- 締切済み
ものごとを「味わおうとする」
ものごとを「味わおう」とする人間は、それだけで結構高尚な部類に属するのでしょうか? といっても、なかなか焦点が絞りにくい問題かと思います。私もどう問題定義すべきがよくわかりません。漠然として印象があって、人間の高尚性というものが仮にあるとすると、それは大体「物事を味わおうとする傾向が高い」ということに関連していないだろうかと、おぼろげに感ずるわけです。 先日野球を観にいってうんざりしたんですよ。 「野球」を観にいっている人って少ないんですよね。応援したくて行く、別にプレーに集中しないでもいい、あるいは、その流れを「味わう」ということに価値観を置いていない。打球音や捕球音が聞こえない。 クラシックのコンサートでも、じっと集中して耳を澄ましている人はあまりいないように見受けられる。 つまり、なんらかの外の情報によっかかって味わった気になっている、あるいは、そういうなんとなしの、「雰囲気」にいればよくて、自分の精神に目的物が作用しなくてもいいと。 そういうのじゃいやで、自分の精神と何事かを対決させるとか同化したいとか、とにかく味わいたいというような願望は、高尚でしょうか?
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
回答No.5
noname#78143
回答No.4
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.3
noname#63054
回答No.2
- yumyumcup
- ベストアンサー率31% (16/51)
回答No.1
お礼
集中する対象物にもよりますかね。 おっしゃるように、高尚というより、貪欲さのほうに近い問題の気がしてきました。ただ、精神力を要することですから、それは一種の強さ、高尚という面も含んでいる気がします。