- ベストアンサー
ネグりの「帝国」について
ネグリの「帝国」という本では、帝国は自国の内部矛盾を外部化することによって成立してきた、しかし現在は外部というものがなくなっている、ということが書いてあるそうですが、 内部矛盾を外部化~というのは、具体的に言うとどういうことなのでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> 帝国は自国の内部矛盾を外部化することによって成立してきた、しかし現在は外部というものがなくなっている、ということが書いてあるそうですが 「内部矛盾を外部化」というまとめ方は適切ではありません。 同書で繰りかえし言われていることは、「帝国は外部を内部化してきた」ということです。 『帝国』の中心的なテーマはポストモダニズムの思想の乗り越えということにあります。 まず、ポストモダニズムの思想というのは、近代性批判です。 ポストモダニズムが批判する近代というのは、外部を内部化することによって、つまり近代的主権の世界というのは〈自己〉と〈他者〉、白人と黒人、内部と外部、支配者と被支配者を規定する、二項対立によって分割されている。ポストモダニズムの思想はこの二項対立に挑戦するものとしてありました。 それに対してネグリは外部はもはや存在しない、〈内〉と〈外〉という二項対立の図式で見ていくことは妥当ではない。このことを思想・政治・植民地問題・経済・情報ネットワークとさまざまな観点からあきらかにしています。 「具体例」ということですから、帝国主義と植民地の問題を例にとって考えてみましょう。 具体的には同書の3-1に当たります。 論旨の流れはこうです。 マルクス主義の帝国主義批判を、同書では 「資本主義と拡大のあいだには内在的な関係が存在し、資本主義的拡大は不可避的に帝国主義という政治形態をとる」とまとめています。 これはどういうことかというと、まず資本は労働者を強制して必要労働を越えて剰余労働を行わせる。そうすることで、資本は自己を増殖し、剰余価値をつくりだします。 ここで、労働者の賃金は労働者によって生産された全体価値より低くなければ剰余価値は生まれません。消費ということに目を転じてみると、消費者としての労働者の需要は、剰余価値を下回るものでしかありません。消費者が生産された全商品を購入することができなければ、たとえ搾取が発生し、剰余価値がしぼりとられているとしても、その剰余価値は実現不可能です。 ここから、生産過程において生み出される剰余価値を実現し、過剰生産の結果もたらされる価値減退を回避するために、資本はその領域を拡大しなければなりません。こうして流通圏域が拡大することによって、資本主義的圏域内部での市場は増強されます。 ところが労働者が使うことのできる賃金の額だけでは、この増強された市場を支えることはできません。そこで、新たな消費者が求められるのです。資本はそこで外部に目を向けます。非資本主義的な外部の消費者を内部に組み込んでいきます。 こうして得られた剰余価値が貨幣というかたちで蓄積され、今度は生産に再投資されると、それがふたたび資本に戻ることが必要になってきます。つまり、さらなる価値実現のために、市場のいっそうの拡張を要求することになります。こうして、資本化のプロセスのなかで、絶えず外部は内部化されていくのです。 ところがこの資本主義的拡大は根本的な矛盾をはらんでいます。 剰余価値を実現する必要性を満たすためには、外部に非資本主義的な環境がなければなりません。 けれども、実現された剰余価値を資本化するためには、今度は非資本主義的な環境を内部化しなければなりません。 ところが非資本主義的な環境のある区域が、内部に編入されると、資本の剰余価値を実現するために必要な外部ではなくなってしまう、ということになってしまうのです。 そうして《帝国》はさらなる外部を求めていき、とうとう市場はグローバルなもの、「外部は存在しない」という状況にまで至った、という情況が描写されています。
その他の回答 (2)
これは、私の想像ですが。 「帝国」と聞けば、絶対君主として「支配する者」。 自由を奪われる「支配される者」が存在しますよね? 外部に、「自由な国や地域」が有れば、支配される人は、 「あそこには自由が有るのに、ここには無い」 と、内部矛盾が起こる訳です。 しかし、帝国が外部も支配する(外部化する)。 「全てが帝国」となれば、もう「外部は存在しない」訳です。 判りますか? 違うかな?、私の考え・・・。
- ecoshopQ
- ベストアンサー率10% (18/172)
自国の内部矛盾を外部化なんかしたら、即崩壊でしょ。 北朝鮮を例に考えてみれば分かりますよね。
お礼
なるほど~!丁寧にご回答いただきありがとうございます!何となく分かったような気がします。勉強になりました!