勝海舟は軍事関係を総括する役目でしたから、幕府の軍事力を熟知していました。
したがって官軍主力の薩長に対抗できないことを誰よりもよく知っていました。
かって旗本八万旗と呼ばれた兵力も後の彰義隊戦争の兵力はせいぜい数千人しか集まらず、しかも旧式装備がほとんどでした。
従って彼の選択肢は戦いになれば江戸市民に耐えがたい損害を生じることを避ける為、無血開城しかなかったのです。
このことを西郷に納得させるため、海軍による官軍の退路を断つ工作、英国などの外国の干渉の可能性などとともにフランスの援助の存在をちらつかせ無血開城に成功したのです。
戦えば必ず負ける戦闘とわかっていて戦うのは無知といえましょう。
彼としては余力を残して徳川幕府を新政府に引き渡したかったのだと思います。