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「私の目から見れば」の意味。

「私の目から見れば」の意味を教えてください。 もし、他の言葉で置き換えることができるとすればどのような表現が出来るのでしょうか? 「私の考えでは」は間違いでしょうか? 「私の目から見れば」を使った例題も教えていただければ助かります。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • phodumi
  • ベストアンサー率31% (6/19)
回答No.5

>もし、他の言葉で置き換えることができるとすればどのような表現が出来るのでしょうか? ・「私見では」 ・「私に言わせれば」 >(「私の目から見れば」の代わりに)「私の考えでは」は間違いでしょうか? 間違いではないと思います。たいていの場合。 具体例を示していただければと思います。 質問者様としては、「こっちこそ具体例を示してほしいんですけど」という気持ちがあるのかもしれませんが、こういう質問を出しているということは、「私の目から見れば」や「私の考えでは」を含む文を質問者自身が実際に作っていて、「他の人が読んだら変に感じるかな?」と思ったという事があったからこそなのでしょう。その文を示してほしいと思います。(個人情報が絡むというなら少しばかり手を加えて.) >「私の目から見れば」を使った例題も教えていただければ助かります。 「私の目から見れば」を、YahooやGoogleの検索欄にコピペして、検索すれば実例が出てきます。 「父の晩年は、私の目から見れば幸せとは言い難いものでした。」 「私の目から見れば、もうすでに貴女の価値観をその友達に押しつけています。」 「私の目から見ればまったく同じことを繰り返してる。」 「いわゆる地方の名士と称される人は、私の目から見れば完全なアマチュアなのだが、」 「私の目から見れば、日本の求人市場は、おかしなことが多すぎる。 」 「私の目から見れば、彼はまだ青二才だ。」 どの例も、「私の目から見れば」を、「私の考えでは」に置き換えることができるのではないでしょうか? 「目」は「目」ばかりを表す訳ではありません。「視点」「観点」「判断」「思考」という概念も、「目」という言葉の暈(かさ)のうちに入っているように思えます。 「見る」も、「見ること」だけを表す訳ではありません。英語の「see」には、本来の「見る、会う」という意味のほかに、「分かる、知る、知っている」という意味を含んでいます。「I see.」は「ええ、わかります」というほどの意味です。 「意見」とか「私見」、「見識」という言葉に「見」の字が含まれているのは偶然ではないでしょう。 また、「見る」は全ての感覚を代表し、経験を象徴している言葉だと思います。「百聞は一見にしかず」という言葉をよく味わってください。 「百聞」の「聞く」だって感覚ではないかと指摘されそうですが、これは「伝聞」とか「データ」「疑似体験」という意味あいに取っていいと思います。 「実際に見たり聞いたり触ったりの経験は、百億のデータ、あるいはテレビなどでの疑似体験より遙かに勝る」――「百聞は一見にしかず」を現代的に解釈すればこういうことになるのではないでしょうか。 絵は、定規で測って描かれるべきではないと思いますが、文章の作り方もまたそうなのだと思います。 まず、文章を書いてみて、しばらく時間をおいてから、まるで他人が書いたものを読むかのように自分の書いた文章を読み、批評するべきだと思います。特に不自然さを感じなければ、書いたままのとおりにしておけばよいのではないでしょうか。 「あなたがこの文章で言いたいことは何なのか?」という言い方があると思いますが、文章では、文書上に自分の口を設けてそれに何かを言わせるという訳にはいきません。ガチガチに、何が何でも正しく表現しなければならないのなら、「あなたがこの文章で“書き”たいことは何なのか?」ということになるのでしょうが、何か今ひとつしっくりしません。紙に向かって何かを書きつけたいという欲求がまずあるのではなく、誰かに何かを訴えたい、何かを言いたい、その聞き手が今は目の前にいないからたまたま言いたいことを紙に書くだけなのだ、という気持ちが、たいていの場合あるのではないでしょうか。それなら、「言う」のほうが「書く」よりも書き手の気持ちに沿っているのですから、実際に「書く」のではあっても、「言う」と書いたほうが読者に気持ちが伝わり、得策だとは言えないでしょうか。 「私の目から見れば」と「私の考えでは」のどちらを使うか、「目」や「見る」の辞書的な字義にそんなにこだわらなければならないか、のヒントにして下さい。 現在、“broadcast”という単語は、ふつう「放送する」という意味で使われていますが、放送というものがなかった頃は「種をまく」という意味しかもっていませんでした。“broadcast”は「種をまく」という意味にしか使ってはいけない、というような辞書至上主義、辞書に書いてあることに拘泥する態度をすべての人が固守していたなら、言語の健全な発展というものはありえなかったでしょう。 「目」が本来の目以外の意味で使われてもいいし、「見る」が見ること以外の意味で使われてもいいのだと思います。 変な野心を持って、奇を衒った言い回しを意識的にしているのでない限り、自分の感覚を信じて書いたらいいのだと思います。

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質問者

お礼

ありがとうございました。

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質問者

補足

お返事ありがとうございました。 私の考えていた文は、 『友人は「ハイラント教会にはステンドガラスの方が映える」と言うが、私の目から見れば青い琺瑯煉瓦の方が面白くて、教会の美しさが映る。』 です。 この文中の「私の目から見れば」という表現がこの文章にふさわしいのかどうか自信がありません。 phodumiさんのおっしゃる様に、先に例文を示すべきでした。

回答No.4

「~の目から見れば」は文字通り視覚的な印象を述べる言葉であり、「~の」に該当する者と他者との見方の違いを明確にしたい場合に使われます。 「彼女は新しい浴衣の柄が偉く気に入っているようだったが、私の目から見ればそれはまるでチンドン屋だった」 「見れば」ですから、聴覚や味覚など、他の感覚に関する表現には使えません。 - 例 - 「君はこの麻婆豆腐を過去最高の出来だと自画自賛するが、私の目にはまるで唐辛子を食べているように見える」 これでは意味不明です。この場合には、「私に言わせればまるで唐辛子を食べているようだ」などと言います。 > 他の言葉で置き換えることができるとすればどのような表現が出来るのでしょうか? 前出の浴衣の例ですと、次のような表現になります。 「彼女は新しい浴衣の柄が偉く気に入っているようだったが、私の目にはまるでチンドン屋のように映った」 > 「私の考えでは」は間違いでしょうか? 少なくとも上記の例の場合は「考えでは」は使えないでしょう。あくまで “見え方” の問題ですから。 ただし、次のような言い方はします。 「政府はそれを法 “改正” と言うが、私の目には改悪にしか見えない」 ですから、「目には」は常に「考えでは」に言い換えることは出来ないけれども、場合によってはそういうニュアンスで用いることも可能であると言うことは出来ると思います。

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質問者

お礼

参考にさせていただきます。 ありがとうございました。

  • v7nV1dZjx
  • ベストアンサー率10% (7/64)
回答No.3

ものごとは見る角度によって見え方、考え方が違ってきます。 そこで、その視点ということで、 「私の目から見れば」 という表現を使います。 別の言い方で近いものとしては、 「私の側から申し上げれば」 ともいえるでしょう。

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質問者

お礼

なるほど、「視点の違い」とは気が付きませんでした。 大変参考になりました。どうもありがとうございました。

回答No.2

文字通り「私の目から見れば」と言う意味でしょう。 他の言い回しで置き換えるなら 「私に言わせて貰えば」 「私の立場からすると」 「私の側からすると」・・・など等 「例文」としては「ちなみに私の目から見ればどうやら学校の宿題を他力本願で済ませようと企んでいる中学生の質問のように見える」 みたいな?

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質問者

お礼

沢山の他の言い回し例を挙げていただいて、どうもありがとうございました。 参考にさせていただきます。

  • ota58
  • ベストアンサー率27% (219/796)
回答No.1

間違いではないと思いますが、私の考えからすれば のほうが妥当だとおもいます。 ○住宅街が入り乱れて町を形成しており、私の目から見ればけっして美しい街とは言えない。 道路事情も悪く、・・・・ ○方向からすると反対方向なんだけど、私の目から見ればまったく同じことを繰り返してる ○私の目から見れば、秋の空がそれほど変わりやすいものだとも思えない。 女心はどうかというと、いや、やはりこれも変わりやすいものだとも思えない

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質問者

お礼

「私の考えでは」よりもota58さんのおっしゃる様に「私の考えからすれば」のほうがしっくりきますね。 例題も沢山挙げていただいて、どうもありがとうございました。

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