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日本は 世界のリーダーか
鈴木孝夫著『日本人はなぜ日本を愛せないのか』(2006)を読んでの質問です。ただし わたし独自の解釈が交じっていますので 参考にしたという恰好だと採ってください。 日本の文化は 《着せ替え人形型》だと言います。 おおきく 一つ目として 中国の文化に 自分たちの文化から 部分的にしろ 着替えた。二度目には その前後に 戦国時代ごろからの蘭学や直近の戦後からのアメリカ文化を配しつつ 明治維新による西欧文明に着替えた。 このとき もし芯があるとすれば それは 一部で 《有るようで無い 無いようで有る中空型》とも言われますが これを むしろ積極的に 《有神論をも無神論をも許容する神の道》であると見ることはふさわしくないだろうか? これが 質問(A)です。 質問(B)として 新しく着せ替えた文化は いづれも 貴い内容を持ってはいたが ほんとうに理想とするところではない側面も いくつか見えて来ている。いわば和魂洋才で 相当程度 それらの文化を消化してきたと思われるが それでも 消化し切れない部分がある。もしくは 精神の胃袋において消化しようと思うと むしろ吐き出したくなるような部分もある。ということは 持て余しているのではないか。これです。 その結果 端的に言って 近くは 通り魔の出現という事態となったのではないか。つまり 欧米の思想や生活態度を消化したくないのに 食べようとしていたり おいしくもないのに グローバル化のもとに 食べ続けなければならない。そのような情況の取りあえずは被害者として 事件を起こすはめになったのではないか。(質問C)。 中国や欧米のほかに と言うべくして じつは インドのブッディスムの問題がある。つまり これを じゅうぶん消化して来ていると思っているのだが まだまだ 馴染まないところがあって どうにも 持てあましているのではないか。だからと言って その反動が 何かの加害=被害として あまり出ないのは ブッディスムが よく言えば幅が広くて柔軟であり わるく言えば勝手な解釈をゆるすあいまいな思想であるからではないか。(質問D)。 以上の質問について おしえてください。なお質問の題目は 以上の問いに明確に答えが得られたならば その内容を実現していくことができるのではないだろうかという意味あいと希望です。
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>交渉ごとの先行きについての思考の訓練が 必要なり。 まったくその通りです。諸手をあげて賛同します。 最近の論調であるジャパンパッシングの危機とか、「日本は無視されていることに怒りはないのか」 などは、焦点をぼかし、目的を曖昧にする狡猾な他の国々の発想に見えますね。。 そのような背景であるからこそ、それぞれの問題はそれぞれ●●の対策をもって解決すべきというのが 有識者の態度なのであって、ジャパンパッシングの危機を解消するために●●をすべきなんて 笑うに笑えません。 ある論調では、著者とは逆に、今こそ開国だと言ってましたね。 それが故に現在の失敗があるのにその反省なくして、そんな結論に達する思考は、 大本が狡猾な他の国々の発想か、はたまた、あまりに無垢な鳩のお遊戯なのか・・ いずれにしても言論界にはもっとしっかりしてほしいものです。 京大教授のカールベッカー氏(米国生まれ米国育ち)も著者と似たようなことを言っている一人ですね。 世界は、日本が通ってきたハードルを未だに越えていないと言っており、 氏曰く、日本人の宗教観、死生観が世界の行く末の鍵となるとのことです。 そうなるためにも、多面的に「カッコよく」ないといけませんね。 「無視されて怒っている」ような日本人なんてカッコいいわけなく、そんなこと煽るなよ~と言いたいですね。 ポイントをわざとずらしていいるんですよ。 と言う視点が必要だというのが私の主張ですね。 つい、賛成したくて書き出しましたが、新しい論点のない繰り返しの話になりました。すいません。
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- bananasand
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>8月12日朝刊に 《東条英機・陸軍大将:手記を確認…終戦直前の心境つづる》 私も朝刊で読みました。一番信じられなかったのは、なぜ、最大限に憂うべき8/10~14以降の敵の攻撃に 備える戦略、準備を記載しないのだ!!次はどこが空襲されると思っていたのか!! と言うことでした。 氏がこのような単なる思いを綴っている間に大阪空襲8/14で多数の日本軍を信じていた人間が犠牲なるという なんという残酷さでしょうか。 鈴木孝夫氏がその著書で述べられている戦争そのものの位置づけや目的がどうであったかは兎にも角にも、 それまでのガダルカナル、インパール、マリアナ戦等々での失敗から何も学んでいない、 またその責任を何だと思っていたのか・・指導者がこれだと人が死ぬと言うことの典型例ですね。 「新型爆弾に怯え」「ソ連参戦に腰を抜かし」のくだりは、これらを戦略を持って想定していた訳でも、 爆心地を見たわけでもあるまいし・・・ 独りよがりで、根拠なき楽観、でも、うちてしやまん、大和魂で突貫する。 そして、わが愛すべき精神性、これは、私自身でもあるのです。 当時の指導者を云々しているのではなくて、主題の同胞である日本人の反省すべき点をより正確に 射抜きたいんですね。 一兵卒へのスローガンが陸軍大臣まで浸透していたという無邪気。 まさに、精神論だけで事態を乗り越えようとする「拡大した失敗」への引き金ですね。 精神論が突っ走って引き起こした最近の例は、2006年国民年金不正免除ですね。 納付率必達目標を設定して、未達が確実視されると、精神論だけの非常事態宣言発令。 結果、有印私文書偽造発覚。22万人分? 納付率達成=納付金額増額なのに免除していた?それも勝手に? これはわが同胞の狂気。みな確信犯。とはいえ、大罪は非常事態宣言の発信者にあり。 かくして、指導者がこれだと、多くの犯罪者を生む典型例となりました。 はじめの頃に記載していた、愛すべきおおらかさのもつ欠陥の発現。 一体どうしたらいいのか。 指導者は、目的、目標の達成のために、細心の注意を払って、無理にでも、あらかじめ考え得る限りの失敗を想定し、その全てに対策を立案しておくことですね。 何が起きるか解らないという感覚。そうではないかもしれないという猜疑心。用意周到。思考の多層化。 危険予知とか安全工学、品質管理工学の手法をそのまま取り入れてもよいかもしれません。 これらは、災害、事故、不良発生など言ってみれば不運に対して適切に対処するための論理的手法ですから。 この欠陥とは別に、もう一つが、対立する2つの矛盾する概念を両方とも同時に肯定するという 人間が不得意とはするが、日本人が実践してきた態度というものを改めて見直すことが重要かもしれません。。 典型的で解りやすいのがちょっと古いですが高校未履修問題ですね。 改めて整理はしませんが、当時の各学校長の意識ですね。まさに、生徒と文部科学省そして大学への対応として、 自らの立場を一つに固定することは不可能なんですね。さぞ、身を裂かれる思いだったでしょう。周りが敵だらけ。 ここでとるべきだった道は、選択ではなくて、両者肯定だったんですね。あなたも正しいが私も正しいですね。 (結果論なのでこういう表現は心苦しい面はあります・・あくまで一例です。) 生徒に対しては、どっちにしても、あくまで謝罪。 一方で、将来是正は当然としても、文部科学省と大学に対しては、未履修を決断した時点で高校側は正しかったと イヤでも猛然と論理展開して反論すべきだったんですね。時系列で事象をならべると初期にこの反論をやっていると 高校側、さらには生徒側に非常に有利だったことが解ります。 これをできなかったが故に、結局何の落ち度もない弱者である生徒にしわ寄せが集中したと言うことですね。 結局、学校責任者は、生徒の計画には責任を負っていないことになってしまいました。 学校間の差があるので、こんな論理展開はやってもやらなくても結果は同じだったかもしれません。 しかし、生徒への謝罪の裏返しとして反論はやらなければならなかったのですね。 残念がながら、窮鼠が猫に噛みついた形跡は認められません。謝罪が謝罪だけになってしまったんですね。 (この件で誰をも非難しているわけではありません。単に一例としてあげていることをご理解ください。) 正しいとか間違っているとか一義的に態度を明確にするのではなく、間違ってはいるが正しい、正しいけれども間違っていた ことを認識することですね。 相手によって、時期によって、論点によって、正誤を臨機応変に入れ替える論理構成が必要なんです。 日本人は、潤った精神性故に、この2元対立を最も受け入れやすい国民だとは思うんです。 まさに、そこにある二元対立は受け入れるけれど、自らこの対立を創造するというか 目に見えない対立に気が付くことが苦手なのでしょうね。 潤った精神性故に敢えてこれをする動機やこれに気が付くいわゆる狡猾さがないんですね。 そして、選択が正しいが故に、結果が失敗に終わっても許されてしまう潤いさえありますね。 目的に対して、物事が正しいか間違っているかを選択するだけではなくて、 否定の肯定転換を無理にでも展開させて、目的の達成のためにはその課程なり結果なりを応用する必要があるんだと思います。
お礼
bananasandさん ご回答をありがとうございます。 わたしは 得手があるとすれば 観想のほうですので これだけ歴史的事件や時事問題を その具体例に即して 論じていただくと 一段階として 満足していいのではないでしょうか。 わが小さな町は 七月に空襲を受け 家々が焼けたのですが(ですから 市役所の住民票なども焼けてしまいました) 大阪は そう言えば 八月十四日でしたね。これなどは なんとも無念ですよね。 ★ 打ちてしやまん ☆ 思い出しますね。(生まれは 戦後ですが)。 精神論 精神主義。高校野球など 青少年のスポーツなども 精神論が横行していました。 あるいは 二元の対立といえば 絶対矛盾の自己同一性だったですか。西田幾太郎ですね。観念の世界。――ふつうの志向性としては 悪くないかも知れないのですが。 ★ 否定の肯定転換を無理にでも展開させて、目的の達成のためにはその課程なり結果なりを応用する必要があるんだと思います。 ☆ まさに こういうことですね。あくまでも 現実に即してというかたち。・・・ ★ 独りよがりで、根拠なき楽観、でも、うちてしやまん、大和魂で突貫する。 / そして、わが愛すべき精神性、これは、私自身でもあるのです。 ☆ ここに収斂して 改革へと拓く。 これで ひとまづ おあとがよろしいようでとなりますでしょうか。別の質問に移るのがよいかも知れません。 たいへん長らく いろんな回答を要請して来てしまって 申し訳なくも ありがたいことと感謝します。今後とも よろしくお願いいたします。 ということで 締めたいと思います。たいへん ありがとうございました。それでは。
- bananasand
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『日本人はなぜ日本を愛せないのか』先ほど読み終わりました。読み易い形式と内容でしたし、 どういう訳か、この手の本には珍しく爽快感があります。ロハスでしたし。 著者は、日本人の致命的欠陥を「欧米のほうがカッコいい」というマインドコントロール・洗脳・ 呪縛と言ってますね。それはその通りでしょう。でも、それ以前に、文中にあった 「長い過酷な歴史に翻弄されながら生きてきた人々の持っている、日本人には狡さ悪賢さとしか 移らない変わり身の早さ、したたかで一歩先を常に読みながらの国際対応の巧さ・・・」 の欠如の方を指摘したいんですね。 その結果の表れとして、裏で中国に武器援助をしていたヒトラーをして最後に言わしめた、最後まで我を見放さなかったのは 日本人だけだった というあまりの日本の無垢さかげんですね。愛おしい無垢さではあります。 でも、日本人が狡猾さを身につけろ言いたいのでは全くありません。無理でもありますが・・ そうではなくて、その論理手順学び実践し、相手のむちゃくちゃな要求、恫喝、騙しも十分想定しておけ と言いたいのですね。 相手の責任の所在とは関係なく、その事態の失敗をきっちり自覚して、二度と失敗しない具体的対策を実行しろということと、 すでにいやといういほど、何度も失敗しているんだから、今の行動から予想される悪い方の結果(失敗)の対策を 事前に立案しておけということですね。 まったく、いい加減にしろよという感じです。テストは良く点が取れるのに、実戦行動、予知行動が超苦手なんですね。 一事が万事。 ギョウザ事件の話で、日本の正当性はいいのです。悪くなどあろうはずがありません。 しかし、結果(現時点)がこれですから、先を読んだ動きが出来ていなかったのです。 ボケッとしている緊張感の無さがこの結果を生んでいるのですが、緊張感を持てというのは無理だから、イヤでも頭で考えておけと言いたいんですね。 そして、問題は過去ではなくて類似した事件が再発したらどうするかですね。 いかに問題を事前に防止するか、いかに発展的に問題を解消するかに焦点を当てつづけなければならないんです。 日本は 世界のリーダーか について、日本人が世界を具体的にリードしていくというより、著者の言葉を裏返せば 多くの場面において、 世界から日本はカッコいいと評価される と言うことですね。そういうことで納得しました。 他の国の人々が過酷な歴史に翻弄され身につけた狡猾さの思考手順を取り込んでその結果は出しつつ、 潤いある精神性をもって行動できればかなりカッコいいと思うのですがどうでしょう。 こういった実践が現実的に可能なのは唯一日本人だという意味においてそのようなリーダーの素質はあるのかもしれません。
お礼
bananasandさん ご回答をありがとうございます。 あぁ 今回も 大目玉をくらってしまったと思って 最後に到ると 豈に図らんや〔弟 枡持って来い〕で ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 他の国の人々が過酷な歴史に翻弄され身につけた狡猾さの思考手順を取り込んでその結果は出しつつ、 / 潤いある精神性をもって行動できればかなりカッコいいと思うのですがどうでしょう。 こういった実践が現実的に可能なのは唯一日本人だという意味においてそのようなリーダーの素質はあるのかもしれません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ とのこと。 ▲ 鳩のようにおとなしく 蛇のように賢く。 ☆ ということでしょうか。 まだ そうはなっていないのに 著者が ▼ ・・・日本人には 狡さ悪賢さとしか映らない変わり身の早さ、したたかで一歩先を常に読みながらの国際対応の巧さ〔がある〕・・・ ☆ と言うのは 調整能力とその作業のようなことでしょうか。あっちへ行ったりこっちへ来たり 顔を立てつつ 《無節操と見えるようにさえ 柔軟に》 落とし所を見つけだそうとする仕事。 あるいはまた その《狡さ悪賢さ》というのは 官僚や政治家が 体制の保守や自己の保身のために あの手この手を 特に わたしの言葉で アマテラス語弁論術(および文書作成術)として 駆使するところなどでしょうか。 日本人は 仲介者として けっこう役に立つけれども 当事者として世界の場において 交渉ごとに臨むには――わたしは みづからを棚に上げますが―― 力を発揮するに心許ない。能力に乏しいのでしょうね。訓練が 必要なり。 ありがとうございました。あとは 補遺修正そして余滴があればというところでしょうか。少し寝かせてもおきましょう。 * オタク文化(?)のいくつかが 世界の一部で カッコイイと騒がれているようです。どこで どうして どうなるか 分かりませんね。 * いままでと同じように いまも 鳩のようにナイーヴな日本人ゆえに 《狡猾さの思考手順を取りこんでその結果は出しつつ・・・》という《実践が 現実的に可能なのは唯一日本人だという意味》になると考えたとき この《唯一可能》というところは めちゃめちゃ すごいことですよね?
補足
再考です。 ☆☆ 〔日本人は 国際場裡において 当事者として〕訓練が 必要なり。 ☆ というのは ○ 交渉ごとの先行きについての思考の訓練が 必要なり。 ☆ に改めます。いわゆるシミュレーションなら やっているでしょうけれど。ギョウザ事件のような事件が 政治的に どうにかなって 処理されるとすれば おかしいでしょうね。(残念ながら わたしも 情況や重要点が分かっていないかも知れません)。 今回 鈴木孝夫のこの著書を読んで どうして その延長線上に 《日本は 世界のリーダーか》という主題を持ち出して来たか。今から思い起こすと やはり われわれ日本人に独特の神学のあり方に注目したのだと考えます。むしろ神学の無であるのですが その内容は 質問趣旨に書きましたように ○ 有神論と無神論とを まったく同等に捉える〔ごく素朴な民衆の〕神道 ○ 有神論の中でも その神の名前が違っていても すべて やはり互いに同等の信仰のあり方として捉え 接していく。 ○ ついでとしては 組織や社会の集団としての宗教に対しては 敬遠するくせ(エートス)を持っている。 ☆ これらの思想が 現実のふつうの生活態度として 人びとのあいだに 根づいている。自覚無しというほど 根づいている。これに気づき 一瞬のうちに気づき 魂を入れるというと 僭越であり傲慢になりますが 少し大胆になって言ってみれば 背骨をまっすぐにするという方向を それでも厚顔にも 夢見ていたのだと思います。 この主題は さらに 今後も 質問をつづけてまいりたいと考えます。 * ブッディスムについての認識と取り扱い これも ブッディスト自身の自己認識と自己紹介をも さらにさらに 促しつつ 明確なものとしたい野心があります。つまり 自由という大前提なのですから その自由にふさわしい自己の思想の位置づけが 必ず あってしかるべきだと思うのです。それは ほとんど 一瞬のうちに 認識ができるだけではなく 現実の自覚としても 落ち着くところを見出すと考えます。 〔日本人は あいまいが好きなようですが この場合 曖昧というのは 両義性ということであって 勝手がちがうはづです。ブッダないし仏性は 普遍性として絶対であって 中立の概念としての神であるか それとも 無神という神が ほかに想定されているか(――つまりは どちらにしても これらいづれかの信仰のもとに あとは 経験思想として 実践するか――)だと 重ねて重ねて 言い続けたいと考えております〕。
- bananasand
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日本人のリーダー資質については考え中です。 とりあえず、私が言い出しっぺのギョウザ中毒事件ですが、 >日本人は おとなしいものですねと言うべきなのでしょうか。 いえいえ、このギョウザ事件もある意味、日本人の芯がもつ欠陥が現れたと思うんですね。 ポイントは2つ。 不良品発生の範囲特定の間違い。 食品類は、故意犯に対して非常に脆弱であり、有効な防止対策を立案できないという事実。 ですね。 問題は、一義的に被害者-生協・JTフーズ間であって、次に生協・JTフーズ-天洋食品間ですね。 天洋食品よりも「中国」を全面に出すから話がおかしくなる。 不良品発生の範囲特定の表現を日本側が間違ったんです。中国のギョウザではなく天洋食品のギョウザですね。 確かに、段ボール入り肉まんだの、残留農薬の話があったとしても、日本側から明確な根拠なく同じまな板に 乗せる話ではないんですね。 それに、れっきとしたOEM製品で日本は指導する立場であって、中国食品衛生法上とかの話ではありませんね。 終いには、天洋食品側から我々こそが被害者だと言われてはどうしようもありません。 被害者にしてみれば、こんな会社に生産させた日本側の責任ということになるでしょう。 結果として天洋食品を孤立させることが出来なかったんですね。天洋食品は日本が表現した「中国」に逃げてしまいました。 原因で最も有力に推定されるのが故意犯。何者かが生産工程中で混入させたということですね。 生産工程中とはいえ、基本的に故意は防げないのです。 疑ったらキリがなくなり、監視する側の者や責任者が故意であればもうどうしようもありません。 これは、世界共通。全品検査は不可能なのですから、その工場で混入防止の有効な対策なんてないのです。 ここでまた「中国」だから発生したなんて口が裂けても言えないでしょう。 通常管理、品質管理の話ではなくて、危機管理とかテロ対策の話なんです。 日本に残ったツケは、膨大な受け入れ検査とクレーム臨戦態勢ですね。 もっとうまくやれたのに・・・・。 表現として中国製で仕方ないのですが、中国よりも天洋食品を前面に出すのが筋だったということと、 故意犯が推定された時点で犯人逮捕による事件解明で輸入を直ちに再開すると表明した方が良かった んですね。結果論かもしれませんが、今後に学ぶべき点は多かったと思うんですね。 この件で中国と直接やり合うという手はないんですよ。オリンピックをボイコットするぐらいの覚悟があっても 国としては論理が立ちません。
補足
bananasandさん ご回答をありがとうございます。 ★ いえいえ、このギョウザ事件もある意味、日本人の芯がもつ欠陥が現れたと思うんですね。 ☆ そうかも知れないんですが と言いますか そうだと思うんですが その欠陥の現われ方そしてそれに対する対処の仕方 これが いま 主題ですね。 つまりは 日本人も中国人も それぞれ 芯はあります。われわれは 普段 忘れてしまっています。相手との調整という作業にかかりきりであって 自分の自分たる根拠(――それは 無根拠であり そうであってよいと考えるのですが――)について 少しは気づいていることが 大事なのにということだと思うのです。 中国人は 芯を意識しすぎです。大幅に過剰です。何かあれば つねに そういう反応を示しがちです。余分な殻は 取り除いて欲しい。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ポイントは2つ。 不良品発生の範囲特定の間違い。 食品類は、故意犯に対して非常に脆弱であり、有効な防止対策を立案できないという事実。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ と始めて 詳細な――bananasandさんは 専門家?――説明をいただきましたが そして なるほどと受けとめたのですが 申し訳ないけれど ここでは 国としての(そういう意味での民族やその社会の)気質のような性格が 主題です。 事件の発生したあと 衛生法などの法律の問題に移った段階で その国としての処理がどうであるかだと考えては 足りませんか? つまりは あとは 科学的な捜査・検証が どこまでも 基本ですが それを――限界もあるでしょうから―― どのように総合的に判断して 互いに 共通の内容へと持っていくか。 ★ この件で中国と直接やり合うという手はないんですよ。オリンピックをボイコットするぐらいの覚悟があっても / 国としては論理が立ちません。 ☆ これについては もうひとつ判断が わたしには つきかねています。と同時に その時の対応の仕方 これは 双方において どうであるか。ということで 冒頭に述べましたように考えるのですが いかがでしょう? つまり この設問じたいは 単純だと思うのです。 * 昔の話ですが 中国人は 五年十年とつきあえば その信義を重んじる人間だとよく聞かされたものですが 果たして いまは どうなんでしょう。テレビの旅番組などで 庶民は やはり同じだと どこへ行っても 同じであると 映るのですが。・・・
- bananasand
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>事後的に そういう先駆者もしくは起動力となって・・・ 事後的であるなら解ります。国外からそのようなタスキをもらえるということで考えます。 >上の《一瞬の気づき》が まだ ないからです。なければ育ちません。情緒は ゆたかなんですがねぇ。 そこです。まさに、そのツボですね。無邪気で、愛すべき、潤いある精神性。 そして、そこにある欠陥を指摘してます。 >当局の思想理念であり 勧めるものであったから 言わないのか。うまく 自分たちの生活に合わせて >採り入れたから もう〔細かいことは〕いいと思っているのか。 ここも解るんです。そして、変わらなければならないのはもはやブッディスム側ではなくて われわれ側なので、今のところ、その〔細かいことは〕ブッディスムの分析よりむしろわれわれ自身の分析 に重心を置いてます。 >ヒロシマ・ナガサキにしても 罪を憎んで人を憎まずを われわれは 実践しているじゃないですか。 どういう意味でしょうか。 広島・長崎・第五福竜丸 被爆国としての反核運動でしょうか。米国に対する姿勢でしょうか。 広島、長崎生まれでもなく知り合いにも被爆者おりませんし、われわれ と言われると気恥ずかしいの ですが・・・ >熾きのごとき芯を持った生活態度が やはり燃えている。 そうですね。確かに芯はある。しかし、めちゃくちゃをやってしまって、その結果が、原爆投下、東京裁判。 そしてあてがわれた日本国憲法。サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約。 ここにきて世界がもてあましている米国。 国の意味が徐々に薄れる中で、 中東と南米、EUとロシア、上記の残りの米国がインドと中国に軸足を移動し、 日本は首輪を自分で外せない。 そんな日本も、一生懸命中流を作ってきたようには、思うんですね。 中流というか、体制と反体制の中間でもあり、勝者と敗者の中間でもある層ですね。 これが実は大変なことで、乾き凍える国ではこうはならないんですね。 しかし、バブル後遺症を患っていたとはいえ、唯一誇れるこの中流をなぜ積極的に破壊するのか。 そして、ずっと変わらないこういった愚かさを指摘したいんですね。何度も繰り返してきたことであって、 中流は必要ないとする思考の結末は悲劇以外のなにものでもないんですけどね。 確固とした芯はある。エネルギー、才能に溢れ、そして欠陥がある。 確かにうまくいっていた。実りがあり、幸多く、盗まず、殺さずやってこれた。 でも、うまくいく、なんとかなるという愛すべき潤った精神性が、失敗を精神論のみで乗り越えようとするから 大きなところで拡大して失敗する。乾き凍えに鍛えられた精神からはおそらくアホに見える部分がある。 多くのジャパンハンドによる日本への提言もあって、一応納得してそのまま舵を切った。 失敗が許されないのに、失敗を想定して修正の立案をしておかないとダメなのにそうしない。 現実に、血が噴き出して、慌てているのに、改革の手は休めてはいけないと言われる。どうしていいかわからない。 どうするんだ。どうしたいんだ。ここに「芯」の欠陥がある。 もっと、うまくやれたのに・・・・いつも、そう。もっとうまくやれたのに。 自然のとらえ方が豊かなんですね。山があり、川が流れ、海が近い。 春には新緑に溢れ、秋には実りが訪れ、どの季節にも潤いがある。 これらに慈しみをもっているし、物事に対して基本的に肯定から入っていく。 心配いらない、物事は自然にうまくいくもの、時間が解決するのもだから・・・ 悪いことは想定しない、状況が悪くなっても改善しようとしない、 問題解決への当たり前の決断ができない。 ということですね。そこに立てば、影が出来ることが解っているのに先手をとらない、愛すべきおおらかさの もつ欠陥ですね。
補足
bananasandさん ご回答をありがとうございます。 おおむね 楯の両面のごとく われわれの見解は 煮詰まってまいりました。強引にでも楽観的にいこうという側面と ちょっぴりとでも 芯が明確につかめていないことにより 方向感が定まらず 途中で 挫折することが多いという側面と。 ★ うまくいく、なんとかなるという愛すべき潤った精神性が、失敗を精神論のみで乗り越えようとするから 大きなところで拡大して失敗する。 ☆ 先の戦争で 戦況が苦しくなってきた後半での作戦は 太平洋の諸島やインパール作戦あるいは 中国の南方での打通作戦でしたか等々 もう じゅうぶん戦ったから 降参すればよかったのです。無駄死にです。 ★ もっと、うまくやれたのに・・・・いつも、そう。もっとうまくやれたのに。 ☆ ヒロシマ・ナガサキの体験とその後の経過としては ★ 米国に対する姿勢でしょうか。 ☆ そのことだと考えます。 ★ そんな日本も、一生懸命中流を作ってきたようには、思うんですね。 ☆ 共産党の崩壊後のロシアで 日本は そのように中流の生活が実現しており 長寿であるし・・・で 天国だとうわさされていたようですよ。 ★ 国の意味が徐々に薄れる中で、 / 中東と南米、EUとロシア、上記の残りの米国がインドと中国に軸足を移動し、 / 日本は首輪を自分で外せない。 / ここにきて世界がもてあましている米国。 ☆ たしかに この首輪は 容易には取れない。へたに取ろうとしても だめであるように思われる。この安全保障上の情況と問題とは むしろ成り行きに任せる部分も 必要だと思われるくらいに見えます。 その方面と並行して 《芯》の自覚を持つ。ということは その課題は むしろ 外の思想との接触・対面また格闘において そのことが分かるという要素も 大きいと思います。つまり ★ そして、変わらなければならないのはもはやブッディスム側ではなくて / われわれ側なので、今のところ、その〔細かいことは〕ブッディスムの分析よりむしろわれわれ自身の分析に重心を置いてます。 ☆ これについても 両面作戦だと思っています。言わずもがなかと思いますが 《ブッディスムの分析》によって 《われわれ自身の分析》が 促されることもありではないでしょうか。 ★ ここにきて世界がもてあましている米国。 ☆ 持てあましていたのは もともと 初めからだったかも知れません。底抜けに明るかったですからね。そういう分析も 芯の自覚に寄与するかも知れないと思うのですが。 ある程度 われわれそれぞれの胸の内の思いが 見えてきたというところまで 進めてみましょうか。みなさんにも 参加いただきたいですね。 * お隣の国ぐにが われわれに対して かまびすしく声を挙げているのは 《影が出来ることが解っているの〔で〕先手をと》ろうとしているのでしょうか? ギョウザ中毒事件は ここへ来て 原因解明へ向けて 動き出すといいですね。日本人は おとなしいものですねと言うべきなのでしょうか。
- bananasand
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日本は 世界のリーダーか・・・この発想が解りません。 結果として表装されるのかもしれませんが、もはや事象の結論にならないからです。 表装はたかだか走狗。そう、愛すべき走狗ですかね。 豚は焼きごての意味を理解しないものですが、この豚はこれを知りながら、 餌を食らい血肉を捧げる宿命ということですか。 自虐的意味ではなく、あくまで、愛すべき、愛されるべき存在としてです。 御質問(A) クリスマス後に108の煩悩の鐘を聞いて、神社に初詣する。 仏教徒が十字架の前で一生に一度の愛の誓いをする節操の無さ。 救済、救世主、悟りなんて求めちゃいない。 乾いていない。冷え切っていないし、熱射病にもならない。湿潤しているんです。 結局、濡れてるんですよ。乾きを知り得ないのですから、愛すべき、すばらしい風土です。 有神論、無神論、他の文化に対する抵抗が小さいんだと思うんですね。 御質問(B) 文化は、プラスとマイナスが一気に押し寄せますから、 副作用があるというふうにとらえてます。 御質問(C) 御質問(D) 思想、宗教、倫理、あるいは社会の体制等の範疇を超えたところで、 創造すべきポイントがおざなりにされているのだと思うんですね。 才能はあるのに・・・ 外来文化の未消化とも言えましょうが、芯に欠落があるように見えるんですね。 非常にいいポジションにいるのに・・もう一歩なのに・・腰砕けになっている。 当局や当事者の責任ではなくて、集団的意識の欠陥のようにも思えます。 湿っていて、潤いがあるところはカビやバイ菌が繁殖し易いのに放置しておくところがあるんですね。 それは、物事に対する論理だった課程の軽視とその妥当性の検証に興味が薄いということです。 JCO臨界事故の対策は妥当だったのか。なだしおはもう事故を起こさない? 年金記録漏れは新たには発生しないとなぜ言えるの? 第二第三のHIV薬害問題、アスベスト問題が進行中でないとする根拠は? 問題発生時の驚きと当事者への非難だけで、最も重要な対策とその妥当性に世間は興味が無いのです。 この危機感の欠如したおおらかさが犯罪や事故の再発を生んでいると思っていない。 感情的、情緒的、感覚的で論理性があまりに不足している。思考停止、フリーズしてるんです。 教育もそう、環境も、憲法改正もそうかもしれません。 生協JT毒餃子事件が今後に残した論理性欠如のツケは、日本人が負うんですね。 オーム真理教に破防法を適用しないで何時誰に適用するんだ・・ということかな。 やっぱり、芯に欠落した部分があるんですね。 なんとかなると思っているおおらかさですね。ここが居心地のいい愛すべき特質であり欠陥ですね。 ところで、無差別殺人の根底にはワークシェアがあると思うんですね。 仕事を分け合うことができなかった。スタートラインに立たせることが出来なかった。 戦わずして敗者になる者を作ってしまった。痛みを伴う改革ではなくて不条理を伴う改革ですね。 人口ピラミッド、労働人口から見れば考えられない歪んだシステムなのに、あえて断行して 筋肉質になった企業。 それも、走狗の走り方でしょうけど、飼い主が暴走して怪しくなっているのに、これが解らず自ら正しい舵を 切れない悲しい性。ブッディズムという外来思想の欠陥というよりむしろ日本の風土文化の特質だったしこれからも そうなのではないでしょうか。 リーダー?現実的に自ら舵をきれないのに、それはないでしょう。
お礼
再考しました。 ★ 日本は 世界のリーダーか・・・ 結果として表装されるのかもしれませんが、もはや事象の結論にならないからです。 ☆ 目的とするのは おかしい。事後的に そういう先駆者もしくは起動力となって 努めて来たんだなぁと気づく程度であり それでよいということでしょうか? そこまで見通して いまなら今 ものを言わなければいけないのだと。―― 一たん これを頭に入れて あとは こだわらずに進んで行きたいと思うのですが いけませんか? ★ (C)(D) 非常にいいポジションにいるのに・・もう一歩なのに・・腰砕けになっている。 / 当局や当事者の責任ではなくて、集団的意識の欠陥のようにも思えます。 ☆ 当局には任せていられません。じゃまをしないで欲しいと願うだけです。《集団的意識》もしくは 共同主観(常識)は 気づけば その一瞬に よみがえります。 ★ それは、物事に対する論理だった課程の軽視とその妥当性の検証に興味が薄いということです。 ☆ 上の《一瞬の気づき》が まだ ないからです。なければ――あるいは あっても それを 周囲の《空気》で邪魔されれば つまり 学生時代に 学校も家庭も 芽生えようとしたときに たいていは 育てるためではない変な水を差す(つまり 無関心でいる)のであれば―― 育ちません。情緒は ゆたかなんですがねぇ。この哲学Q&Aでも 情緒に満ち溢れた回答が どこを見ても見つけられるほどなんですが。 ★ ブッディズムという外来思想の欠陥というよりむしろ日本の風土文化の特質だったしこれからも そうなのではないでしょうか。 ☆ ですから マルクシスムやクリスチアニスムについては 賛否両論 はっきりした議論を 重ねて来ています。ブッディスムについて 研究は多く なじみも深いのですが 両義性を持った内容(対機説法)ゆえなのか その長所短所を はっきり指摘しないようです。 当局の思想理念であり 勧めるものであったから 言わないのか。うまく 自分たちの生活に合わせて 採り入れたから もう〔細かいことは〕いいと思っているのか。たとえば マーガンディヤー事件は ブッダのあやまちであると思います。→《QNo.3647182 :水子思想と無明と覚り = http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3647182.html 》 No.11お礼欄)
補足
bananasandさん ご回答をありがとうございます。 風呂敷を広げ過ぎたかなと思っていると同時に 日本文化の《芯》を問うという一点に集中しているとも考えます。 これまで わたしは《日本人》シリーズで 《さまよっているのか / 生ぬるいのではないか / 死んでいるのか》等々と さんざん悪口を質問にして来たのですが あらたに舵を切ってみました。 かくなる上は ★ リーダー?現実的に自ら舵をきれないのに、それはないでしょう。 ☆ 等々の反論に対して 実行につながる理論によって 再反論してまいる覚悟です。今後とも よろしかったら お相手をどうぞよろしくお願いいたします。 これまで減らず口をたたいてきたその内容は 今回 bananasand さんが 基調としておおむね 述べてくださったところのものです。 中では ふつうのことのようで 大事だと思われるところを 一点だけ 再確認する意味で 引用しておきます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ところで、無差別殺人の根底にはワークシェアがあると思うんですね。 仕事を分け合うことができなかった。スタートラインに立たせることが出来なかった。 戦わずして敗者になる者を作ってしまった。痛みを伴う改革ではなくて不条理を伴う改革ですね。 人口ピラミッド、労働人口から見れば考えられない歪んだシステムなのに、あえて断行して / 筋肉質になった企業。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 小泉=竹中改革の――不本意な と言っておくべきでしょうか――わるい結果の一つは ★ 戦わずして敗者になる者を作ってしまった。 ☆ だとわたしも考えます。どうしようもない!仕組みとからくりが出来てしまった。 二点について ちがった視点を まとめて ぶつけます。 ★ 御質問(B) 文化は、プラスとマイナスが一気に押し寄せますから、 / 副作用があるというふうにとらえてます。 ★ やっぱり、芯に欠落した部分があるんですね。 ☆ たとえば 中国も韓国も ある程度の根拠もあるのでしょうが あまりにも 嫌日・排日の動きがしつこいと思います。これは 社会や文化のあり方が 日本のように 《着せ替え人形型》ではないからではないでしょうか。昔の名前をどこまでも引きずるような形式です。逆に 日本は 節操がないと見られるだろうし それこそ《芯》が何もないのだと疑われるでしょう。 けれども ヒロシマ・ナガサキにしても 罪を憎んで人を憎まずを われわれは 実践しているじゃないですか。自業自得ですか? そうだとしても この自業自得を きちんと 受け止めて 歩んで来たじゃないですか。これは 《芯》があるんですよ。 ★ 有神論、無神論、他の文化に対する抵抗が小さいんだと思うんですね。 ☆ この表現でも まだ 過小評価だと思うんです。積極的に 《村の神社の神殿のように その中には また 奥には 何もない。言いかえると しかも 無とも有とも見得る〈見えざる神〉が 控えている》のではないでしょうか? 言いかえると 《着せ替え人形》の人形は というよりも むろん 社会のやしろの至聖所(むろん 架空です)とこれを拝するわれわれの胸の内は 熾きのごとき芯を持った生活態度が やはり燃えている。そうでなければ 明治なら明治以来 これほどの歴史を作ってくることはできなかったでしょう。 という夢想を 今回は 積極的に 打ち出そうとしています。 ただ まだまだ 世界の思想・文化のあり方を 咀嚼し切っていません。残念ながら この哲学カテゴリの現状も いまひとつのように思われてなりません。そのような意味で 革命の火ぶたを切っていこうという魂胆です。 ご所論の一つひとつに触れ得ませんでしたが このように考えております。さらに突っこんで 添削をいただけるなら ありがたいです。 * つまり 有神論も無神論も 互いに同等の神学であり信仰であるという見方は 日本人のものであると確認されるなら この一つの事実によって 一点突破が 世界に向けて 可能なのではないか。こういう趣旨です。
primeapeです。 新聞の読み方の話です。 脱線を招いたらごめんなさい。 brageloneさんの世代なら馴染み深いコンプレックスに中流意識というのがあります。 豊かさに幸せがあると錯覚した世代には痛い言葉だろうと思います。 これを民主主義の自覚に置き換えれば日本人はとっくの昔に自国流の民主主義を完成させたことになります。 庶民が中流階級並みに政治的発言権と能力を持つとの政府への信頼です。 特に信頼が大切です。 小泉劇場は知識人には受けが悪かったようですが中流の庶民性を再確認する効果はありました。 豊かさを求める文明発達のエネルギーも無しにつつましく民主主義を実現する日本らしさです。 当時の新聞記者は中流をブラックユーモアにしました。 新聞記者は宣教師ではないので当然ですけど。 この自覚の足りなさ、見解のちぐはぐさ、を克服して日本人らしさを知れば世界のリーダー(切実な平和をもたらす)になりえます。 このためには強力なリーダーも愛国心も不要です。 これらの意見は私の個人的見解(キチガイの妄言)です。 実際は話し合って理解しあわないと実現しない理想です。 ですから本当のリーダーならこのような理想を胸に秘めたまま役割を演じます。 私は死刑撤廃の話なら死刑尊属派に回ります。(まず現実を理解してもらわないと) 憲法改憲再軍備大歓迎派です。(平和幻想のドグマは崩壊させるべきです) 関係ないけどドグマってのは打ち砕かなくても簡単に崩壊します。
補足
primeapeさん こんばんは。ご回答をありがとございます。 今回は 社会のありかたについての見解が ちがっているようです。 対話を重ねて 互いに練っていくと いいでしょうね。小泉観が異なっているようです。ここでは こちら側の見方を 一方的に書き込みますが すり合わせていきたいと考えます。 死刑の話は 別の質問で おこなっていましたので そこにゆだねます。 小泉劇場は 劇場も何も 基本的に競争力を回復するための企業の自助努力のために その興行師となって表に立ったのでしょうね。あとは アメリカのやり方を消化するというよりは むつかしいことを言わずに 何が何でも どこまでも ついて行けばよいという考え方だと思います。あとは 《人生いろいろ 会社もいろいろ 首相もいろいろ 日本人もいろいろ》というところだと思っております。わたしは買いません。 キ○○と 自分でキ○○とは言わないので 大丈夫ですよ。 中流意識は 高度成長が終わる前と後とでは 違うように考えます。バブルがはじけるまでは 下層にとどまるのは 自分で好きでそうしていると見なされるほど 上には上があるだろうけれど 誰もが 坂の上の雲を見つめて 走っていました。わたしは 傍観していましたが。 低成長時代に入り バブルがはじけ 日本経済が二流あるいは三流にまで落ちてしまった時代での中流意識は――くずれつつあるようですが―― けっきょく この質問の趣旨と符合するように 明治以来 欧米文化のやり方を 消化して 経済成長を成し遂げたと思っていたのに 何も消化していなかった / それどころか こんなもの ほんとうは 消化したくもない という部分もあると分かって来たということではないでしょうか。生活水準の一定の高さは 達成しているわけですが。 中国・韓国を初めとして こうむらせてしまった戦争被害のために 謝罪し その賠償(に相当するもの)を支払い 平和路線へと やはり着せ替えをきちんとおこなったというのに いつまで経っても これらの国の人びとは あたかも根に持ちつづけるかのように 嫌日・排日の動きが止まない。欧米の思想もそうだが この同じアジアの人びとの思想も 消化しがたい。どうなっているのだ?という思いが くすぶっているのではないでしょうか。 それこそ いわゆる中道で これらの国々に対して 当たらなければならない。その態度が 小泉では 毛色がちがうと思ったら ただの右寄りに過ぎなかったというのではないでしょうか。この中道というのは 質問が具体的に問い求めたいものです。 日本のほかの国ぐには このような心機一転という着せ替え人形型の変身は しないかも知れません。しないのではないでしょうか。(アメリカは いまだに メートル法を採用しません)。われわれは 軍国主義から民主主義へと変身しました。総中流化も 実現しました。しかも さらに 蛹が蝶に変態するように まだまだすっかり新しいかなり立派な国にならないと かれらのわれわれを見る目が変わらないかも知れません。そのためにだけではなく 自分たちのためにでもあるのですが 君子豹変は われわれの得意な手であるようです。そういう将来を空想して 質問しました。
- littlekiss
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こんばんは、brageloneさん。 【日本の「脳死」法は世界の最先端】 http://www.lifestudies.org/jp/noshiho01.htm 【ロボトミー lobotomy】 http://psychodoc.eek.jp/abare/lobotomy.html http://psychodoc.eek.jp/abare/diary0008c.html#21 【脳深部刺激治療法(DBS療法)-パーキンソン病,ジストニア】 http://square.umin.ac.jp/neuroinf/patient/506.html http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec06/ch091/ch091j.html 身体は良くなってもこころがおいてきぼり これでいいのか これでいいのだ これでいいのだ これでいいのか わけのわからない 感情がこみあげる 外見からは窺いしれない複雑な思い 心と脳の関係
お礼
よく分かりません。 ふざけていないことを願います。
補足
補います。(8月8日) ★ 外見からは窺いしれない複雑な思い ☆ 着せ替えに際して ロボットのごとく心を無にして 新しい着物を着たのだけれど なにしろ こちらは人間である。着心地がわるければ 《外見からは窺いしれない複雑な思い》をしていることよ。という意味でしょうか? エリートのみなさんよ しっかり 外から来た思想については 解説し 咀嚼できるように 明らかにしてくれたまえ。という意味でしょうか? だとすれば わたしの側の不明でした。 みづからの芯に気づいて 一人ひとりが どんな思想でも 噛み砕いていきたいと思います。
- littlekiss
- ベストアンサー率14% (98/698)
こんばんは、brageloneさん。 ほいほい、質問文を読みつつ、ふと思ったのがディズニ-ランドのミッキーさん。 人(何処の誰とも分からぬ者)が着ぐるみを身に纏っている。 冷静に考えれば「おまえだれやねん?」と、ひきもする。 しかしながら、ミッキーが現れれば、誰疑うことなくミッキーに人が群がる。 無私って、こういうことをいうのかな? ミッキーの着ぐるみをひとたび身に纏ったならば、 与えられたミッキーの動き仕草を忠実に演じることを求められる。 ロボットみたく。人がロボットになる。 ロボットになった人が感情を抱いたら… ミッキーではいられない。 人は架空の存在に恋焦がれ、目の前のその人をみてみていない。 ミッキーにあこがれ、ミッキーの着ぐるみを身に纏えるようになり、 ミッキーを演じ、演じるほどに芽生える感情。 人が求めるもの、それは… 着ぐるみの中の人が“誰か”ではなく、ミッキーを求めてる。 ~せつない片想い あなたは気づかない~
お礼
littlekissさん ご回答をありがとうございます。 おもしろそうな見方かと思いましたが――つまり 着せ替え人形のかたちを連想させるように ミッキーマウスの例で 説明いただいたと思うのですが―― 最後のほうで ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ミッキーにあこがれ、ミッキーの着ぐるみを身に纏えるようになり、 ミッキーを演じ、演じるほどに芽生える感情。 人が求めるもの、それは… 着ぐるみの中の人が“誰か”ではなく、ミッキーを求めてる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ の中の ★ ミッキーを演じ、演じるほどに芽生える感情。 ☆ この《感情》は芽生えるんですか? そして それは どんな感情ですか? なぜなら その前では ★ ロボットみたく。人がロボットになる。 / ロボットになった人が感情を抱いたら… / ミッキーではいられない。 ☆ とも述べてあるからです。 この点について 補足をしていただくと しっかり分かるようになると思うのですが。
- Vwiyoonn
- ベストアンサー率35% (162/455)
A:神の概念が、一神教的における単一の造物主で人の意思など超越した神ではなく、多神教-汎神教的で人と極めて近く在り人と近い心性を有する、というのが汎アジア的な神のありようで、山ほどいる神の中にヨソからきたのが一柱や二柱混じっても大勢には影響がない、というところでしょう。 キリスト教でいけば、キリスト教の進出によって排除された土着の神が、悪魔(時には妖精)としてキリスト教世界に組みこまれていったように、神は常に単一で排他的でなくてはならないのが一神教なのです。 しかし、先に触れたように「ヨソでは造物主なんてブイブイいわせてても、ここじゃあんたもタダの神さんの一人。ちゅうことや、ま、よろしゅう、な」と、いう具合にこの国に移入した際にぐたぐだにされちゃったんですね。で、そんな具合だから、無神論という概念もまた「無神論はんでっか、ほなら何月生まれかバレバレでんな」って具合に、数多ある神として神々の列に加わってしまったのでしょう。 B:で、理想という概念は、ギリシャ時代であれば世界を統べる理-ロゴス-中心原理は数で、世界の構造は総て幾何学的に表現できるのだ、と神秘主義(オカルティズム)的に理解したように、中心原理に従うことがこの世界(時には一神教的な神)の意思に沿うことで、それこそが人の正しきありようなのだ、というのが本来的な理想主義で、意地の悪いものいいをすれば人の脳がつくりだしたシンプルな幻影こそが究極的な真実であって万物はそれに従わねばならないという考え方なんです。 で、前述の多神教-汎神教的世界には、中心原理から総てが派生して~的な発想そのものがないんで、日本人には理念がない…というか理念がなくてはならない理由そのものが存在しなかったんです。そんな訳で、日本人は基礎科学についてまるきり興味を持たないん(元々利をもたらす応用にしか興味を持てなかっただけ)です。 しかし、近年、人の作った心地よいものにしか触れられないという洗練された檻のような社会となったこの国に、市場主義という(結果的な)理想にがんじがらめになったある種のディストピアからの逃避として、『意味』という個を救済するための(反/)ロゴスをてっとり早く希求する気分が社会に蔓延しており、なんともプレ・オウム(内部)的だなぁ、と感じなくもありませんね。 C:…ほぼ先の後半部分で述べてしまいましたが、ロゴス-意味によってでしか救済されない個、という自爆テロ犯にも通ずる空疎な自己のありようしか選択できない人々が世代を問わず急増しており、これはなんでもかんでも自己責任ということにして、社会そのもののありようについて意図的に思考しまいとしてきた個々の日本人のずるさ(幼稚なサヨク嫌悪もこれの変奏と読めなくもないですね)が、いくところまでいって、たまさか生きにくいが故に意味に憑かれた個を暴走させている、というのはうがちすぎ? D:仏教思想は、日本においてしっかりと土着し汎神的な世界観と融合し「山川草木悉皆成仏」という思想に至ったように日本人の心性によく馴染みはしたのですが、本願寺派は進んで国家神道と並ぶ大東亜戦争の思想的な支柱となったということがあり、通り魔的な凶行の雛型にはなりはしませんでしたが、それはそれで近隣諸国に酷い目を遭わせてはいたりするんです。 また、先にちょっと触れたオウム真理教はカルトの例に漏れずいろんな宗教の切り張りではありましたけど、一応仏教系ってことではありましたし、繰り返された凶行の一々について仏教的な説明によって実行犯たちを納得させていたということを忘れてはならないのではないかと思われます。
補足
Vwiyoonnさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 おおむね 質問趣旨と同じ方向においてお答えいただいたと 勝手ながら 受け取りました。ありがとうございます。もっとも 肝心の事例や具体的な思想の形態について わたしは触れ得ませんでしたので そこのところも 鋭く突いていただいたのではないでしょうか。 かなりわたしは自信を持ちました。そして もし多少 異なるところがあるとすれば そしてそれは 細かくなると思うのですが それを 以下に書きとどめて さらにご批判をあおぎたいと思います。 その前に あらためて全体として 印象批評してよいとすれば Vwiyoonnさんは 《そう簡単に日本人が 世界の指導的な役割を担えるようになるわけないではないか。解決すべき課題は 個々の問題としてもあるのだし それよりも何よりも かれらには 玉ねぎを剥いても何も出て来ないように 芯などないのではないか。初めっから 雑多なごった煮として さまよっており そのぶん 外から役に立つものを移入することは得意であるし そうして来たが それらも 何が来ても みな風に吹かれて さまよい歩くのさ。へへ》といううわさを しっかりと受けとめ それに答えるようにならなければいけない。とおっしゃっているように受け止めなければならないのでしょう。人びとよ 心せよというわけです。わがはらからよ いざ! という雲の合い間からのかすかな光が 垣間見られるでしょうか。どうでしょうか。 1. いわゆる《一神教》については その唯一神の信仰形態としての骨格を移入します。ということは 一切なんら表象しえないところの・信仰にとっての神にもとづくということです。ほかの《造物主》などの観念は ただのおとぎ話としての説明表現だという理解です。 2. 《多神教‐汎神論的》という点につきましては 上の《見えざる神》(――ただし 必ずしも 中空構造なのではない。中空構造としてのみ規定してしまっておくのではない――)のもとにおける感覚や情緒や時に現世利益のための神頼みなどなどとして 位置づけます。 3. 《キリスト教》につきましては ローマ教会を初めとして 自己解体を提案するものです。二百年は 謹慎すべきでしょう。殺戮への関与と人間差別の発想が ひどすぎました。頭を丸めるべし。 4. 《理想》という言葉は 適切ではなかったでしょう。ただし 《見えざる神》も 人間の眼から見れば 《虚構》です。虚構として 現実です。しかも ごった煮であっても それを認め合い 信教・良心の自由から出発しなければならないと思われます。 5. 現在は ふたたび《プレ・オウム的》な情況を呈しているのではないかという分析 これも ひとつの課題として取り上げるのがよいと考えます。追って 詳論していただくか 別個に設問が出るのを期待するか。・・・ 6. ただ 《生きにくいが故に意味に憑かれた個 / 『意味』という個を救済するための・・・》という傾向につきましては 逆に そうではない傾向つまり 意味も何も求めないか もしくは 物語(アニメなど)の中に その時その時において 自分を没入させるかたちで何らかの意味を得た感じになれば それでいいとするかの傾向もあるように思います。同じものですかね。 7. 《仏教思想》について まだまだ正体を明かすと言いますか その性格の把握・思想的な位置づけが 要請されているとわたしも考えます。《凶行についての仏教的な説明》にかんして きちんと解き明かしておかなければいけないと考えます。(自分でやれという声は受け止めますが まづはブッディストの責任ではないでしょうか)。 8. 《大東亜戦争》も けっきょく 着せ替えの仕方を持て余した結果でしょうか。あるいは 向こうから相手にされなかったという側面も いくらか(あるいは大きく)あるとも考えます。上の(3)にちらっと触れたかれらの人種差別の傾向です。有色人に対しては 従えるか施すか どちらかの発想しかない傾向を引きずっていまいか。・・・ 9. (あるいは 片や 洋才として 法律と科学(技術)による富国強兵という着せ替えに成功するためにというのでしょうか 片や ふつうの神道を国家神道に衣替えさせ これを変な和魂としました)。 広く大きな課題のようで 風呂敷を広げ過ぎましたでしょうか。でも しっかりと受け留めていただきました。このあと どう展開するのでしょう。たのしみにします。
- kintyaku
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よく分かりませんがAやCはあまりにも飛躍しすぎているような気がします。 文化すべてに神様がどうとかいう宗教問題が係わっているわけではないでしょうし 文化を受け入れられないからといって通り魔になるというのは言いすぎじゃないでしょうか。 通り魔なんてものははるか昔からあったと思います。 Bはまあその通りだと思いますがそれは日本じゃなくても同じようなものだと思います。 またDに関してなんですが仮に通り魔を文化の未消化によるものだとするならば それが中国や欧米の文化によるものでブッティズムが原因であることは少ないとしているのが疑問です。 中国や欧米の文化が加害ー被害を出していてブッティズムは反動を起こしていないという証拠はあるのでしょうか。
お礼
お礼欄におさまり切れない場合には 補足欄に書き込みますので あしからずご了承ください。
補足
kintyakuさん ご回答をありがとうございます。 全体として おおむね 賛同いただいたように受け取ったのですが いかがでしょうか。 ★ よく分かりませんがAやCはあまりにも飛躍しすぎているような気がします。 ☆ これには お詫びしなければなりません。じつは わざと 《飛躍》させました。その筋道を無視したのではなく また 曲げたのでもないつもりですが 両端だけをつなげて表現しております。 ★ 文化すべてに神様がどうとかいう宗教問題が係わっているわけではないでしょうし ☆ これは 一方で 舌足らずという意味で飛躍の部分があると思いますが 他方で 《芯》と言っていますので それほどつながりが見えにくいのではなく また《宗教問題》なのでもなく そうではなく 考え方の基軸として・もしくは発想の源として 捉えようとしたものです。また 例の《アメノミナカヌシの神》を中空に据える文化構造という説があるので それに合わせて言ったものです。 言いかえると 《中空》だと捉える必要はなく むろん虚構としてですが 《村のやしろの神殿の奥にもどこにも見えない神》を持ち出して来て しかも これを 《有神論にも無神論にも 同等に自由に対応できる神の道》として 捉えてみたものです。さらに吟味していただければさいわいです。 ★ 文化を受け入れられないからといって通り魔になるというのは言いすぎじゃないでしょうか。 / 通り魔なんてものははるか昔からあったと思います。 ☆ そうですね。この点は 風が吹けば桶屋がもうかる式の言い方になってしまったかも知れません。ほんのちょっぴり お言葉を返しますと 通り魔犯人が 消化しづらかったと言うよりは その周囲の人びとが もしくは 要するに 政治の基本としての態度のようなものが 消化しづらくしていて 犯人のほうは 周り回って 自分が取り残されたと思いこんでしまったかも知れない。こう思いました。擁護するためのものではありません。情況分析としてです。 ★ Bはまあその通りだと思いますがそれは日本じゃなくても同じようなものだと思います。 ☆ ありがとうございます。そして 後半の部分については こうも思います。一概には言えませんが 日本以外の国では 着せ替えをする部分は きわめて少ないと考えられ したがってその分 消化しづらいという情況とは別であるのではないか / むしろ採り入れないほうが多いのではないでしょうか。 ★ またDに関してなんですが仮に通り魔を文化の未消化によるものだとするならば / それが中国や欧米の文化によるものでブッティズムが原因であることは少ないとしているのが疑問です。 / 中国や欧米の文化が加害ー被害を出していてブッティズムは反動を起こしていないという証拠はあるのでしょうか。 ☆ これは わたしの質問の区切り方があやふやでした。まちがいでした。(D)として ブッディスムを特に取り上げたのは たとえば儒教は たとえ未消化であっても それほど 問題視されないようです。逆に ブッディスムは 一般に 広く日本人の心に受け容れられていると思われたので それでも 未消化が残るのではないか こう言おうとしていました。でも 区切り方として 別扱いしてしまっているので このような物言いを受けて当然だと思います。つまり まったく同じ感慨のもとに 問いを述べたものでした。(サリン・・・は 最大の反動であるかも知れませんよね)。 このように思いました。よろしかったら さらに詳論いただければとも存じます。
お礼
8月12日朝刊に 《東条英機・陸軍大将:手記を確認…終戦直前の心境つづる》の見出しの記事で 東条の考えの一端がわかるようです。確認されるようです。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 戦争目的を「東亜安定と自存自衛」としたうえで、ポツダム宣言受諾を「敵側の隷属化に立つに至る」とつづっている。また、敗戦理由を「敵の脅威におびえ簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂」としながらも、開戦に及んだ指導者としての責任に触れている。 手記は、政府がポツダム宣言受諾を決めた45年8月9日の翌日の10日に首相官邸で開催された重臣会議の様子についての記載から始まり、席上、戦争目的が達成されないままポツダム宣言を受諾すれば、戦争による多くの犠牲者が死んでも死にきれない、という趣旨の発言をしたことが記述されている。しかし、昭和天皇の裁断で、終戦を受け入れたことを示す記述もある。 11日から13日にかけては、今後の情勢分析や敗戦の原因などをつづっている。14日には、首相時代の秘書官あてで「死をもっておわび申し上ぐる」と記したり、戦犯に問われることを予期して「敵の法廷に立つごときは日本人として採らざるところ」とも記し、自殺する覚悟をつづった。 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080812k0000e040052000c.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ どうなんですか。インパール作戦は 糧食や増援の用意がないのをかまわず 決行したとか。戦況を鑑みれば 続行することは 出来るだけ多くの人間を死なせて 降伏するという台本になると分かっていたのではないでしょうか。もっともっと早く降参することは出来なかったのでしょうか。 そもそも 真珠湾奇襲かどうかを別として アメリカとは 宣戦布告して ただちに 降参すればよかったのではないか。 無垢か狂気か 大揺れの天秤思考しか出来なかったのでしょうか。あれだけ 儒教か仏教か知りませんが 中庸・中道と言っておきながら こっちの極へ揺れたり あっちの極へ走ったり 先読みは 無。 ナイーヴなる あまりにもナイーヴなるわが同胞(はらから)。 ということですよね?
補足
bananasandさん 通俗的な表現を用いるなら かなりヤバイのではないでしょうか。ご回答をありがとうございます。 ★ カールベッカー ☆ を探すと すぐ見つかりました。《社会体系としての宗教》という項目では 次のようなコミュニケーションの問題として 捉えているようです。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 神を信じるということは、現在の物の見方や社会秩序を支持することを意味します。宗教とは、キリスト教やイスラム教といったものではなく、その人の潜在的な価値観、社会秩序なのです。 どちらが正しいというのではなく、相手が信じ込んでいる社会秩序や物の見方を我々が知っておかないと、その相手と円滑にコミュニケーションはできません。ほかの宗教を知らなければ、外交や貿易の相手と衝突が生じやすいのです。外国の宗教行動を調べることで、テロや政治的運動も見えてきます。 (カール・ベッカー教授 【現代社会と宗教・講義詳報】http://osaka.yomiuri.co.jp/ritsumei/rs61122a.htm ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ われわれの《QNo.4199231 ブッダは 神ですか = http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4199231.html 》や 《QNo.4219978 :神にかんする勘違いが 多いのは なぜでしょう? = http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4219978.html 》をも参照して欲しいとさえ思います。 ▲ 病的な宗教でもある個人主義から卒業し、相互依存的な生き方の形を考え出さなくてはなりません。(カール・ベッカー) ☆ これについては 個人主義という一つの立脚点と 相互依存的な関係にある個人という側面と 両方とも 大切であると考えますが どうでしょう? 後者のほうに 重心を移すべきでしょうか? ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 最近の論調であるジャパンパッシングの危機とか、「日本は無視されていることに怒りはないのか」 などは、焦点をぼかし、目的を曖昧にする狡猾な他の国々の発想に見えますね。 ・・・ ポイントをわざとずらしているんですよ。 と言う視点が必要だというのが私の主張ですね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なるほど この視点でしたら 先を見通しており 時間の感覚がありますね。現在という時点に就くことも大事であり しかも 将来へ向けての時間的な解決やら和解の実現やら これらを すでに――たしかに 試行錯誤でしょうが――考え済ましておくことも 必要でしょう。 ★ 今こそ開国だ ☆ これは わたしは まづ さらに広範囲にわたる世界的な交流が 望ましいと考えますし できれば 開国をしての人間の移入も 考えてよいのではないかと思います。おそらく 日本の内側の生活情況を 芯に気づきつつ あらためて確立しておくことが 条件になるかも分かりません。 あるいは――我が田に水を引くことになりますが―― 市民一般と もっぱらの公民つまり公務員一般との社会的な関係 そのあり方が 問題の鍵を握ると考えています。→《QNo.4239785: 民主主義は 日本人のお家芸か=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4239785.html 》 ただ この主題は デリケートな問題であるようで 評判がよくありません。時の満ちて来るのを待つ必要がありそうです。 * この質問は やや特殊と言いますか 突飛と言いますか そのような印象を与えるので 訪問は少ないと思っていたのですが 人気ランキングに入りました。しかれば 張り切って もう少し 何か 《リーダー》を打ち出したからには それ相当のことがらを取り上げておいても よいかも知れません。 ギョーザ事件を締めておいて 中国との関係を いくらか展望するとか グルジアで 紛争が 勃発したことも 気になりますし。ロシアは どういう料簡で ドンパチを始めたのか。停止しないのか。・・・ こうなると 前途洋洋ですね。