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現実的な解釈ができる人  できない人

 こんばんは。お世話になります。  人間には『現実的な解釈ができる人間』と『現実的な解釈ができない人間』が居るように思います。  例えば、Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て、 短絡的に「Aさんが悪い」等と思い込んでしまう第三者は多いと思いますし、 逆に、そのような状況であっても、適切に現実的な解釈ができる人も居ます。 (もちろん、どのような状況においても現実的な解釈ができるような完璧な人間は居ないと思いますので、 現実的な解釈ができる傾向の人、できない傾向の人、等と言った方が適切かもしれません)  そこで質問ですが、まず、現実的な解釈ができる人と、できない人の違いを、 専門的な立場から、うまく説明して頂きたいと思います。 (自分でも更に調べたいので、専門用語等も教えて下さい)  次に、現実的な解釈ができる人と、できない人の割合はどのくらいなのか、教えて頂きたいと思います。 (経験談や経験から得た憶測等でもかまいません)  宜しくお願いします。

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回答No.21

buhahaさま、こんばんは、 残念ながら、心理カウンセラーではありません。 50を超えもういい加減年ですが、将来的には仕事に生かしたいと考えております。 来年は、NLPのプラクティショナーをとるのが、今のところの目標です。 > インナーとミドルの違いがよくわかりません…… そうですね、インナーとミドルは、大変にわかりづらいモノですが、 インナーは、他人と比べたり、他人に証明はできませんが、自分の中で確実に感じる感覚です。 近頃、脳科学の茂木健一郎氏の云う、クオリアのようなものかも知れません。 対して、ミドルは、インナーからの情報を得て沸き起こる感情・思い・考えなどです。 >  例えば、Aさんが事実無根の悪者扱いをされている状況を見て、 そこで、見ている状況すべてが、アウターで、 そこで、感じている空気、暑さや寒さ、見ている色、音などがインナーで、 その悪者扱いをみて、起こってくる感情・思い・考えなどがミドルとなります。 >> 他人に対する(愛)情が、問題解決能力を支える土台です。 > この辺りの理論にも興味があります。 ここ17年ほど(臨床)心理の色々な理論を学んで来ましたが、 “理論”というのでなく“前提”ですね、理屈云々ではなく、 最初に、人間に対する(愛)情=関心が無ければ、心理学は 発展してこなかったと思っています。 人間への信頼と愛情が、臨床心理学の基礎です。 ただ、元々の日本語に無い、愛なんてクサイ言葉を出すと、反発されることもよくあります、 私のような古い人間は、“情”と言った方が、どうもしっくりくるような気がします。 爆笑問題のテレビでしたが、ある大学教授(?)が 『「愛は地球を救う」ではなくて、「小さな親切は地球を救う」です。』と言っていましたが、 おお!名(迷)言だな~と感心して聞いた覚えがあります。(笑) 愛では、重過ぎますし、重い・・・大きな感情は、どうしても見返りを求める不純さが付きまといます。 “愛”の名のもとに、相手を操作しようとの意志が働くことを、愛の不純さの程度の尺度だと、 私は考えています。その為、愛別離の三苦は、愛の不純さ故に苦しみが増すものと思っています。 > 愛があるが故の不快感 相手の「裏切り」と感じる為には、なんらか相手に期待していたモノが在ったということになります、 逆に愛の不純さの無い「小さな親切なら」相手の裏切りを感じることはないことになります。 不快感を覚える時には、自分の心の期待感を反省する必要があるでしょうし 期待感を相手に伝えていない場合には、もともとその約束は無かったものと諦めましょう。 生老病死、愛別離苦の四苦八苦を超えるために、 お釈迦様は、“諦める”ことが必要だと説いています。 仏教用語の諦めとは、「明らかに観る=正確にモノゴトを捉える」という意味であり、 「現実的な解釈」の為の有効な方法でもあります。 > それに、愛を持って接すると増長してしまう人も多いじゃないですか(笑) 相手が増長したことが結果なら、やったこと(態度や言葉など=インプット)を修正し、 結果(=アウトプット)を観察すれば良い・・・(笑)と云うことになります、 「失敗」はミドルなので、考えようによっていくらでも変える事が出来ます。 結果を「失敗」と判断するのか、「成功への材料」と捉えるのかは、本人の考えひとつということです。 ・(見返りつきの)不純な愛情を、愛と勘違いしないこと ・“諦める”こと ・結果をを修正しやり直すこと ・コミニュケーションをしっかりと取り誤解を避けること なんだか、修行のプログラムのようになっちゃいましたね(汗) 以上、一応わかっていることを、書き連ねて来ましたが、 私自身決して出来ている訳ではありませんので、決して誤解無きようお願いしますね。 「わかることと、出来ることは、全く次元違う」と云うことは、私自身、身に染みて知っております。

noname#90016
質問者

お礼

 何度もありがとうございます。  インナーとミドルの違い、よーくわかりました。  腕にチクリと痛みを感じた。インナー  見ると蚊が私の血を吸っていた。アウター 「てめー! なにしやがんだ! うりゃっ」 ミドル 〈パチン!(という感覚)〉インナー  手の平に血が。アウター 「こいつ、こんなに吸いやがって! ずうずうしいんじゃ! ボケ!」 ミドル  っと、こんな感じですよね。  修行プログラムの方も参考にさせて頂きます。  さて、NO20の回答者様のご指摘どおり、『愛』という言葉は定義が難しいと思うのですが、  harrywithersさんがおっしゃっている『愛』について、もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。 (他の部分は理解できたのですが、『愛』に関する部分だけが、まだ理解できません)  harrywithersさんがおっしゃっている『愛』とは、どのようなものなのでしょうか? また、それは問題解決能力を支える土台の為だけに存在する道具のようなものなのでしょうか? (少なくとも、harrywithersさんがおっしゃっている『愛』と、私がイメージする『愛』とは異なるように感じました)  その辺りについて具体的に教えて頂けたら幸いに思います。  宜しくお願い致します。

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その他の回答 (21)

回答No.1

客観視できるか出来ないか? 感情移入し易いかしないか?

noname#90016
質問者

お礼

ありがとうございます。 客観的な判断力等の優劣も関係するのでしょうね。

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