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1625年カディス遠征
1625年にイギリスのチャールズ1世はスペインに89隻からなる遠征艦隊を派遣していますが・・・ その遠征艦隊司令官のエドワード・セシルと、次席指揮官ロバート・デヴァルーと、三席指揮官ウィリアム・フィールディングのトップ3は全員陸軍軍人で、実戦経験無し・・・ 89隻もの艦隊で海軍軍人で地位が比較的上なのは旗艦艦長という状況・・・ 陸上での戦闘が主体としての想定ならば、問題なかったかもしれませんが、チャールズ1世の命令書には、敵艦隊の殲滅も含まれています。 結局、遠征艦隊の結果は大失敗・・・当然という気がします。 なぜ、このようなトップ3が決まったのでしょうか? 決めたのはチャールズ1世でしょうか? 誰も異を唱えなかったのでしょうか? 周囲は失敗をする事を見越し、政治的に利用しようとしていたとか?
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- denden321
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回答No.1
1625年は、チャールズ1世が25歳で即位した年ばかりだから 自分の考えよりも取り巻き連中に上手いこと まるめこまれたのでしょう。 おそらく当時チャールズ1世の寵愛を受けていたバッキンガム公の 影響が大きいかと思います。 バッキンガム公自身、戦争に詳しかったとは思えませんが バッキンガム公は、1618年、兵権を司る大司馬になったとあります。 徴兵制度ができた日露戦争の頃でも「貴族は士官、平民は兵隊」というのが一般的でしたし、 チャールズ1世の頃だと貴族が士官、兵隊は傭兵という時代。 必ずしも能力が高い順から偉い地位にありつけるという時代ではありませんでした。 そうなるとどうしても貴族の家柄が大きく作用してしまうのは 仕方がなかったと思います。
お礼
回答有り難うございます。 参考になりました。