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原始仏教団は一定の性的マイノリティの入門を認めなかった?
原始仏教の時代、仏教の比丘になろうとする者には、十遮十三難というネガティブなチェックがあって、その中に、性的不能者のチェックと両性具有者のチェックが含まれていたと聞きました。釈迦は、なぜ、性的不能者と両性具有者が比丘になることを認めなかったのでしょうか?
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まず、両性具有者が受戒を許されなかったのは事実ですが、「性的不能者」も、というのは誤解です。漢訳された律の一部に、確かに「不能者」という言葉は出てきますが、これは「黄門」(“おうもん”です、念のため)とも翻訳されていて、その中身は「去勢した(された)者」や「同性愛者」、「バイセクシュアルな人」などを広く含む言葉です。 こういった人たちが教団から拒否されるようになったのは、律自身が説明するところでは、かつて比丘として受け入れたある黄門が、周囲の比丘たちに盛んに性的行為を求める問題行動を起こしたことがあったため、とされています。性的に不能であることが排除の理由ではなくて、むしろ逆に、性的に旺盛な欲求がある人が排除されたわけです。事実、「黄門」の定義のなかには、「病気や事故によって男性器を失った者」も含まれるのですが、彼らは比丘になることが許されていましたから、この規定の意味ははっきりしています。 こういった決まりが生まれる背景には、性的な静謐さを求める教団の志向性があります。仏教に限らず、インドの沙門宗教は一般に性的な問題を非常に嫌い、その可能性につながるものはできる限り排除しようとしていました。仏教でも、比丘が罰される四つの大罪の筆頭にくるのが「姦淫」であることからもわかるように、教団はそのメンバーそれぞれに、性にまつわる問題を厭離することをまず求めたわけです。 「両性具有者」については、排除の理由は明記されていません。ただ、これもやはり性的な静謐さを保つため、と考えることができるでしょう。比丘と比丘尼のどちらかに分類され、お互いできるだけ接触を避けつつ、それぞれの集団の中で律に則った生活をしようとする教団にとって、どちらとも分類しかねる両性具有者を招き入れることは、どちらにせよ教団にとってトラブルの種になると受け止められたに違いありません。 ただ一言付け加えておくと、「比丘になれないこと」がそのまま「悟りを得られないこと」とイコールだったわけではありません。律に定められた内容というのは、宗教的な価値に関わる問題というより、人間集団としての教団をトラブルなく潤滑に運営するための実際的な要請によって決まったものが多くあって、この遮法などもその最たるものです。要は、こういう規定で排除したからといって、教団は彼らを「悟れない存在」と見なしていたわけではない、ということです。
お礼
回答ありがとうございます。 もうこれ以上何と言ってよいかわかりません。ただただ納得しました。