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広島原爆:エノラゲイの侵入ルート

原爆を投下したエノラゲイの当日の侵入ルートは 広島上空に侵入→東に変針し神戸へ向かう→南に変針し四国へ向かう→西へ変針し広島へ向かう→原爆投下 なのでしょうか。 これは米側の公式文書などで確認する事が出来るでしょうか。 これが事実とした場合、なぜこのような回りくどいルートをとったのでしょうか。 天候不良の場合は小倉ではなかったでしょうか。 やはり若木重敏氏の主張とおり「反転爆撃」が目的だったのでしょうか。

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  • KITAIKKI
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回答No.1

 すでにご存知かもしれませんが、現在我々が手に出来る広島原爆関係資料として、アメリカ陸軍航空部隊の制式作戦命令書である「野戦命令13号」があります。  この作戦命令書がつまりは広島への原爆投下命令ということなのですが、そこには第1、第2、第3目標や飛行隊の編制や飛行高度、攻撃時間、さらには飛行速度などなどが書き記されていますが、当然ご質問の投下機エノラ・ゲイほか2機の飛行ルートも記されています。  それによりますと、発進開始点が徳島県牟岐沖大島から香川県三崎半筒突端のラインを通過した後、IP(initial point攻撃始点)の広島県三原を通過後、照準点である広島市街地相生橋を捉えた後、投下離脱というルートをとっています。  つまり四国上空→瀬戸内海→三原→広島上空で投下後、いったん本州内陸部を目指して右旋回した後、三原手前→瀬戸内海→四国上空→太平洋というルートを使用したことが一応の史実です。文字にするとなにやら複雑そうですが、日本地図上にこのルートを線引きすれば極めて単純な飛行ルートが見えてきます。これは米軍資料/原爆投下報告書に記載されているものですので、今のところこれを信じるしかないのではないかと思います。  私もエノラ・ゲイ機が日本軍機の邀撃などを避けるため、陽動的な飛行を行ったような内容の記述を眼にした事があります。ただ正直言って当時の日本上空はたとえ援護なしの単機のB-29であっても、それを迎え撃つ迎撃機がまともにあったかどうかがまず疑問ですし、なんといってもエノラ・ゲイ機が陽動あるいは反転爆撃という、複雑で手間のかかる飛行ルートを取る必然性が感じられません。  

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