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安宅の関(義経北国落ち)
今、『義経記』について考えていることがあります。 『義経記』にはかの有名な「安宅の関」が存在しないのです。 「安宅の渡し」としてなら、名前だけ出てくるのですが・・・・ あの有名な「安宅の関」の話を読もうとすれば『謡曲集-安宅-』に載っていました。 なぜ、『義経記』では「安宅の関」の話のことについて触れられていないのでしょうか? (「安宅の関」と同じような話を『義経記』で探ると「念珠の関」もしくは「如意の渡し」になるのかな?) この事について、何かご存知の方がいらっしゃれば、是非教えてください。
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>『義経記』にはかの有名な「安宅の関」が存在しないのです。 >なぜ、『義経記』では「安宅の関」の話のことについて触れられていないのでしょうか? 歌舞伎の勧進帳で有名なお話ですね。 元々は能「安宅」で、それを七世市川団十郎が演じたことで広まったと聞いたことがあります。 この「安宅の関」のお話自体が、義経記や吾妻鏡、源平盛衰記などを元にして後世に作られたヒーロー伝、フィクションで、義経は安宅の関を通っていないとされる記述がどれかにあったはずです。 下記のURLでその原文が紹介されてますよ♪ あと、ここもおもしろいです。 http://www.st.rim.or.jp/~success/simazu_h07.html
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能の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」にでてくるあの話はたしか義経記をもとにしたフィクションだったと思います。 そんなわけで義経記の方には出てこないのではないでしょうか。 能と歌舞伎のどちらがオリジナルなのかは知りませんが。
お礼
フィクション!? なるほど・・・・『義経記』のいいとこ取り(?)をして、作られていったお話なんですね。 それで『義経記』には「安宅の関」や「勧進帳」のことには触れられていなかったのですね。 弁慶が富樫介のところへ訪れた時、「勧進」のことは少し触れられていましたが・・・・。 本当にありがとうございました。
お礼
大変参考になりました。 「安宅の関」のお話は様々な書物を元に作られていったものだったんですね。 参考URLも興味深いことがたくさん書かれていて、本当にありがとうございました。