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18世紀末ごろのヨーロッパの貴族の価値観について
質問させてください。 今の日本だと、良い大学に入って一流企業に就職して順調に出世して理想の結婚相手をみつけて子供を育てて、というのが一般的な男性の成功した人生だと思うのですが、これが18世紀末ごろの貴族の男性の場合、どういった人生が理想的なのでしょうか? ヨーロッパといっても広いので、できればスラブ地方あたりの貴族について知りたいのですが、他の地域の情報でも構いません。なるべく当時の価値観が詳しく知りたいです。 調べてみようとしたのですが、なにぶん歴史の調べ物はほとんどしたことがないので、どう調べればいいのか検討がつかなくて……。 アバウトな質問で申し訳ありませんが、回答宜しくお願いします<(_ _)> また、参考になりそうなサイト、書籍などを提示して貰えましたらとても助かります。
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私も「戦争と平和」トルストイの小説またはオードリー・へップバーン主演の映画、http://en.wikipedia.org/wiki/War_and_Peace_%281956_film%29 または、池田理代子の「オルフェイスの窓」の漫画をお薦めします。どちらもナポレオンがロシアを攻め始めた頃のお話(1806~)の話ですが、ヨーロッパの貴族たちはほぼ同じような生活をしていました。「ベルサイユのばら」の漫画も18世紀末のフランスの貴族生活が書かれています。 後は映画「アマデウス」なども同じ頃の貴族生活がでてきます。 1763年頃スラブ地方は当時ベーメン(オーストリア)、オーフェン(ハンガリー王国)でした。 貴族の男子は戦争に行くのが当たり前のような時代で、ヨーロッパの貴族のほとんどが母国語の他にフランス語を話しお互いに交流していました。 そのために家にはフランス人の身分の低い貴族の娘を家庭教師にしたり、子供の頃からピアノやバイオリン、舞踏会のためのダンスを習わされました。学校へ行くのではなく家庭教師を住み込ませていました。 そのほかにも乗馬、フェンシング、射撃など。ちなみに狩は貴族のみに許されたものでした。勿論、馬や猟犬の世話や道具の手入れをする従人はいました。貴族の仕事は領地(荘園)の管理運営でほとんどが世襲制でした。 この頃は貴族の誰もが大学に行くというよりは、彼らたちの中でも優秀な若者や学者や医者、法律家などを志している人しか大学にはいかなかったと思います。大学の数も当時は少なく、大学も一流しかなかったのではないでしょうか、また大学を出たからといっても医者と法律家以外、大学の教授くらいしか就職口は無かったのではないでしょうか。 婚姻はほとんどが貴族同士の婚姻でキリスト教(カトリックや東方聖教会)のため離婚などは出来ませんでした。 回答からは外れますが、19世紀末には日本からもハンガリーの貴族に嫁いだ人がいます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E5%85%89%E5%AD%90
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- Mumin-mama
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ANo.2です。 キリスト教の場合、カトリック、東方正教会(前回、字を間違えました)は離婚は出来ませんでしたが、妻が病死や産後に亡くなったりしたり、夫が戦死した場合は再婚できました。 ちなみに、ローマカトリックやフィリピンでは離婚が認められるようになったのは20世紀の後半のことだったと思います。 宗教と離婚と言えば忘れられないのがイギリスのヘンリー8世です。 ルターの宗教改革(1417年)は彼にとってたいへん都合がよいものであったようです。でも、プロテスタントは理由なしに離婚を認めていたわけではありませんので、その辺をご注意ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC8%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B) また、宗教改革前の神聖ローマ時代で、現在のドイツ地域で司教、司祭になれたのはほとんど王様の息子や貴族出身者でした。 (舞台はフランスで時代は遡りますが、「三銃士」にも悪徳司祭が出てきます。)
お礼
親切に回答ありがとうございます。とても助かりました!
- b-brooke
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イギリスについて話してみます。スラヴ圏とはカスりもしないので参考にならないかもですが。 貴族に生まれた男子は家庭教師をつけて学びます。将来有望な牧師が家庭教師になり、牧師は貴族家と繋がりが出来て将来の出世がしやすくなります。 そののちオックスフォード・ケンブリッジに進み、卒業するとグランドツアーというヨーロッパ歴訪の旅で教育は締めくくられます。 その後上院(貴族院)に議席を得(当時は爵位貴族ならほぼ自動的に議席が与えられた。次男以降は後述)、政治の世界に参加していきます。 家督が譲られない次男三男は、当時一定のステイタスを持っていた法律家・内科医・軍士官などになります。イギリスの伝統では働かずに地代だけで食べられる身分が理想的だったので、彼らは株などの有価証券に投資し「あこがれの無職」を目指すという構図です。 イギリスでは伝統的に、働いて収入を得る人生は二級、働かなくても収入がある身分が一級でした。「一級」の生活をしている人でなければ、国会議員や治安判事といった立場(無給)に就けませんでした。オリンピックが当初アマチュア限定だったのも、これと関係があろうと思います。 調べものをする際には、山川から出ている世界歴史大系・新版世界各国史をとっかかりにするといいかもしれません。執筆者名や本の最後に載っている参考文献をたよりに、芋づる式に本にあたることになろうかと思います。 ちょっと慣れてくれば、史学雑誌の「回顧と展望」(参考URL参照)を見て、国会図書館などから論文を取り寄せたりすると、さらに深まります。
- 参考URL:
- http://wwwsoc.nii.ac.jp/hsj/
お礼
回答ありがとうございます。イギリスにそんな伝統があったなんて知りませんでした。とても勉強になります。資料の探し方なども、とても参考になりました。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
時代的には少しずれますが、トルストイの小説戦争と平和が19世紀初頭、大祖国戦争時のロシアの貴族の精神を著しているように思います。 読んでませんが。
お礼
すいません。欄を間違えました。回答有難うございました。
補足
回答有難うございます。読んでみます。
お礼
要点の概略ありがとうございます。とてもわかりやすく、参考になりました。
補足
すいません。ちょっと聞いていいですか? キリスト教で離婚はできないけど、例えば妻が事故なので死んだ場合、再婚することはできないのでしょうか? 戦争にいって夫が死んだ場合、妻は一生未亡人でいなければならないのでしょうか? もし良かったらお暇なときにでもお答え頂けたら嬉しいです。