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「流れてくる水」から「水が流れている」という感覚について
私は日本語を勉強中の中国人です。 「雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で受けた。」 上記の文の中の「流れてくる水」という表現から「水が流れている」という進行形の感じがするらしいです。もしも文末は「受けた」ではなく、「受ける」と「受けている」であるならば、「流れてくる水」からまだ「水が流れている」という進行形の感じがするのでしょうか。 次の二つの文(文末だけ違う)も成り立つと思われますか。成り立つならば、それぞれの違いを説明していただけないでしょうか。 ・雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で【受ける】。 ・雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で【受けている】。 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ大変有り難いです。よろしくお願いいたします。
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ハイレベルな質問ですね。 「受けた」は、過去のある時点に、起きたことを表します。そして、受けたことは、もう終わってしまったことなので、過去に起きたということが、強調して感じられます。 「受けた」のは過去形ですが、「流れてくる」というのは進行していることを表しているので、過去に進行していたことを示しています。 日本語では、時制の一致の規則が強くないので、 ・雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてきた水を、手に持った器で受けた。 という表現はむしろ不自然に見えるかも知れません。 「受ける」は、現在、起きることを表しています。または、習慣的に継続していることを表します。(英語で、「I go to school」と言うのと同じです。) しかし、この文章の文脈から判断すると、習慣的に、「受ける」を行っているとは考えにくいですね。そのため、今まさに起きていることを瞬間的に切り取った様子を表現しているように感じられ、とても新鮮な印象を受けます。 「受けている」も、同じく、現在起きていることを表しますが、「受ける」に比べると継続していることが強調されています。流れてくる水を受けている様子が継続している光景が浮かびます。 ところで、質問文の日本語は非常に自然で、正確だと思います。
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- Parismadam
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No.8です。お返事を有難うございます。補足質問にお答えします。 ご質問1: <「自発的な動作」と「他発的な動作」~これはどういう意味でしょうか。> ここでは、「受ける」「受けている」という動詞に焦点を当てて解説しました。 例えば、「受ける」という動詞が「自発的動作」「他発的動作」で使われる場合の違いは以下の通りです。 1.自発的な動作: (1)これは自動的動作のことで、自らの意志で自発的に行う動作を指します。 (2)その意味で、意志的、積極的という解釈もできます。 (3)例文 「彼は大学に行くために試験を受ける(受けている)」 (4)この例文では、大学へ行きたいという願望・意志があるために、意志的に自発的に試験を受ける、という動作になっています。 (5)その場合の「受けている」は「動作の進行のニュアンスがある」と説明しているのです。 2.他発的な動作 (1)これは他動的動作のことで、自らの意志とはかかわりなく、他者から与えられる動作、他発的動作のことを指します。 (2)その意味で、無意志的、消極的という解釈もできます。 (3)例文 「彼は今も親の援助を受けている」 (4)この例文では、親の援助を受けたくはないが学費がないので受けなくてはいけない状況、という他動的、無意志的な動作になっています。 (5)その場合の「受けている」は「状態の継続のニュアンスがある」と説明しているのです。 ご質問2: <「自発的な動作」か「他発的な動作」かはシチュエーションによって判断するものなのでしょうか。> そうです。 文脈から、「受ける」「受けている」が「自らの意志なのか、それとも、どうしてもそうしなくていはいけない無意志的なものなのか」などの状況判断が必要になります。 ご質問3: <たとえば~文字付きの写真を鑑賞するとき、次の二文から受けたイメージはどのように違うのでしょうか。> 1.水が流れる。: (1)動的なイメージ (2)瞬間のイメージ (3)流れという動作を強調 (4)躍動感が感じられます。 (5)水にスピード感があります。 2.水が流れている。: (1)静的なイメージ (2)継続のイメージ (3)流れている状態を強調 (4)静謐感が感じられます。 (5)水にスピード感がありません。 勉強に妥協のないこだわりに敬服します。頑張って下さい。 以上ご参考までに。
お礼
再びありがとうございます。「自発的な動作」と「他発的な動作」の意味はよくわかりました。「水が流れる/流れている」の感覚の違いも大変参考になりました。簡潔でわかりやすいと思います。何度もご丁寧に教えていただきありがとうございました。がんばります。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
ANo.6 の補足に対してお答えします ( ^^ > 私は文学作品に使う持続動詞の「ている」とその原型との効果の違いに > ついて検討させていただきたいと思います。 文学表現を前提としたご質問であるという話は、今初めて聞きました。 ただ、基本的には一般の文章と変わるところはないと思います。 > たとえば、水の写真があって、その下に文字をつける作業(文学作品扱 > いで)をするとします。次の二文から受けたイメージはどのように違う > のでしょうか。 文学ならば次の詩が参考になると思います。 大阿蘇 / 三好達治 http://uraaozora.jpn.org/pomiyoshi3.html この詩では、くどいほど「~てゐる」が繰り返されます。それによって、この詩が描く情景が遥かな過去から遠い未来まで連綿と続くようなイメージ ─ 言葉を変えれば「悠久感」を醸し出しています。 「雨は降つてゐる」 「馬は草を食べてゐる」 もし、これらが次のように原型で書かれていたら・・・? 「雨は降る」 「馬は草を食る」 これだと単に「雨が降る」という事実や、「馬とは草を食べる動物である」という説明に過ぎなくなります。そこには継続性はもとより、瞬間性すら感じられません。 ただ、次の『城が島の雨』(作詞 北原白秋)の歌詞を御覧になってください。 城が島の雨 - goo 音楽 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND37569/index.html 「雨はふるふる」 この冒頭の文句は原型で書かれているにも関わらず、不思議と雨が延々と降り続けるイメージを醸し出しています。それは、「ふる」という動詞を重ねて使っているからです。これが「雨はふる」であれば、単なる雨という物体の落下以外の印象を与えません。 ・水が流れる。 ・水が流れている。 これに関しても上記と同様のことが言えると思います。 > 私が言いたいのは、「受ける」(文1)という形は、実際動いているもの > (文2)の静止となった一瞬の画像をキャッチするような感じがします。 「受けている」‥ 動画 「受ける」‥ 静止画 そういうニュアンスをお感じになる気持ちは解らなくはありません。しかし、ANo.6 でもお話ししましたように、ただ単に「受ける」と言った場合、そこには継続性のイメージもなければ、一瞬を感じさせるものもありません。「受けている」が継続だから「受ける」は瞬間だという捉え方は逆算の発想で、単なる論理的解釈に過ぎません。少なくとも、生まれた時から直感的に日本語に触れている人間の感覚からは、そういう意見は出ないと思います。
お礼
度々ありがとうございます。「大阿蘇」はどこかで読んだことがあるような気がします。東山魁夷の絵を思い浮かべました。北原白秋の「城が島の雨」も大変参考になりました。全部文法で説明できない特徴を持っているからこそ、言語に扱いにくい魅力があるのですね。何度もご親切に教えてくださり本当にありがとうございました。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
#4,5です。 #5の補足についてコメントします。 > 「I receive the small line of water flow」は習慣的に継続していることを表すでしょう。また、日本語の「受ける」は「shall/will receive」のニュアンスもあるのではないでしょうか。 そのとおりです。非常に正しく理解しておられます。動詞の原形には、「特に付加情報を持たない単純動作」のほかに多くの使い方があります。これらの使い方は、多くの点で英語と共通しています。 * 習慣的継続 「私たちは寄付を受ける」=活動の一環として日常的に寄付を受ける。 この場合「受けている」も習慣的継続として使えます。 * 意志・選択・排他 「私は××大学を受ける(受験する)」=受けることに決心した、この大学を選択した、(間接的に)他の大学は受けない。または「受けないことの否定」としても使います。 * 近未来 「私は来週××大学を受ける」 * まれには、現在進行形とほとんど同じ使い方をします(特に詩的表現で)。 「この道をわれは行く」=これから行くぞ、という決意だけでなく、すでに「行く」という動作が進行していることを示します。 そのほか、限られたスペースでは、とても書き切れません。使われている実例で一つずつご自分のものとしてください。
お礼
度々ありがとうございます。いろいろな例文を書いていただき大変助かりました。特に、詩的な表現に興味を持っております。英語をもう一度拾い上げたくなりました。何度もご親切に教えていただき誠にありがとうございました。
- Parismadam
- ベストアンサー率65% (2756/4211)
こんにちは。6/10のご質問ではお礼のお返事を有難うございました。 ご質問1: <「流れてくる水」という表現から「水が流れている」という進行形の感じがする> はい、します。 1.理由は、「くる」という動詞が「こちらに向かって近づいてくる」という動作を表しているからです。 2.動作を表す動詞に「~している」という継続を示す補助動詞をつけると、「進行感」を出すことができます。 ご質問2: <「受ける」と「受けている」であるならば、~まだ「水が流れている」という進行形の感じがするのでしょうか。> どちらも「進行形の感じ」はします。 1.理由は、「流れてくる」は「水」を修飾しており、この部分は主文の動詞の形態とは関係ないからです。 2.従って、主文の動詞「受ける」が過去・現在・未来時制に変わっても、「流れてくる」に表されている進行感は常に存在します。 ご質問3: <次の二つの文~それぞれの違いを説明していただけないでしょうか。> 1.「~手に持った器で【受ける】」: (1)雨の日と時を特定しています。 (2)特定の時を表す副詞と共に使われる現在形は「恒常的・習慣的な動作」を示すことがあります。 (3)この例では、「雨の日には~流れてくる水を(いつも)受ける」という恒常的・習慣的な動作として解釈できます。 2.「~手に持った器で【受けている】」: 以下の2つの解釈が可能です。 (1)進行: 1)「受けている」は動作の進行を表し、一時的動作の絶え間ない・途切れのない動きを示します。 2)その場合は「雨の日」はある特定の日の雨の日となります。この句の前に「ある雨の日」とすると、一時的動作の進行感が出ます。 例: 「ある雨の日、~流れてくる水を~で受けている」 3)「自発的な動作」が強いと、「動作」を強調し進行形の用法になります。 (2)継続・存続: 1)「受けている」の「ている」は、「存続の助動詞『つ』の連用形+補助動詞『いる』と考えられます。 2)つまり、完了している動作がずっと継続していることを表します。 3)その場合は「雨の日」は不特定の日でも、「雨の日」という条件のついた日になります。この句の後に「雨の日はいつも」などと補足すると、継続的動作の進行感が出ます。 例: 「雨の日はいつも、~流れてくる水を~で受けている」 4)「他発的な動作」が強いと、「状態」を強調し状態の継続の用法になります。 (3)わかり易くまとめると、 「受ける」:恒常的・習慣的動作 例: 「冬に受験生は試験を受ける」 「受けている(1)」:自発的動作、進行を強調 例: 「息子は今試験を受けている(ところだ)」 「受けている(2)」:他動的動作、状態の継続を強調 例: 「息子は、土曜はいつも塾で試験を受けている」 となります。 ご質問3 <質問文に不自然な日本語の表現がありましたら> 今回もほぼ完璧です。 「それも教えていただければ大変有り難いです。」という表現も今回は適切に使われており、回答者への敬意が感じられ、非常に教養を感じさせる使い方になっています。 最初の例文で以下の点に気をつけられるといいと思います。 1.「雨の日」: 主節の時制は「受けた」と過去形になっていますから、この「雨の日」は特定の日のことになります。それを表したほうがいいでしょう。 例: 「ある雨の日」 2.「古びた軒下」: 古びているのは「家」全体のことですから、「古びた」を「家」にかけるといいでしょう。 例: 「古びた家の軒下」 3.「屋根から細く一直線に流れてくる水」: 「から」という格助詞には動作をすぐに持ってきて、起点と動作の関係を明確に示した方がいいです。その場合、形容詞は「水」にかかるようにします。 例: 「屋根から流れてくる、細い直線状の水」 「細く一直線に屋根から流れてくる水」 4.ただし、「一直線」が「一直線に」=「まっすぐに」という副詞として使われて入れば、その場所は「流れてくる」の前になります。 例: 「屋根から一直線に流れてくる、細い一筋の水」 4.ただ、「一直線に」という副詞は「猛突進」といった「勢い」が感じられますので、「細い」とう形容詞とは雰囲気が矛盾します。その場合は逆接の接続助詞などを使うといいでしょう。 例: 「屋根から流れてくる、細いながらも一直線状の水」 「細いながらも一直線に屋根から流れてくる水」 以上ご参考までに。
お礼
こんにちは。早速のご回答ありがとうございます。「流れてくる」は主文の動詞の形態とは関係ないのは、よくわかりました。「雨の日」の持ついろいろな意味は興味深く拝見しました。「から」を使う文の書き方はこれから気をつけます。とても勉強になりました。文章の書き方までいろいろ教えていただき心から感謝いたします。まだすっきりしていないところを補足させていただきました。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
補足
1. >「自発的な動作」が強いと、「動作」を強調し進行形の用法になります。 >「他発的な動作」が強いと、「状態」を強調し状態の継続の用法になります。 「~手に持った器で【受けている】」についてのご説明の中で、「自発的な動作」と「他発的な動作」と、この二つの概念に触れました。これはどういう意味でしょうか。 >「受けている(1)」:自発的動作、進行を強調 >「息子は今試験を受けている(ところだ)」 >「受けている(2)」:他動的動作、状態の継続を強調 >「息子は、土曜はいつも塾で試験を受けている」 「自発的な動作」か「他発的な動作」かはシチュエーションによって判断するものなのでしょうか。 2.たとえば、流れている水の写真が一枚あり、その下に文字をつける作業(文学作品扱いで)をするとします。文字付きの写真を鑑賞するとき、次の二文から受けたイメージはどのように違うのでしょうか。 (1).水が流れる。 (2).水が流れている。
- guess_manager
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「受けている」を用いた1の文章は、受けている人を客観的に眺めている印象を受けます。むしろ、こちらが、カメラに収められた光景に近い印象です。 「受ける」を用いた2の文章は、「私」自身が、受けている動作を行っていることが強調されているため、読む人の感情移入の度合いが高い様に感じます。そして、流れてくる水を受け始める瞬間の光景が目に浮かびます。 もはや文法の正確さなど超越していますが、種田山頭火あたりの俳人を参考にしてみるのもいいと思います。 「まっすぐな道でさびしい」 作家別作品リスト:種田 山頭火 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person146.html
お礼
再びありがとうございます。二文の感覚は大変参考になりました。種田山頭火の作品のおすすめにも感謝いたします。ご親切に教えていただきありがとうございました。
補足
たとえば、流れている水の写真が一枚あり、その下に文字をつける作業(文学作品扱いで)をするとします。文字付きの写真を鑑賞するとき、次の二文から受けたイメージはどのように違うのでしょうか。 1.水が流れる。 2.水が流れている。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
> 「受ける」だと、どういう感覚なのか教えていただけないでしょう > か。一枚の写真のような感じでしょうか。たとえば、目の前に流れ > ている水があるとします。その水の写真を撮りました。写真の中の > 水は「流れる」という感じで、目の前の水は「流れている」という > 感じで、あっているのでしょうか。 「受ける」は一瞬の出来事‥ということでしょうか? 確かに「受ける」という動作が継続することが「受けている」ですから、そういう側面がないこともないのですが、 「受ける」・・・ 瞬間の動作 「受けている」・・・継続する動作 という捉え方は必ずしも合っていません。 「水が流れる」 単にこう言った場合、それは「流れる」という動作を表すだけで、継続性はもちろん、瞬間というニュアンスもありません。「一瞬、水が流れる」などと言って、初めて瞬間のニュアンスが生まれます。もちろん、そのことは「受ける」でも同様です。 写真の話が出ましたので、それに関しても少しお話ししますね ( ^^ (1) この写真で屋根から落ちる水を【受けている】人は、誰ですか? (2) この写真で中央を【流れている】のは、黄浦江です。 (3) 写真の中で【転びかけている】のは、私の姉です。 このように写真に写されたものについて語る場合は、必ず「~ている」という表現を使います。ここで特に注目していただきたいのは、(3)の「転びかけている」です。「転びかける」は瞬間の動作です。次の瞬間には転ぶか、もしくは体勢を立て直すかのどちらかになります。それにも関わらずなぜ「~ている」(継続)なのか・・・? 実は、この場合の「~ている」は、文法的には継続ではなく “存続”の用法と言います。存続とは、過去に行われた動作の結果が、動作終了後も引き続き存在し続けることを言います。写真は動作の一瞬を写し止めるので、写真の中で転びかけた人物は、半永久的に転びかけ続けるのです (笑) 写真の例でお話しましたが、存続の用法は写真に限りません。ちょっと物騒な例ですが‥ 「道に人が死んでいる」 これが継続の用法でないことは明らかです。なぜならば、普通人が死ぬのは1回きりで、継続的に何度も死んだりはしないからです。「死ぬ」という動作は一瞬で終了しますが、死んだ状態はその後もずっと続きます。つまり、これが存続です。
お礼
再びありがとうございます。いろいろ参考になりました。疑問に思う箇所を補足させていただきました。もう一度教えていただければ大変有り難いです。よろしくお願いいたします。
補足
「転ぶ」と「死ぬ」は瞬間動詞です。瞬間動詞の「ている」は存続の用法となりますね。私は文学作品に使う持続動詞の「ている」とその原型との効果の違いについて検討させていただきたいと思います。 > (1) この写真で屋根から落ちる水を【受けている】人は、誰ですか? (2) この写真で中央を【流れている】のは、黄浦江です。 上記の二文は試験問題のような感じの文章ですね。上の二例の中で「ている」を使うことはとても納得できます。私が写真に文字をつけるなら、文学作品(随筆、詩など)のような雰囲気の文字をつけたいと思います。 >「水が流れる」 単にこう言った場合、それは「流れる」という動作を表すだけで、継続性はもちろん、瞬間というニュアンスもありません。「一瞬、水が流れる」などと言って、初めて瞬間のニュアンスが生まれます。もちろん、そのことは「受ける」でも同様です。 たとえば、水の写真があって、その下に文字をつける作業(文学作品扱いで)をするとします。次の二文から受けたイメージはどのように違うのでしょうか。 ・水が流れる。 ・水が流れている。 >「受ける」は一瞬の出来事‥ということでしょうか? いいえ、一瞬の出来事という意味ではありません。一瞬の出来事だと「受けた」という形をとると思います。 1.雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で【受ける】。 2.雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で【受けている】。 私が言いたいのは、「受ける」(文1)という形は、実際動いているもの(文2)の静止となった一瞬の画像をキャッチするような感じがします。しかも、「受ける」という形は、この静止となった一瞬の画像が動くようになることを人に訴える効果を持つような気がします。文としてアンバランスの感じがするかもしれませんが、このアンバランスの感じはかえって人に動きを感じさせる雰囲気を醸し出す感じがします。うまく表現できなくてすみません。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
#4です。 事情がよく分かりました。「俳句」は文字数や季語などの制限がきついので、ここでは、もっと概念が広い「詩」としておきましょう。 私は、中国語に「現在進行形」という概念があるのかどうか知りませんし、あなたが英語を習っておられるのかどうかも分かりませんが、「受ける」は、単純な動詞(I receive the small line of water flow.)であり、他方「受けている」は現在進行形(I am receiving ...)であって「受ける」という状態が「引き続いている」ことを示します。したがって「受けている」と書けば「時間的な広がり」が感じられるため、作者の気持が伝わりやすいと思います。 しかし、他方で、詩には「なるべく短い言葉で気持を伝える」という必要性がありますから、もし「受ける」と書いて、読む人に「受けている」という印象を与えることができれば、それで一つの成功であるとも言えます。詩は、つねに創造であり冒険なのですから、だれでも書きそうなことを並べても意味がありません。あなたの日本語は、ほぼ完璧なのですから、心情の向くままに詩を作ってみてはいかがでしょうか。
お礼
再びありがとうございます。『「受けている」と書けば「時間的な広がり」が感じられる』というお考え方は大変参考になりました。中国語に「進行形」という概念があります。私は英語も一応習っておりますが、下手です。また、英語にも「歴史的現在」という使い方があるかどうかはわかりません。励ましていただきありがとうございます。私はいま日本語の時制の感覚はまだしっかり掴んでいないと思います。いろいろ教えていただきありがとうございました。
補足
>「受ける」は、単純な動詞(I receive the small line of water flow.)であり 「I receive the small line of water flow」は習慣的に継続していることを表すでしょう。また、日本語の「受ける」は「shall/will receive」のニュアンスもあるのではないでしょうか。英語が下手です。間違っていましたら、ごめんなさい。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
あなたの提示した (1) 雨の日、‥受ける。 (2) 雨の日、‥受けている。 は、どちらも正しい日本語ですから、これだけの情報で優劣を決めることはできません。前の文や後の文を見れば、論評できるかもしれません。 一つだけ、気になったことを申し上げます。 「古びた軒下」は適切でない恐れがあります。まず「古びた軒」があり、その下の空間が「軒下」ですから、理屈を言えば「空間が古びている」のはヘンです。しかし文学には理屈を超えたものがあり、筆者がその事情を知った上であえて使うのであれば、容認できるでしょう。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。「古びた軒下」のご指摘は参考になりました。気をつけます。文末に関しては、「受ける」にするニュアンスを知りたいのですが、もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
補足
>前の文や後の文を見れば、論評できるかもしれません。 一文だけで、前後文はありません。現代語の俳句(?こんな呼び方でごめんなさい)のつもりでした。古典文法がよくわからないので、正真正銘の俳句が作れません。ある雨の日、私は古い屋根から地面に向かって一直線に流れている細い水を見ました。その情景を見て、上記のような文を作りました。文末を「受けている」にするニュアンスはよくわかりましたが、「受ける」にするニュアンスはいまひとつまだよくわかりません。よろしければ教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
こんにちは ( ^^ > 上記の文の中の「流れてくる水」という表現から「水が流れている」 > という進行形の感じがするらしいです。もしも文末は「受けた」では > なく、「受ける」と「受けている」であるならば、「流れてくる水」 > からまだ「水が流れている」という進行形の感じがするのでしょうか。 日本語にはいわゆる「進行形」というものはないのですが、補助動詞の「~て・くる」は “動作の継続” や “状態の変化” を表します(他の用法もありますが、ここでは割愛します)。 ・今まで【学んで来た】ことを仕事に役立てたい。(継続) ・手入れを怠っていたら、フライパンが【錆びて来た】。(変化) ですから、「流れてくる水」は水の流れが継続的に続く様子を表します。ただし、この文の主節の述語は「受ける」ですから、文全体に進行形的な意味合いを持たせるためには、これを「受け・て・いる」にする必要があります。単に「流れてくる水を受ける」では、その動作が当然現在も継続中ということにはなりません。 「流れてくる水を受けている」・・・ 現在受け続けている 「流れてくる水を受けていた」・・・ 過去に受け続けていた 前者の場合は現在受けている以上、当然水も流れ続けています。 それはそうと、軒先から落ちる雨垂れをわざわざ容器を持ち出してキャッチするという状況設定が私にはどうも理解できません。一体文中の人物は、器に溜めた水をどうするつもりなのでしょうか。まさか飲むわけではありませんよね(そんなことをすれば病気になります)。ある意味この文のシチュエーションこそが、ご質問中最も不自然な点という気がします ( ^^; それはさて置き、純粋に国語表現として不自然と思われる点を直してみましたので、以下ご参考にしてください。 【修正前】 「雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で受けた。」 【修正後】 「ある雨の日、古びた軒先から細く糸を引くように雨水が流れ落ちていた。私は器を手にして軒下に立ち、その雨だれを受け止めた」 【修正のポイント】 (1) 単に「雨の日」では漠然とし過ぎで、雨が降る日は毎回そうしているかのような印象を与えます。 (2) 軒下とは、屋根の下端(軒先)の直下付近の地面や空間を指す言葉です。したがって「古い軒下」はおかしな表現です。古いのはあくまで屋根(家)です。 (3) 「一直線」はよく滝の描写などに使われます。意味は真っ直ぐということですが、「目標に向かって一直線に突き進む」などの例から解るように、強い勢いを感じさせる言葉です。したがってこれを例文で使った場合、雨足の強い(雨量が多い)との印象を与えます。一方「細く」は逆に雨足がさほど強くない印象を与えるので、「細く一直線に」はアンバランスな表現と言えます。「細く」を生かすのならば、「一直線」は使わない方がいいと思います。それを省いたからと言って、雨だれがカーブを描いて落ちていると誤解される心配はありません。 (4) 「流れてくる」は、「川上から大きな桃がどんぶらこと流れてきました」のように、主として水平方向の移動を表します。物が落下する表現としては適当ではありません。
お礼
こんにちは。早速のご回答ありがとうございます。「受ける」という形に興味を持っております。これは以前からずっと疑問に思っている箇所です。「受ける」だと、どのように聞こえるのか、教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。元の文章を修正していただき大変助かりました。いろいろな表現を習得しました。本当にありがとうございました。
補足
>ですから、「流れてくる水」は水の流れが継続的に続く様子を表します。ただし、この文の主節の述語は「受ける」ですから、文全体に進行形的な意味合いを持たせるためには、これを「受け・て・いる」にする必要があります。単に「流れてくる水を受ける」では、その動作が当然現在も継続中ということにはなりません。 「受ける」だと、どういう感覚なのか教えていただけないでしょうか。一枚の写真のような感じでしょうか。たとえば、目の前に流れている水があるとします。その水の写真を撮りました。写真の中の水は「流れる」という感じで、目の前の水は「流れている」という感じで、あっているのでしょうか。 それと同じように、 1.雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてきた水を、手に持った器で【受けている】。 2.雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてきた水を、手に持った器で【受ける】。 目の前に文1の場面があり、それをカメラに収めると、文2になります。 >それはそうと、軒先から落ちる雨垂れをわざわざ容器を持ち出してキャッチするという状況設定が私にはどうも理解できません。 理解しにくくて申し訳ありません。検討したいことからそれるおそれがあるので、字面に出たままの意味に絞って検討していただければ大変有り難いです。よろしくお願いいたします。
- tent-m8
- ベストアンサー率19% (724/3663)
(1)『雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で受けた。』 これは、「受けた」という過去の事実を述べています。 (2)『雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で【受ける】』 これは現在形で書かれていますが、説明的な文脈ですから、「歴史的現在」の用法とも解釈できます。(「受けた」と同じ意味です。) (3)『雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてくる水を、手に持った器で【受けている】。』 これは、文字通り進行形の表現です。
- 参考URL:
- http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CE%F2%BB%CB%C5%AA%B8%BD%BA%DF&kind=jn&mode=0&kwassist=0
お礼
早速のご回答ありがとうございます。「歴史的現在」という呼び方は知りませんでした。教えていただき大変助かりました。小説などによく出てくる難しい用法だと思います。今はわかったような、まだわかっていないような感じがします。またいろいろな文章を読ませていただき、いつか自分でも使えるようになりたいと思います。本当にありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。私は「受ける」という形に興味を持っております。「そのため、今まさに起きていることを瞬間的に切り取った様子を表現しているように感じられ、とても新鮮な印象を受ける」について私の感じ方を書かせていただきました。もう少し教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
補足
>そのため、今まさに起きていることを瞬間的に切り取った様子を表現しているように感じられ、とても新鮮な印象を受けます。 これは一枚の写真のような感じでしょうか。 たとえば、目の前に流れている水があるとします。その水の写真を撮りました。写真の中の水は「流れる」という感じで、目の前の水は「流れている」という感じで、あっているのでしょうか。 それと同じように、 1.雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてきた水を、手に持った器で【受けている】。 2.雨の日、私は古びた軒下に立ち、屋根から細く一直線に流れてきた水を、手に持った器で【受ける】。 目の前に文1の場面があり、それをカメラに収めると、文2になります。 以上のような感じ方でよろしいのでしょうか。