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太平洋戦争中の地下壕での入浴

先日、沖縄の旧海軍の地下壕を見学しました。 網の目のような壕の中に、司令官室や発電室や作戦室や医務室など いろんな部屋が残されていたのですが、 お風呂がありませんでした。 一緒に見た息子は、海に入っていたんやろと言いますが、 海には敵の米軍艦隊がいっぱいで、もうそんな余裕はなかったのではと 私は思うのですが、軍人さんはどうやってお風呂に入っていたのでしょうか? もう数少ないであろう地下壕経験者の方、いらっしゃいましたら 教えて下さい。

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  • lunlan
  • ベストアンサー率46% (12/26)
回答No.2

すみません、経験者ではないのですが・・・。 その地下壕にお風呂がなければ無かったのでしょう。 地下壕によってはお風呂があったところもあるようですよ。 つまり、お風呂は入っていないんだと思います。 映画で有名になった硫黄島の話ですが、こちらもお風呂は ありませんでした。地下壕といっても粗末なもので、その軍人さん が家族に宛てた手紙では「お父さんはお風呂にもう45日も入って いません」と書いてあったそうです。島で海に入れるか、と思いきや かなりの激戦地区だったので、出ればすぐ撃たれるようなところだそうです。 しかも夏だったような・・・ そんな中で戦っていたのですね。 最後は気力もうせてほとんどの方が、自決したそうです。 高校生の少年兵達は「おかあさーん!」と叫びながら・・・ 戦争って悲しいですね。 すいません、話がそれてしまいました。

その他の回答 (2)

  • imp-dsc
  • ベストアンサー率25% (57/222)
回答No.3

ありません。 当時の沖縄県知事の島田 叡は女性職員から洗面器一杯の水を差し出され顔洗って下さいと勧められた時に何と答えたと思いますか? 「お前(女子職員)が(命懸けで)汲んできた水で顔を洗えるか!!」 だそうです。その後彼はコメの研ぎ汁の残りをで布を湿らせて顔を拭いたんだそうです。 他にも硫黄島では銃や大砲の弾や食料にも事欠いていたのですが、せめて喉を潤す為の水さえも貴重だったと言います。確か亜熱帯気候で火山の島で地下壕内は地熱で40~50度にも達する灼熱の島で一日辺り水筒一本分さえも捻出するのが困難だったと言えば分かりますか? その島の司令官だった栗林将軍は水の節約を訴え、自身も朝の洗顔さえもせずに側近の部下達と共用でコップ一杯の水で目の周りを拭く程度で済ませていたそうです。 数年前にNHKのドキュメントでやっていたのですが生き残りの兵士だった老人は復員して日本に帰ってからは毎朝戦友へ手を合わせるのが日課だそうです。そしてその時にはコップに氷を入れた水を供えるのを欠かせないのだそうです。 それはあの灼熱の島で水を飲みたいと訴えながらそれさえも叶わず死んでいった戦友達が忘れられないからと話されていました。

  • big-three
  • ベストアンサー率16% (28/166)
回答No.1

そんな余裕あったと思いますか? 沖縄地上戦の当初はドラム缶風呂などの簡易的な物もあったと思いますが、やはり次第に戦火が激しくなってくるとそんな余裕あったとは思いませんけども…(憶測です) 息子さんの言うとおり、海で業水若しくは、海に近づけないところでの戦いとなった方々は川などで体を拭く程度だったのではないでしょうか?昔のお風呂は火を炊きますので「明かり、煙」といった観点から見ると温かいお風呂に入る事は不可能に近かったのではないでしょうか? なので毛じらみが流行った。怪我した部分からうじが湧いたという話を聞きます。

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