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正解の根拠の該当箇所がわからない
現代文です。正解の選択肢が正解であるとする根拠に該当する部分が本文から見出せず困っています。 問:次の文の趣旨として、妥当なのはどれか。 論争に参与するのは知性である。思想は論争しない。ひとりの人間の肉体がそうであるように、思想もまた弱点としてのおのれを完成する。ところが論争はつねにいずれかの側に正邪、適不適の判定を予想するものである。はじめから決着を度外視して論争は成り立たぬ。ひとびとは論争において二つの思想の接触点しかみることができない。論争するものもこの共通の場においてしかものをいえぬ。この接触面において出あった二つの思想は、論争が深いりすればするほど、おのれの思想たる性格を脱落してゆく。かれらは自分がどこからやってきたかその発生の地盤をわすれてしまうのである。しかも論争にやぶれたものは、相手の論理の正しさに手も足も出なくなりながら、なお心のどこかでおのれの正当を主張するものを感じている。このさいかれのなすべきもっとも賢明な方法は、まず論争からしりぞき、自己の深奥にかえってそこから出なおすことをおいてほかにない。が、ひとびとはそれをしない。あくまで接触面に拘泥し、論理に固執して、なんとか相手をうちまかそうとこころみる。それがおおくのひとびとをゆがめられた権力欲にかりたて、たがいにおのれをたて、他を否定してはばからざらしめるのである。 僕の選んだ選択肢 「思想上の論争は、その一部のみを取り上げて論争すべきではないから、論争の勝ち負けに拘泥し、互いに相手をののしりあうことは、すべきでない。」 テキストでは、「その一部のみを取り上げて論争すべきではない」のではなく、思想上の論争そのものが不要だとされる…とあります。しかし、本文ではハッキリと、「論争はつねにいずれかの側に正邪、適不適の判定を予想するものである」「ひとびとは論争において二つの思想の接触点しかみることができない」と記されてあります。ここの箇所は選択肢とはイコールではないのですか。また、イコールでない場合、何を根拠にイコールでないと判断すればよいのでしょうか。 正解の選択肢 思想は、その発生の地盤から離れることのできないものであるから、知性による論理だけの批判や判定は、役に立たないものである。 地盤から離れることができない…という時点でもう不正解と判断しました。なぜなら、本文では「その発生の地盤をわすれてしまう」=地盤から離れてしまう、と考えたからです。また、「論理だけの批判や判定は、役に立たない」とありますが、ここでの本文の主張は、批判や判定が有益かどうかではなく、論争の問題点について語っているので、「役に立たない」より「ののしりあうことは、すべきでない。」のほうがずっと適切だと考えました。 ね、正解の選択肢の該当箇所が本文には見当たらないでしょう?もう何度解いても、間違えてしまいます。解説をお願いします。
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そろそろ終わりにします。すみません。 ズバリ、質問者様は細かい言い回しに振り回されすぎだと思います。1)「論争は…なので、不要である。」、2)「…意味が無い。」、3)「…役に立たない。」、4)「…すべきでない」 この4つの言い方は、ほぼ同じ意味です。ただ、4)は踏み込みすぎで、ほんの少しだけニュアンスが違いますね。 「思想」を「論争する人びと」に重ね合わせて主語にした場合は、「論争が深いりすればするほど……その発生の地盤をわすれてしまう」(本文)となり、普通に表現すれば「思想は、その発生の地盤から離れることのできないものである」(正解選択肢)となるのです。前者は「論争が深いりすれば」という、本来とは違う態度をとればという条件の元なので、真逆の結果「その発生の地盤をわすれてしまう」になります。本来ならば「その発生の地盤から離れることのできない」のです。ですから逆ではなく、同じ意味です。「その発生の地盤」と「自己の深奥」とは同じ意味で使われています。「論争にやぶれたものは、…なお心のどこかでおのれの正当を主張するものを感じている」「自己の深奥にかえってそこから出なおすことをおいてほかにない」と筆者が言っているので、「思想は、その発生の地盤から離れることのできないものである」という選択肢の表現も是認されるという理屈です。ここの試験は、意味さえほぼ同じなら、選択肢で結構大胆な言い換えをしてくるということですね。引っかからないように注意しておきましょう。 冒頭でも言いましたように、文章の理解を機械的、あるいは数式を解くような方法で考えておられる点が質問者様の最大の問題点だと思います。細かな語尾の違いに目を奪われているので、出題者が少し表現を換えただけでみごとに引っ掛けられてしまうのです。「思想上の論争は、お互いの思想の発生の地盤からかけ離れて、知性や理論だけで行われるので役に立たない。」なら正解肢かも知れません。ですから、「思想上の論争は…」だけを見て不正解肢と決め付けるのは、やはり危険なのです。 もう一つの問題点は、無意識に行ってしまう読替えです。「接触点」=「共通の場」を「一部」と読替えてしまうと、「接触点」の性質が台無しになります。知性の参与を得て論争するものは、(思想の「地盤」ではものがいえず)「共通の場」でしかものがいえないという、「接触点」の性質は、(「全体」に対する)「一部」という言葉で言い換えてはマズイのです。「思想は全体として意味を成すものである」のような記述があれば、これが正解肢でも良かったと思います。「論争の勝ち負けに拘泥し、互いに相手をののしりあうことは、すべきでない。」は、筆者の論旨を勝手に具体化しすぎです。抽象的な論旨は抽象的なまま、趣旨としてまとめるべきで、「余分なものを足さない、引かない」という、ウイスキーのCMのような態度が必要です(笑)。 http://blogs.dion.ne.jp/hamalog/archives/cat_179041-3.html木を見て森を見ず 問い;抽象的な文章は抽象的なまま理解できるか? 問い;筆者が抽象的なことを伝えようとしているなら、本当に理解したときには、言葉ではないモヤッとした何かが伝わっていなければウソではないか? 僕のやり方;紙に線を引き、上下・左右4つに区分けし、左<肯定的>右<否定的>、上<主張>下<根拠>とします。この本文の場合は、右上<否定的>に「論争」、右下<根拠>に「知性では、この共通の場(接触面)でしかものが言えない」、左上<肯定的>に「思想の深奥(思想の地盤)」、左下<根拠>に「思想の地盤は知性でないもの(感性)に参与されてる?」と書き込みます。この左下については、筆者は直接は述べていません。他の3つから想像するのです。 人の意見というのは、所詮人の意見です。無理に接木したとて、花が咲くとは限りません。己の身にしなければ枯れるだけです。(このように形の無いものを形のある何かや、何かと何かの関係性にたとえるのがメタファーであり、抽象的なことを伝える手段です。) 長々と失礼しました。
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毎度お邪魔します。 今回の対立軸は、「論争(=知性による判断)に拘泥したときの思想」と「自らの発生の地盤(=経験や感情による判断)を忘れずにいる思想」です。思想というのは、経験や感情で納得したから出来上がったのであって、納得できないものは排除されているはずです。ですから、論争にやぶれても、なお心のどこかでおのれの正当を主張するものを感じている…のです。よく思想についてのウィキペディア的記述で、時代背景やその当時の中心的関心事(神の存在と科学的真理の整合性など)が記されているのは、思想はその発生地盤を抜きには語れないからでしょう。 「論争」…たとえば、「お金で幸せは買えるのか買えないのか」、「自分に自信を持つには根拠が必要なのか否か」「消費税アップは必要なのかどうか」「“我思う”は“我あり”の証明になりうるのかどうか」、「人間に自由意志はあるのか否か、そして死刑は廃止すべきか存続すべきか」、「世界があるから言葉が出来たのか、言葉があるから世界が出来たのか、どちらが先か」「“解かる”とは感じることなのか、それとも“言葉”で表現できるのか」などなど…を僕は想像して読みました。 参考;http://okwave.jp/qa317449.html コギト http://okwave.jp/qa3169803.html?rel=innerHtml ラカン http://okwave.jp/qa463308.html ソシュール 「思想は論争しない」というあいまいな表現は、そのあとの文章を読むと、「思想上の論争をすべきではない」なのか「思想上の論争をしても役に立たない」なのか、そう問われると、どっちでも同じなんじゃないのという気がします。確かに、小中高校生レベルでは、どっちの文言も同じようなものです。ただ、「互いに相手をののしりあうことは、すべきでない」といった矮小な趣旨ではないという点から、正解から排除すべきなのでしょう。 何が正しくて、何が誤りなのかは、その要求されるレベルがわからないと答えにくいものなのです。例えば、パンフレットに『この島の周囲長は約5400Kmである』という表記があったとしましょう。すると、ある疑問が頭に浮かびます。海岸線には大小さまざまな凹凸があり、どのレベルの凹凸までを測るのかによって、周囲長の長さは大きく変わってくるからです。フラクタルという概念です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB 試験において「傾向と対策」が必要なのは、そのためです。どこまでの言い換え、要約が許されるのか、そういった視点で試験の傾向を抑えておけば、的確に正しい選択肢を選べるのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 >ただ、「互いに相手をののしりあうことは、すべきでない」といった矮小な趣旨ではないという点から、正解から排除すべき おぉ!!なんか、少し霧が晴れた気がします。つまり、不正解の選択肢のもっとも大きな間違いは、「互いに相手をののしりあうことは、すべきでない」であり、本文の趣旨は、相手同士云々ではなく、「論争からしりぞき=論争そのものをすべきでない」、ということでしょうか。
- suunan
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本文を要約すると 「論争はデジタルな正誤あるのみで、思想全体の持ち込みは不可。 論争に敗れなおかつ思想にこだわるなら論争を行なったこと自体を みずからの間違いとするべきであり、それをしないと精神が 歪んでしまい権力欲に結びつくことが多く、 強引に自分が正しいと言い張るようになる」となります。 -------------------------------------------- 選択肢「思想上の論争は、~」は間違いです。 本文によれば〔論争は論点を思想全体と分離しないと成り立たない〕ので「思想上の論争」は存在しません。 これは「哺乳類全般の猫」が存在しないのと同じで、 犬がニャーと鳴いたりしないのです。 -------------------------------- 「テキストでは、「その一部のみを取り上げて論争すべきではない」のではなく、思想上の論争そのものが不要だとされる…とあります。しかし、本文ではハッキリと、「論争はつねにいずれかの側に正邪、適不適の判定を予想するものである」「ひとびとは論争において二つの思想の接触点しかみることができない」と記されてあります。ここの箇所は選択肢とはイコールではないのですか。」 ★イコールではありません。それどころか何の関係もありません。 「論争はつねに~予想する」「ひとびとは論争において~」 を要約すると「論争は正誤二択を求めるものだ。論争では思想の一部すなわち両者の接触点のみ扱われる」であり、これはあなたの選択肢 「論争の勝ち負けに拘泥し、互いに相手をののしりあうことは、すべきでない。」か否かの方向性を含みません。 「イコールでない場合、何を根拠にイコールでないと判断すればよいのでしょうか。」 ★たとえば事件の犯人を当てるときに 「犯人でないという証拠がなければ犯人だ」は誤りで、 〔犯人であることの証拠〕が必要です。 「イコールである」はあなたが持ち出した意見なので イコールで「ある」証拠をあなたが出さなければ成り立ちません。 すでに述べたように、その二つのことには関係が無いので イコールではありません。組み合わせに必然性が無いのです。 黒いから猫だとか猫は黒いのだというのは間違いなのと同じです。 白猫も黒犬もいるからです。 ★★★ ようするに、あなたの言い分には理論がひとつもありません。 関係があるかないかを判別するのは思考の最初歩です。 牛乳が白いのはなぜかわからなくても、 牛が白いからではないということは 黒い牛からも白い牛乳が出ることでわかります。 このように、 一方を差し替えても他方に変化が生まれない組み合わせを 日本語で〔関係ない〕と言うのです。 ------------------------------------ 「正解の選択肢 思想は、その発生の地盤から離れることのできないものであるから、知性による論理だけの批判や判定は、役に立たないものである。 地盤から離れることができない…という時点でもう不正解と判断しました。なぜなら、本文では「その発生の地盤をわすれてしまう」=地盤から離れてしまう、と考えたからです。」 ★いいえ。本文は〔離れることが出来ない。が、論争中にはこの点を忘れてしまう。忘れるのは間違いであり離れる事はできない。〕であり、 正解選択肢と一致します。あなたが誤選択とイコール記号で結んでも イコールにはなりません。 -------------------------------------- 「また、「論理だけの批判や判定は、役に立たない」とありますが、ここでの本文の主張は、批判や判定が有益かどうかではなく、論争の問題点について語っている」 ★いいえ。 論争の問題点について語るには判定が有益であることが必要なので、 ここで「~ではなく~」は 「哺乳類ではなく猫である」と同様成り立ちません。 いうまでもなく本文にそんな矛盾した記述はありません。 あなたの説には根拠がありません。 ようするに、あなたは自分が正しいという結論を決めてから 必要な根拠をでっち上げているのです。 野球の試合が終わって自軍が勝ったと言うために 合計得点が相手より多かったといっているものの 具体的な数値を示せないのと同じです。 「正解の選択肢の該当箇所が本文には見当たらないでしょう」 ★その説には根拠がなく、現実は逆であることは すでに述べたとおりです。 正解「思想は、その発生の~立たないものである」 は「論争は思想の一部しか扱わないので、 論争によって思想を計ることはできない」という 本文の要約と一致します。
お礼
ありがとうございます。 「論争はつねにいずれかの側に正邪、適不適の判定を予想するものである」「ひとびとは論争において二つの思想の接触点しかみることができない」 ∥ 「論争は正誤二択を求めるものだ。論争では思想の一部すなわち両者の接触点のみ扱われる」 ↓ 「論争の勝ち負けに拘泥し、互いに相手をののしりあうことは、すべきでない。」 ここの↓の部分に関係がない、ということなわけですね。すべきでない理由は、接触点のみをみていることが悪いと言っているのではなく、深入りすることが悪い、と言いたかった、という風に受け止めましたが、あっていますでしょうか。
- fumkum
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>正解の根拠の該当箇所がわからない >現代文です。正解の選択肢が正解であるとする根拠に該当する部分が本文から見出せず困っています。 現代文の内容理解は難しい問題ですね。内容理解のポイントはいくつかありますが、この場合、接続語・肯定表現・対比がポイントではないでしょうか。 まず、簡単なところでは「肯定表現」です。「賢明な方法」という語句が後半にありますが、このようなポジティブな表現が大事です。その後に「まず論争からしりぞき、自己の深奥にかえってそこから出なおすことをおいてほかにない。」とありますからこれが、筆者の主張になります。この中で、「自己の深奥にかえって」と同じような意味の文は、「自分がどこからやってきたかその発生の地盤」であり、「弱点としてのおのれを完成する」「思想」です。(なお、「拘泥」「固執」などのネガティブ表現も注目する必要があります) 次に、対比と接続語について考えて見ましょう。「論争」と「思想」が対比され、「ところが」と「が」という逆接の接続語によって「論争」中心の文と「思想」中心の文とに分けられています。下に文を分けてみましたが、(1)・(3)・(5)が「論争」中心の文、(2)・(4)が「思想」中心の文と、交互に主張されているのが分かると思います。この中で、「論争=知性((1)の部分から)」は、「つねにいずれかの側に正邪、適不適の判定を予想するものである。」であるとされており、否定的に扱われています。(ここでよく間違えるのは筆者の主張は何かということを問うているのに、主張の是非や、一般的な考え、読み手の考えを答えようとすることです。あくまでも文章理解であって、倫理や一般常識や哲学ではないということです。) 以上の内容を元に、選択肢を選ぶことになります。 (1)論争に参与するのは知性である。 (2)思想は論争しない。ひとりの人間の肉体がそうであるように、思想もまた弱点としてのおのれを完成する。 (3)ところが論争はつねにいずれかの側に正邪、適不適の判定を予想するものである。はじめから決着を度外視して論争は成り立たぬ。ひとびとは論争において二つの思想の接触点しかみることができない。論争するものもこの共通の場においてしかものをいえぬ。この接触面において出あった二つの思想は、論争が深いりすればするほど、おのれの思想たる性格を脱落してゆく。かれらは自分がどこからやってきたかその発生の地盤をわすれてしまうのである。しかも論争にやぶれたものは、相手の論理の正しさに手も足も出なくなりながら、なお心のどこかでおのれの正当を主張するものを感じている。 (4)このさいかれのなすべきもっとも賢明な方法は、まず論争からしりぞき、自己の深奥にかえってそこから出なおすことをおいてほかにない。 (5)が、ひとびとはそれをしない。あくまで接触面に拘泥し、論理に固執して、なんとか相手をうちまかそうとこころみる。それがおおくのひとびとをゆがめられた権力欲にかりたて、たがいにおのれをたて、他を否定してはばからざらしめるのである。 以上、参考までに。
お礼
ありがとうございます。 もっとも賢明な方法は、論争からしりぞき、自己の深奥にかえってそこから出なおすことだ。が、ひとびとはそれをしない。 ∥ 発生の地盤から離れることができない というイコール関係が成り立つ、というわけですね。本文では「その発生の地盤をわすれてしまう」とあるので、正解の選択肢は不正解と判断したのです。 論争からしりぞき=一部のみを取り上げて論争すべきではない 自己の深奥にかえってそこから出なおす=論争の勝ち負けに拘泥すべきでない、と考えたので、そのことについて質問をしました。
- jo-zen
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あなたの選んだ選択肢は、 「一部のみを取り上げて論争すべきではない」といった内容は本文から導き出せない 「互いに相手をののしりあうことは」といった内容はあなたが勝手に想像するだけ ですから、明らかに、本文の趣旨としては不適当です。 本文からくみ取れるものとして、 「思想は弱点としてのおのれを完成」→(論争)→「おのれの思想たる性格を脱落してゆき、自分がどこからやってきたかその発生の地盤をわすれてしまうのである」ということは、「思想は、その発生の地盤から離れることのできないものである」が、論争によってあくまで相手を打ち負かそうとすることにより「思想」が忘れられ、単なる「感情論」になってしまう。論理に固執して、なんとか相手をうちまかそうとこころみることになるが、負けを認めて引く時は引くべきで、負けがわかっていてさらにあがくこと自体が無益なことだ、というのが本文の趣旨となると思います。以上のことをまとめれば、「思想は、その発生の地盤から離れることのできないものであるから、知性による論理だけの批判や判定は、役に立たないものである」という選択肢が妥当であることがわかります。 なお、この手の趣旨を問う問題の答えは、直接的に書かれたようなものが答えになることは、まずありません。いくつかのキーワードから導き出される帰結が何なのかを考えることが正解を導く方法となります。
お礼
ありがとうございます。 僕が考えた簡単な本文のまとめは、以下のような感じです。 論争は常に適不適び判定を予想する。論争において二つの接触点しかみることができない。 ↓ 論争が深入りすればするほど思想・性格を脱落してゆく。 ↓ 接触面に拘泥し、論理に固執し、他人を否定する。 本文を読みながら、「おそらく正解の選択肢は、論争は一部に固執する&不毛である、的な選択肢だろうなぁ~」と予測していました。僕が正解だと思った選択肢は、その予測にぴったりでした。 地盤を忘れてしまう、というのは、離れるということとは違うのですか?
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お礼
まとめてこちらでコメントさせていただきます。 >「論争の勝ち負けに拘泥し、互いに相手をののしりあうことは、すべきでない。」は、筆者の論旨を勝手に具体化しすぎです。抽象的な論旨は抽象的なまま、趣旨としてまとめるべきで これは、以前に上のほうでいただいたコメントと同じ内容ですよね。 大丈夫だと思います。まぁ、今回学んだこれが、別の問題でも活かせるようになるには、さらなる訓練が必要だと思いますが。 いつも熱心にコメントをつけていただき、ありがとうございます。今日は日曜なので、まだまだ頑張りたいと思います。