勝海舟の「コレデオシマイ」
勝海舟については、3月18日に、「勝海舟の人物像」というタイトルで質問いたしました。
(下記アドレス)
http://okwave.jp/qa/q8518809.html
この中で、0fool0 さんのご回答にあった、「コレデオシマイ」が、気になっています。この「コレデオシマイ」という最期の言葉、私も、何かの歴史参考書で読んで、うろ覚えに知ってはいたのですが、大して気にしていませんでした。
しかし、上記の質問以降、この「コレデオシマイ」の意味が気になっております。なにが、「コレデオシマイ」だったのでしょうか?相当意味が深いかも知れませんし、ただ、「自分が死ぬ」という意味かも知れません。
私の質問を閲覧された皆さんは、勝海舟のこの最期の言葉を、どのように解釈しますか?「意味」とか「海舟のその時の心境」とか、「その他」どんなことでもかまいません。
私は、その質問への0fool0 さんのご回答に対する「お礼」の中で、『「コレデオシマイ」……意味が分からないというか、大人物なのでしょうが、「寂しさ」を漂わせます。これも海舟像なのかなという気がします。』と、記述していますが、さしたる根拠があるわけでもありません。
又、皆様方からご回答をいただいても、それに対して、「正しいとか、誤っているとか」を判断する力もありませんので、ベストアンサーは選びません。それでもよろしければ、自由な発想で、「その瞬間の海舟の気持ちなど」を想像していただき、ご回答していただければと思い、質問させていただきました。
補足
ご指示有難うございます。 「新訂海舟座談」のp202にありました。「学者は国家を装飾するものだ」という。文章の中に学者という文言がありませんので、具体的に 判明しません。これは、勝海舟が日ごろ学者は政治にはうといと思って いたことから、このような事を言ったのではないですか。 同書のp217に「学者というものの役にたたんことは、維新前からよくよく実験したよ。あンな学問は、造作もないことで、至って容易だよ。」と言っている。 学者は政治には不向きだということですか。 貴方様のお考えをお知らせください。