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物事に意味を求め過ぎ、全てが無意味に感じてしまう
- 大学生が物事に意味を求めすぎ、全てが無意味に感じる理由とは?
- 物事に挑戦し続けるものの、何にも没頭できず自己嫌悪が強まる
- 最近では集中力や執着心が薄れてきて、物事や人間関係を捨てることに快感を感じる
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質問者が選んだベストアンサー
●物事に意味を求め過ぎ、全てが無意味に感じてしまう ↑ご質問が少々哲学的ですが、求めていらっしゃるのは「もの事」の「価値」ではないでしょうか。存在する価値です。ご自分にとっての価値観です。この世に意味の無いものは存在しません。あなたからみて「現に有形無形に存在する」あるものが存在する意味(内容)が分からないということでしょう。 これまで「意味」を求めて関わってこられた対象についていくつかお書きになっています。それらが無駄だったようにもお書きになっています。それはどうしてそうなったのかですが、詳しくは分かりませんが抽象的には、あなたと「もの」との関わりの動機、関係意識が不分明なままに関わった結果、あなたの期待されていた了解意識が納得しなかったのです。 ご質問の文書を拝見していて感じるのですが、どことなく「もの事」を自己流に解釈していらっしゃるようですので、社会一般からみたもの事の認識とズレが生じているように思います。自己意識(自己中ではない。)が強く働いているのだと思います。 ●自暴自棄的な思考・行動がどうにも治りません。 ↑これはまさに、あなたが言葉の「意味」を自己流に解釈されているが故に起こるものです。つまり、過去の事を昨日や今日のことであるかのように考える。自分で自分のことを必要以上に考えるという「自己意識」が分からなさの不安を引き起こしているのだといえます。 この事は「あらゆるものに意味を求めてしまいます。」と、お書きになっている様に、分からないことに対して必要以上にこだわり、執着する。そして、その分かろうとする意義がないにもかかわらずです。ここでは、行動の次元のみが評価されることになりますので、ますます「意味」が分からなくなるのは当然のことです。
その他の回答 (7)
- seikotyanlove
- ベストアンサー率0% (0/1)
回答にはならないかもしれないのですが、コメントさせてください。 すごく気持ちがわかります。私も大学生なのですが、何か趣味を探さなくてはいけない、それに意味がなくてはならないと思いすぎていて、やればやるほど探せば探すほどばからしくなってきて いっそ全てリセットしてしまおうかと思うんですよね。自暴自棄な行動を助長してしまうようですが、それを実行できてしまうあなたが少し羨ましいです。 多分探しすぎて、人生をよりよくしようとしすぎて頑張りすぎて疲れてるんだと思います。その反動がその自暴自棄な行動なのだと思います。何も考えずに楽しく生きられたらどんなに楽かと思いますよね。 今は、できるだけ危害を与えない程度に、邪魔だと思うものを自分の周りからなくしてストレスを軽減するのがいいと思います。やるだけやったら、また物や人への執着心が戻ってくるのではないでしょうか。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
何もかもリセットしたいという欲求にかられているからではないかと感じました。 人生もゲームみたいにリセットして、一からやり直せるのなら良いのですが、時間を巻き戻すことは出来ません。 完璧に最初の段階まで戻ることは不可能なのですから、無駄な歩みは避けたいところですよね。 私が思いますに、あなたは嫌な面にばかり目を向ける傾向にありませんか? 誰と付き合っても何を始めても、時間が経つにつれ嫌な面ばかり目立ち「なんか違う」となってしまうのです。 もっと掘り下げると、自信や愛情を感じられないために、無意識に他人を下げることで、自分の価値を上げようとしているのです。 いわば自分が傷つかずに済むための防衛本能と言えるでしょう。 先ずあなたが本当に望んでいること(望んでいる状態)に気付くこと。 気付いたら次は共に歩んでいける相手を探すのです。 そのために何より大切なことは、怒りを手放すことです。 怒りがあるとあなたの中で嫌なこと全てを他人のせいにしてしまうからです。 それでは一生同じことの繰り返しになってしまいますよ。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
意味は自分で決めればいい。 自分で決める覚悟がないってことなんでは。
「意味」を考え出す力が足りないんじゃないですか? だいたい考えても堂々巡りになってしまうのは、情報が足りないから。その足りない情報はどこから得るか。それは体験・経験だと思います。 だから「ああ、これはこういう意味があったのかぁ!」と気づくまで体験してみるっていうのもありかもしれませんね。たくさん経験すると、先に意味が分かることって意外と少ないなってことがわかると思いますが。
お礼
回答ありがとうございます。おっしゃる通り、自然と何かが見えてくるのを待てず、経験も知識も浅いまま無理やり結論づけようとする気があります。もう少しペースダウンして、一つ一つの物事を丁寧にこなしてみようと思います。
- imagine
- ベストアンサー率35% (74/206)
>なぜ自分はこんなことをしているんだろうといつも醒めた感覚で、何かに没頭したり、純粋にその時間を味わうことがどうしてもできません。 理解できます。わたしにも同じような感覚があります。 >やればやるほど何にも没頭できない自分に直面する機会が増え、むしろ自己嫌悪が強まる一方です。 なるほど。自己嫌悪を感じるのは自分が自分について考えている価値に追いついていないからではないでしょうか。わたしは大学生時代、友人たちに「あなたは何を苦しんでいるか分からない。こんなに恵まれているのに」と言われていました。20代後半に親友より「自分が自分に求める基準を下げれば楽になるよ。人生、100点ではなく65点でいいじゃないの」と言われ楽になりました。 先日テレビで所ジョウージさんも同じような言われてました。 http://matome.naver.jp/odai/2135847716953756501 >友人との縁を切ったり、家族からの連絡を無視したり、人を精神的に傷つけ、距離を置かれることにある種の快感を感じます。 やめましょう。他を傷つけることは自らを傷つけるのと同様です。自傷行為同等です。 >意味を見出さなくてはいけない、大切にしなくてはいけない、こういった思い込みが強かった分、手放すことが気持ち良く感じてしまうのかもしれませんが、自分でもこれが異常であるということはなんとなくわかります。でも、自暴自棄的な思考・行動がどうにも治りません。 人生や物事に意味などないのです。したがって意味を見出すという考えると意味は見つかりません。意味は自らがつけるのです。 人生は自分で意味付けを行うものです。 >こういった場合どうすれば冷静になって落ち着いた行動を取れるようになりますか。 シンプルに物事を考えましょう。 単純に楽しむだけでいいです。(←これができていないから悩むのですがね) 美味しいものを食べたり、好きな映画やテレビ番組を見たり素敵な景色を見に出かければよいと思います。 今を楽しむことができるようになればよいかと思います。 座禅や瞑想もよいと聞きます。 静かに自分の呼吸のみに意識をあて落ち着いてくると今まで見えていなかったたくさんのことに気付くと言われます。 素敵な日常を♪
お礼
回答ありがとうございます。「自分で意味づけをする」という部分に新鮮な響きを感じました。自分で意味を求めているといいつつ、実は他人が自分に何を望んでいるか、ということばかり気にかかっていて、その結果自分で見出そうとすることから遠ざかっていたような気がします。落ち着いて、シンプルに、自分の素の感情と向き合う時間を設けてみます。
- gaitu
- ベストアンサー率21% (10/46)
お 私と全く同じだ 自傷行為的に安心するというのもあってダンシャリをしてしまうのは分かる 私が最近気付いたのは、そういいながらも腹も減ればご飯も食べるし、目の前にチャンスが落ちていればきっと拾うだろう自分 つまりニヒリズムよりまだエゴイズムが勝っているということ、なんだかんだ言っても かといって究極的にニヒリズムが加速したら後は死ぬしかなくなるだろうから話しはちょっと違うのかもしれないが ヒントがここにあって、私の答えは逆にエゴイズム」を増大させることで解決する」だと思う これは福沢諭吉がウツを克服した方法でもある 人のためもいいがまず自分のため、そう生きる事で状況は良くなる、と理論上はそうなっていると思う
お礼
回答ありがとうございます。確かに、空虚になりきれずにいます。ひどい時はもういっそ完全に無気力になって死ねたらどんなにいいだろうと考えてしまいますが、自分の欲求に素直になることは、場合によっては大切なことかもしれませんね。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
できることを丁寧にやってみると、自然に意味が見えてきます。求めなくとも意味が出てきます。意味は求めるから出てくるのではなく、はじめからあるのですが、丁寧にやってみないと気がつかないだけのことのようです。おそらく意味を求めてやっていることを忘れると意味も消えてしまうのでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。確かに意味ではなく結果にばかり固執し、焦りも相まって余計に杜撰な過ごし方になっていたかもしれません。簡潔かつ的確なアドバイス感謝いたします。
お礼
回答ありがとうございます。丁寧な分析に感銘を受けました。おっしゃるとおり、自分の興味や関心の有無にかかわらず、自分の拠り所が欲しいという一心に、手当たり次第探っていました。偶然の出会い、みたいなものを求め過ぎていたのかもしれません。