていますのでそちらをご覧ください。 要は『魔笛』のリブレットに関しては、寄せ集めで一貫性がなく、多分にご都合主義であるということ。 文学的な見地からみて、ほとんど支離滅裂であるという非難はあとをたちません。 娘をさらわれたと悲痛に訴えていた夜の女王がじつは悪者であり、 ザラストロがその逆であったなんて、なんの伏線も必然性もなく示されても、 それですなおに納得する観衆なんて、ほとんど皆無でしょうね(爆) 題名にもなっている魔笛をもともと保持していたのは夜の女王。 その魔法の笛をゆずりうけた王子(家来の一人もいない)タミーノが物語の中心かといえばそうとも言えず、 魔笛もたいして魔法の力を発揮せず(パパゲーノのグロッケンシュピールのほうがはるかに印象的)、 嫋嫋たる母親だったはずの女王は三人の侍女とともにザラストロの館へ押しいり(なら、最初からそうしてください)しかもあっさり一網打尽にかたづけられてしまう。 なんなんだ、この話の流れは! この物語の淵源はそうとうに古いらしくて、古代エジプトの主神イシス、オジリスが出てくる一方、 ザラストロはゾロアスター、つまりツァラトゥストラのことで、 古代ペルシャで信仰された宗教、拝火教の教祖。またニーチェやR.シュトラウスでおなじみの名前ですね。 夜の女王はマリア・テレジア女帝のことだと言われたり、 なんといっても秘密結社フリーメーソンとの関係でよく話題にのぼるオペラ(厳密にはジングシュピール、ドイツ民衆の歌芝居)でもあります。 まあ、オペラもオペレッタもミュージカルも、本邦の歌舞伎にしても、 話の筋だけ追えば、ありえないことだらけであるのがふつうで(笑) そうあるにもかかわらず、というか、そうであるからこそかえって、人を魅了し夢中にさせるものがあります。 小説という形式は19世紀以降の市民社会で発達し、科学とか科学的な思考と意外に密接な関係があって、しばしば論理的であることが要求されます。 これに対し演劇は歴史ある形式ですが、たとえばあるシーンで話題の人物がひょっくり脈絡もなく現れてもあまり不自然さを感じさせません。 歌芝居や舞踊劇は、なにより歌や踊りが中心であって、かつ、魅力の源泉であることは言うを待ちません。 それぞれはそれぞれのジャンルに適したやり方があり、持ち味があり、観かた聴きかた楽しみかたがある。 音楽家のインスピレーションをかきたてるものがリブレットとして最上である、という意見もあるし、 筋なんて二の次、観て聴いて映えるものこそオペラにとってふさわしいと捉える見かたもあります。 『魔笛』は伝統あるイタリア・オペラと民衆のジングシュピールの融合であり、 また教会音楽、オペラ・セリア(悲劇)やオペラ・ブッファ(喜劇)が渾然一体となっています。 なにより、モーツァルトの魅力にあふれ、ほかでもあまり見いだしがたい妙なる音楽。 いつまでも楽しみたいオペラですね♪ 以上、参考にしていただければさいわいです。

moritan2
質問者

お礼

ご回答を読んでやっと意味が分かったような気分になりました。 魔笛がなんかのおとぎ話のようなものだと思っていたので、おとぎ話の主人公がなんでこんな腰ぬけなんだろうと思ったんですが、個々の題材は古い話から取っていても物語はシカネーダーの創作であり、見た人が面白ければいい、モーツアルトのインスピレーションを刺激すればいい、というのならわかります。

その他の回答 (2)

  • Mumin-mama
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回答No.2

直接の回答とはチョッと違うかも知れません。 モーツアルトは1756年生まれですから18世紀のおとぎ話のことですよね。 魔笛とおとぎ話の関係は分かりませんが、 「アマデウス」の映画の中で夜の女王はモーツアルトの義理の母親とイメージが重ねられていますよ。下をコピペしてユーチューブで検索してみてください。 Mozart de koningin van de nacht uit the magic flute amadeus また、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9Bオペラの内容のところに、「途中で善玉と悪玉が入れ替わるという奇妙な捻りがあることが指摘されている。」その理由が書かれています。 グリム童話が1803年なのでモーツアルトはそれを読むことはありませんでしたが、グリム童話は各地(ドイツ中央から北部)に残る民話なのでモーツアルトも各地旅しながら民話を聞いていたかも知れませんね。 その頃の民話のモチーフと言えば、義理の母や魔法使いのおばあさん。美人で賢い女の子やお姫様。腰抜けもありますよ。http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=6425

moritan2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 16世紀は18世紀の書き間違いで、すぐに気がついたんですが、なおせませんでした。 捻りを入れたということですか? それにしても不自然すぎるとおもいませんか? 主人公が英雄ではなくなりただの頭の悪い腰ぬけになってしまいます。 とはいえ、魔笛の音楽はとても好きです。今日もこの質問をしながら聞いています。

  • cosmos-kt
  • ベストアンサー率29% (43/147)
回答No.1

「魔笛」という音楽の場合には、コメディ的な要素が入っているということでしょう。特に、歌劇ということですから、面白おかしくするためのコメディ的な要素で脚本が書かれているものを選んだ、もしくは脚本にしたものだと思います。 その後、グランドオペラになってから、重厚かつ壮大なスケールで描かれた作品も出てきます。例えば、ワーグナーの「指輪」とか・・。 一番、その頃の「おとぎ話」もしくは、各地の「民話」に近いものを探して見ると分かるかもしれません。

moritan2
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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