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戦前の戦闘機の値段は?
戦前の戦闘機の値段はいくらくらいだったでしょうか。 「ふ号」作戦(風船爆弾)の予算が2億5千万円だったそうです。 そのお金で戦闘機が何台買えたか、気になりました。 よろしくお願いします。
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パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦 PHP文庫 兵頭二十八/著 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31624972 を元に回答します。 こういう質問は、明確な答えを出すのは困難です。何故かというと、 「飛行機は一機いくらと定価はついていない。軍用機であれば、10機とか20機を一括してメーカーから調達する」 「こうした資料を細かく分析した人はいない。また、多くの資料が敗戦時に焼却されて消えてしまった」 「装備品の違いによって価格は大きく変動する。例えば、零戦の20ミリ機銃はそれだけで2万3,500円、魚雷一本分に相当する<前掲書262ページ、浦賀船渠社史に記載>」 それを踏まえて、「兵器の値段」を前掲書から拾いますと、105ページから106ページに書いてあります。この本はハードカバーと文庫本が両方ありますが、文庫本のページです。 いずれも、昭和10年代の数字です。 91式航空魚雷:2万円 (豊田穣の著書に記載) 97式艦攻:18万円 (同上) 89式潜水艦魚雷:2万円 (「海軍の科学」昭和16年刊行に記載) 1式陸攻:25万円 (「空翔ける神兵」昭和18年刊行に記載) 戦艦大和の実際の建造費:1億6,300万円 (柳田重宝の著書に記載。一式陸攻の652機分) 一般人の月給:100円なら現在の30万円程度の感じ 前掲書には「零戦の値段」は書かれていません。私の想像ですが、零戦は97式陸攻よりだいぶ小さく、搭載機器も少ないので 「15万円」 程度ではないでしょうか。 質問者様の調べた「風船爆弾作戦の予算」が2億5千万円だったとすれば戦艦大和の建造費より多く、零戦なら約1,700機に相当しますから、効果も定かでない「風船爆弾作戦」はずいぶん高くついたのですね。
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- fumkum
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>戦前の戦闘機の値段は? 新聞社が飛行機を軍に献納することを主導した時代があり、戦争が激しくなると、全国から軍に飛行機が多数献納がされるようになりました。その中に、艦上爆撃機が一機10万円となっている資料がありました。以下のURLを参考にしてください。 http://www.e-tmm.info/gakugei-6.htm
- buchi-dog
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No2です。 「貨幣価値の換算」ですが、これは「戦闘機の当時の価格はいくらか」以上に難しい問題です。 例えば 「『月給百円』サラリーマン」 講談社現代新書 2006年 http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%9C%88%E7%B5%A6%E7%99%BE%E5%86%86%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E2%80%95%E6%88%A6%E5%89%8D%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%80%8D%E3%81%AA%E7%94%9F%E6%B4%BB-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A9%E7%80%AC-%E5%BD%B0/dp/4061498584/ の著者は、「昭和10年頃の1円=現在の2000円」という数字を提示しているようです。 戦前の物価は、現在の物価と一律には比較できません。日本という国の経済構造と円の交換価値が激変しているからです。一言で言うと 「戦前の日本では人件費が安く、高級品、輸入品が高かった」 となります。 当時は、基本的に「人口過剰、貧富の格差が現在より激しい」社会です。現在のように累進課税や生活保護などの「所得を平準化する政策」(修正資本主義)は採られていませんでした。ですので、貧乏人は徹底して貧乏であり、人件費そのもの、あるいは人件費が大きな比重を占めるものは安いです。現在の中国(農村戸籍の都会への出稼ぎ人の賃金はタダ同然)に似ています。 「女中の賃金」 「女郎屋での遊興料」(今で言えば、ソープランドの料金) 「コメ」(農業が機械化されていませんから、農民の労働の塊です) 「家屋」(木材はきこりの労働の塊であり、家屋は職人の労働の塊) 「土地」(人口過剰とはいっても今よりは少なく、都市の規模も小さかった) などは、2000倍の基準で換算すると今より安くなります。例えば、500円で家が一軒建てられ、東京市内で建売の家が1000円で買えたと言います。それぞれ「100万円」と「200万円」ですから、今の基準の20分の1といった感じです。 一方、日本の経済力が欧米より弱く、円のレートがより円安であったこと、輸入品には高い関税がかかるのが当たり前という政策であったたため、高級品、特に輸入される贅沢品は2000倍の基準で換算すると現在より高くなります。 例えば、典型的な輸入贅沢品であるドイツ製のライカやコンタックスのカメラは、大雑把に言って「ボディと標準レンズで1000円」でした。2000倍基準ですと「200万円」となります。2000年ごろ、銀塩の最高級一眼レフ+標準レンズで40万円程度でした。約5倍の値段ということになります。 ※ 現在、デジタル一眼レフは発展途上ですので「プロ用最高級品」は標準レンズ込みで40万では買えませんが、いずれはその程度に落ち着くでしょう。 戦闘機は、どちらかというと、輸入された素材や機器をふんだんに使った「現在より割高なもの」に分類されますが、仮に零戦が当時の価格が15万円であれば、2000倍基準を採用すると 「現在の貨幣価値で3億円」 となります。
- leman
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この質問当時の価格のことのように思えますが、現代の価値観に直さないと資料にはなり難いと考えますが。 自分の知っているところを言えば当時戦闘機一機の値段は現代の価値に 直すとだいたい一億円相当だそうです。特に機体に使用されている超ジュラルミンというのがけっこういい値段なんです。 以前日本テレビの番組で艦上爆撃機”彗星”を復元する企画がありました。このときオリジナルに使われていた超ジュラルミンが目の玉が飛び出そうな値段なので代わりにアルミの板に換えたことがありました。 ちなみにこの彗星は現在靖国神社に併設されている博物館に保存されています。
- buchi-dog
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No2ですが訂正します。 正しくは 「前掲書には「零戦の値段」は書かれていません。私の想像ですが、零戦は97式『艦攻』よりだいぶ小さく、搭載機器も少ないので 「15万円」 程度ではないでしょうか」 です。 零戦も97式も「エンジン一発の艦上機」ですが、 零戦:1人乗りの戦闘機、自重1.7トン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E6%88%A6#.E6.94.B9.E8.89.AF.E5.9E.8B 97式艦攻:3人乗りの雷撃機、自重2.2トン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%94%BB%E6%92%83%E6%A9%9F
- misa-on28
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以前、映画「大日本帝国」だったと思いますが、新鋭機の零式艦上戦闘機を前にして、◯万円と言うセリフがあったと思います。で零戦関係のサイトを見てみますと「7万円」と言う値段がでてきました。 http://www.biwa.ne.jp/~yamato/zeke.htm 映画のセリフでも十万円以上の値段ではなく何万円か、、と思った記憶がありますから10万円以下の価格ではないかと思います。 旧式の96戦や97戦はもっと安いでしょうし、飛燕などは液冷エンジンでもっとお高いでしょう。大体こんなもんと考えてはどうでしょうか?