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勲記「おさせる」の文法
私の義父が春の叙勲の栄に浴しましたが、その勲記に次のようにあり その文法的意味がわかりかねましたので、教えてください。 勲記「日本国天皇は(個人名)に (勲 章 名) を授与する 皇居において璽をおさせる」 この勲記の『おさせる』の文法的意味がわかりかねます。私の考えでは「おさせらる」とあるべきというものです。つまり「おさせる」の「せ」は使役の助動詞であって尊敬の意味はなくて「不敬」ではないかと思いました。
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勲記のような公文書においては、天皇の行為に敬語を付けません。 例えば日本国憲法第六条には次のように書かれています。 「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」 お分かりでしょうか、「任命あらせられる」でも「任命される」でもありません。つまりこれと同じ理屈です。その点は大日本帝国憲法においてもまったく変わりません。 <例> 第五条 「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」 ちなみに、勲二等以下の勲記は国璽が押印されるだけですが、勲一等以上では天皇の署名が入ります。その文面を見ると、「おさせる」が使役であることは一目瞭然です。 「日本国天皇は○○○○を大勲位に叙し菊花大綬章を授ける 年号○年○月○日皇居においてみずから名を署し璽をおさせる」 (Wikipediaによると、2003年の法改正でこの文面は多少変更されたようです) これを見ると分かる通り、御名は当然天皇自らが書くので「署し」で、国璽の押捺は他の人に命じるので「おさせる」になるわけです ( ^^
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- MockTurtle
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追記です ( ^^; ANo.3で「公文書では」と書きましたが、公文書においても例えば「皇太子殿下の御臨席の下‥」のように敬語を使います。この場合の皇太子とは、現在であれば徳仁親王殿下(浩宮様)個人を指すので敬語を使うわけです。同様の文書においては、天皇に対しても敬語が使われることは言うまでもありません。 一方憲法や勲記における「天皇」とは特定の個人(今上陛下や過去の天皇)ではなく、あくまで法の下における “国家機関たる天皇” を指します。したがって、敬語は使わないわけです。 【以下余談】 ご存知かもしれませんが、勲記に押される国璽(印文:「大日本国璽」)は御璽(印文:「天皇御璽」)とは別物です。両者の使い分けについては、下記ページの説明が参考になると思います ( ^^ 国璽 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%92%BD
- sorega-iya
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「おさせる」のは「陛下ご自身」ですから,敬語が用いられていなくても問題はありません。自分で自分に敬語を使わなくても不敬にはなりませんよね(陛下が親しく文書をお書きになるのかは知りませんが,少なくとも昔から勅語などでは陛下が親らお話しになる形式をとっているようです。「朕惟ふに(私が考えるに)……」の教育勅語などが有名ですね)。 なお,御璽を捺すのはたしか侍従だったと思います。つまり,陛下が侍従に捺印させるわけです。 ちなみに,戦前の勲記にも「宮城ニ於テ親ラ名ヲ署シセシム」というように使役が用いられています。これも陛下が主語でしょう。
お礼
含蓄のあるご回答ありがとうございます。源氏物語や枕草子のような文学的表現と同列に考えるのではなくて、国家機関たる天皇の国事行為の公的表現であるという前提をふまえて考えるべきだというご趣旨なのですね。納得いたしました。蛇足ですがご回答から、自敬表現などに悩まされた学生時代の思い出もよみがえりました。
- jo-zen
- ベストアンサー率42% (848/1995)
以下のURLを参考にしてみてください。 http://blog.zaq.ne.jp/santaro/article/6/ 「おさせる」の主語は、天皇と解するのが妥当かと思う。そうすると、内閣総理大臣と局長の署名と印と整合性が、しっくりこないのだ。・・・天皇は、行為はすれど、責任主体ではない、という当たり前のことを具体化したら、こういう形式に著される、ということか・・・
お礼
おはようございます。私の質問直後に、早速ご回答をお寄せくださったのですね。誠にありがとうございます。URLも拝見しましたが、なるほどと思いました。MockTutleさんのご説明の趣旨と同じことなのだなと腑に落ちました。
お礼
ANo3と4を併せてお礼申し上げます。ご回答を拝読致し、URLも拝見しました。国家機関たる天皇の国事行為の公的表現という、私の予想を超えたご説明でありました。他のお二方のご回答も言葉こそ違え同趣旨なのだなと思いました。源氏物語や枕草子を読むときの文法感覚ではいけないのだと目から鱗でした。ありがとうございます。